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揉んでも抱けない<21>

第三十八回 ライバル出現!

 モグリとは言え、整体師としての腕は超一流。向かうところ敵なしの満也である。
 ただし童貞で、三流以下大学に通いながらも、留年確定の身であるが。
 ともあれ、こと整体の仕事に関しては、依頼が途切れることはなかった。それもすべて有名人の上客ばかり。いい気になっていたことは否めない。
(少年漫画だったら、ここらでライバルのひとりやふたり出てきてもいい頃だよな)
 などとくだらないことを考えていたその日、成海から突然電話があった。
『逃げなさい……は、早くっ!』
 苦しげな息の下から言われ、いったい何事かと驚愕する。
「どうしたんですか、成海さん!?」
『いくらあんたでも、あいつには勝てないわ……手遅れにならないうちに、早く——』
「あいつ? 誰なんですか、それは!?」
『……強いわ。最高に手強い相手よ。まさか、光吉先生があんなやつを——』
「光吉……じいちゃんがどうかしたんですか?」
『とにかく逃げて——』
「成海さん、もっと詳しく教えてください。ねえ、成海さんってば。もしもし、もしもーし!」
 プー、プー、プー、プー……。
 虚しい電子音を残して、電話は切れた。
(何があったんだ!?)
 満也は茫然と立ち尽くした。
 声の感じからして、成海がかなりの深手を負ったのは間違いないだろう。武道の達人でもある彼女が、そこまでやられるだなんて。そんなにも腕っぷしの強いやつが現れたのだろうか。
 おまけに、そいつはどうやら、ここに向かっているらしい。
(いやいや、おれがそんなヤツに勝てるワケないって)
 と言うより、そもそもどこの何者なのか。道場破りならお門違いだし、祖父の光吉の名前が出たところをみると、同じ整体師なのだろうか。
(まさか、本当にライバルが現れたっていうのか!?)
 ただ、光吉は満也にここ「こうえんじ鍼灸整骨院」を継がせて引退し、今は凍京の西のはずれで隠居生活を送っている。弟子でもある成海を酷い目に遭わせる物騒な人間に、かかわっているとは考えにくいのだが。
(もしかしたら、成海さんよりもっと前にいた弟子が、どこか遠くで修行をして戻ってきたんだとか)
 そして、我こそは後継者に相応しいと、ここを乗っ取りに来るのだろうか。
 屈強で筋肉隆々の、どこぞの世紀末救世主伝説に出てくるような拳法の使い手を、満也は想像した。体内の「流れ」を見極める整体の技は一子相伝であり、我以外なんぴとたりとも継ぐことは許さぬと、ボコボコにされるのかもしれない。
(うう、よくわからないけど、痛いのは御免だよ)
 ここは逃げるのが一番と、さっそく荷作りを開始しようとしたとき、いきなり診察室のドアが開いたものだから度肝を抜かれた。
「え——」
 そこにいた人物に、満也は息を呑んで身を強ばらせた。
「あなたが光円寺満也ね?」
 そう問いかけたのは、予想したような屈強な拳法の使い手ではなかった。満也と同い年ぐらいの女の子で、しかも、どこから見てもメイドさんだったのだ。
 肩が丸くふくらんだの濃紺のミニドレスに、フリルのエプロン。頭にはヒラヒラ付きのカチューシャを装着している。
 白のオーバーニーソックスと、ふわっとしたスカートの狭間には、絶対領域の太腿が覗く。こんな愛らしい格好のメイドさんから「ご主人さまぁ」なんて甘えられたら、おそらくデレデレになってしまうだろう。
 もっとも、彼女はそういうタイプのメイドではなさそうだ。ちょっと吊りあがったキツネ目が印象的な、ツンとすました凜々しい美貌は、他の使用人を厳しく叱るメイド頭っぽい雰囲気である。
 ともあれ、アキバぐらいでしか見かけない、いや、その付近でも一時のブームが去り、すっかり影をひそめたメイドさん。いったいどうして、こんなところに現れたのか。
「はあ、そうですけど……あなたは?」
「わたくしは北都由里亜です」
 本名なのか通称なのか定かではないが、名前は確かに拳法の使い手の関連人物っぽい。
「あの、ひょっとしたら、さっきまで成海さんのところに?」
 まさかと思いつつ訊ねれば、由里亜が唇の端を不敵に持ちあげた。
「ええ。あなたの居所を教えてもらおうと思ってね」
「お、おれの!?」
「素直に教えてくれれば、あのように手荒なマネをする必要はなかったんですけど」
 やはりこの娘が成海を叩きのめしたというのか。しかし、見るからに華奢な体型のメイドさんに、そんなパワーがあるとは到底思えない。
「あ、あなたは何者なんですか!?」
 自分も酷い目に遭わされるのではないかと、満也はビビりまくっていた。そんな内心を察したか、由里亜が勝ち誇ったふうに胸を反らす。
「わたくしは、光円寺光吉先生のもとでメイドをしております」
 では、この姿は単なるコスプレではなく、彼女は本物のメイドなのか。
(って、じいちゃんも何だって、こんなひとを雇っているんだよ?)
 いい年をして、今ごろオタク趣味に目覚めたのだろうか。
「わたくしは、お仕えする方のことを徹底的に調べないと気が済まないのです。光吉先生も例外ではなく、何をなさっていたのか事細かに調査いたしました。そして、整体師として大変素晴らしい技能と実績をお持ちであることがわかったのです」
 なるほど、いかにも調べたがり屋な感じだなと、満也は心の内で納得した。何をするにも外堀からきちっと埋めていく、見たまんま厳格で生真面目な性格に違いない。
「また、光吉先生ご自身のことばかりでなく、関係者についても調べさせていただきました。その中で西荻成海さんの名前が出て、さらにあなた——光円寺満也という人物が浮かびあがったのです。光円寺光吉のあとを継いだ、先生以上に優れた才能の持ち主であるモグリの整体師が」
 どうやってそこまで調べたのかと、満也は驚きを隠せなかった。モグリという立場上、おおっぴらに活動するわけにはいかない。だから仕事の依頼もネットの掲示板を使い、秘密裏に受けていたのである。
「わたし実は、モグリとモグラが大嫌いなんです」
 しれっと駄洒落みたいなことを口にした由里亜に、満也は面喰った。
「コソコソと人目をはばかって生きる人間など、この世から消えてしまえばいいと思っています。つまり、あなたも。箸にも棒にもかからない大学で単位を落とし、童貞のくせにスケベで女好きという、存在価値など微塵もない男なんですから」
 初対面の相手に、よくもそこまで厳しいことが言えるものだ。今でこそ満也を生ゴミ扱いする成海だって、最初からこれほど酷くはなかった。
(ていうか、本当にどうやって調べたんだよ!?)
 由里亜の底知れぬ恐ろしさに、満也は身を震わせた。そして、そこまで言うということは、成海以上にボコボコにされることは想像に難くない。いや、ひょっとしたら殺されるのではないか。
 恐怖で縮みあがった満也を、由里亜がフフンと鼻で笑う。小馬鹿にされたのだとわかっても、突っかかる勇気は微塵も湧いてこなかった。
「わたくしが怖いの?」
 目を細めての問いかけに、ガクガクとうなずく。プライドなどとっくに失くしていた。
「だったら、わたくしの言うとおりにしなさい。命が惜しいのならね」
「わ、わかりました」
「服を脱いで」
「え?」
「聞こえなかったの? 着ているものをすべて脱いで、素っ裸になりなさい!」
 ぴしゃりと平手打ちをされたにも等しい叱責に、満也は慌てて従った。何をするつもりなのかと考える余裕もなく、ブリーフも脱いで全裸になる。
「こ、これでいいですか?」
 股間のジュニアを両手で隠し、卑屈な上目づかいで訊ねると、由里亜は満足そうにうなずいた。
「ええ。大変けっこうです」
 一糸まとわぬ男子を前に、彼女は少しも恥ずかしがる様子がなかった。見慣れているのか、あるいは、満也を人間の男とは見なさず、ゴキブリかウジ虫程度のものと考えているのかもしれない。
(きっと後者だな)
 見下した視線から、そうに違いないと確信する。
「その手をはずしなさい」
 由里亜が顎をしゃくって命じる。ペニスをあらわにしろという意味だと、満也はすぐに理解した。
「でも……」
「さっさとしなさいッ!」
 第一印象そのままに厳しく叱られ、満也は反射的に両手を股間から離した。
(うう、恥ずかしい)
 単に裸を見られたからというものではない。自分だけがみっともない格好にさせられた屈辱に、涙がジワッと溢れてくる。
「お粗末ね」
 持ち主と同じく縮こまった牡器官を一瞥し、由里亜が冷たく一笑に付す。これにも、満也は情けなさを募らせた。
(くそ……今に見てろよ)
 隙あらば快脈を刺激して、悦楽の虜にしてやると決意する。
 と、彼女がすっと前に出た。三十センチと離れていない至近距離でニッコリとほほ笑まれ、満也はきょとんとなった。
 次の瞬間——、
「あうッ!」
 からだの一部に刺すような痛みが生じる。ところが、それがどこなのか、何をされたのかもさっぱりわからなかった。
(何だ、今のは?)
 すでに痛みは消え去っている。気のせいだったのかと思ったところで、由里亜が冷徹な口調で告げた。
「永年勃起のツボを突いたわ。あなたのペニスは、死ぬまでエレクトしたままよ」
 言われたことの意味が、すぐには理解できなかった。しかし、視線を下に向けたところで、まさかと驚愕する。
 イチモツは勃起していた。射精直前の勢いと張り具合で、ビクビクと脈打って。
 その部分にはまったく刺激を受けていない。いや、仮に美貌のメイドさんに握られたとしても、ここまで急速にいきり立つことはあり得ない。
(ツボって……あのツボか?)
 東洋医学の神秘の象徴。そこに灸をすえる、あるいは鍼を打つ、または押すことで様々な効果を発揮する。
 では、由里亜はただのメイドではなく、鍼灸師の資格も持っているのか。それゆえに、モグリの満也が腹に据えかねたのだろうか。
 ツボに関しては、満也も少しだけ勉強したことがある。しかし、永年勃起なんてツボは聞いたことがない。
(じゃあ、おれは本当に一生このまま勃ちっぱなしなのか!?)
 蒼くなった満也に、由里亜が小気味よさげな笑みを浮かべた。


※話数とタイトルは、連載時のものです。