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揉んでも抱けない<52>

第六十八回 猛烈! 桃色アイドル襲来

「うわあッ!」
 朝、満也は悲鳴をあげて飛び起きた。全身にびっしょりと汗をかいて。
(くそ……またあの夢だ)
 額を拭い、顔をしかめる。忌々しい記憶によって悪夢を見せられ、だいぶうなされていたようだ。
 あれは一週間前のこと。童貞を捨てるべくソープランドに赴けば、現れたのは予約したナンバーワンの女の子ではなく、一度引退したというオバチャンだったのである。
 話が違うと帰ろうとすれば、無理やり引き止められて服を奪われ、たるみきった巨体で手厚い(?)サービスを受けさせられた。風呂やマット、さらにはベッドの上でも。
 性欲魔神の満也だが、さすがに色気のまったくないオバチャン相手では、ジュニアはピクリとも反応しなかった。それどころかローションまみれのオバチャンにザラついた肌をこすりつけられ、陰嚢が腹の奥に引っ込むのではないかというほど萎縮した。
 おかげで犯されずに済み、童貞は守り通したものの、頑張って貯めたお金をぶんどられた。おまけに、こうして度々悪夢に悩まされる始末。
(もうソープランドはこりごりだよ)
 あの前日に、予約した美人ソープ嬢の桃香から、蕩けるような素股をサービスしてもらえたのが唯一の救いだ。おそらく彼女は、満也の性感マッサージでイカされたことで本当に大切なもの──おそらく恋人──が欲しくなり、ソープを辞めてしまったのだろう。
 そのせいで、あんなオバチャンと初体験という窮地に立たされたのだ。原因を作ったのは自分であるから、そうそう文句も言えない。ナンバーワンを失ったソープランドも、被害者みたいなものであるのだから。
 ともあれ、やはり童貞は素敵な女性に捧げるべきだ。一度しかない初体験を、適当な相手で済ませたくはない。オバチャンに犯されそうになったものだからこそ、満也はそう強く思うようになった。
 まあ、三流以下大学を留年するような男の前に、そんな相手が都合よく現れるはずもなかったが。
 とりあえず寝汗をシャワーで流し、日課のエロサイト巡りをしようとした満也は、何気に診療依頼の掲示板をチェックした。いつもは成海に任せているのだが、たまにはちゃんと仕事をしようという気になったのだ。
「え、なんだこれ?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまったのは、妙な書き込みがあったせいだ。
 何しろモグリ診療だから、バレないように依頼はパスワード付きの掲示板で受けつけ、請負う場合のみこちらから連絡を取る。ところが、そこにあった書き込みは、
【本日お昼ちょうどに、あなたの腕をいただきに参上します。怪盗アイドル・ピンクの四つ葉より】
 というものだった。しかも、日付は今日である。
(『ピンクの四つ葉』って……あのアイドルグループの!?)
 現在の国民的アイドルと言えば、やはりKBG49だろう。そして、アイドルの主流自体も、KBGと同じような大所帯のグループになっている。
 そんな芸能界において、近ごろコアな人気を獲得しているアイドルグループが、「ピンクの四つ葉」なのだ。名前の通り四人組で、怪盗アイドルという珍妙なキャッチフレーズに相応しい、個性的なメンバーで構成されている。愛称はピン4(フォー)。
 この診療所には、すでにKBG49の何人かが訪れている。満也は横田優香をはじめとする彼女たちにさんざん振り回されてきたが、また別のアイドルがやって来るというのか。
(まあ、可愛い子が来るのは大歓迎だけど)
 しかし、腕をいただくとはどういう意味なのか。まさか文字通りに切り落とされるなんてことはないと思うが。
(たぶん、マッサージの腕をみせてもらうとか、そういうことなんだろうな)
 こういう妙な比喩の使い方をするのも、ピンクの四つ葉らしいと言える。満也は彼女たちをテレビで何度か見たぐらいであるが、いつも妙なテンションではしゃぎまわっている印象があった。
(だけど、お昼に参上って──?)
 首をかしげつつ時計を確認すれば、今まさに十二時になろうとしているところだった。
 そのとき、いきなり診療室兼自室の窓が、ガチャンと派手な音をたてて割れる。続いて、モクモクと煙を吐く何かが投げ込まれた。
「うわっ!」
 満也は仰天し、慌ててそれを拾いあげようとした。しかし、たちまち煙が室内に充満して、何も見えなくなる。
「ゲホッ、けほ、うえええ」
 咳き込んで、煙が沁みる目をこする。とにかく部屋から脱出しなければと思ったとき、すぐ目の前に物々しいガスマスクをかぶった人物が出現したものだから仰天する。
「うわわわッ」
 後ずさったところでひっくり返り、背中と後頭部をしたたかに打つ。
「いてててててて」
 しかめっ面で見あげれば、ガスマスクをかぶっているのは、テニスのユニフォームみたいな白い衣装を着た女の子だった。しかもふたり。下からだとスカートの中がまる見えだが、フリルのついた見せパンだから恥ずかしくないのだろう。
 このコスチュームは、前に見たことがある。
(この子たち、ピン4?)
 浮かんだ疑問に応えるように、ガスマスクのふたりがポーズをとる。
「わたしたち、怪盗アイドル・ピンクの四つ葉!」
「あなたのハートをいただきます」
 お遊戯じみた名乗りに、満也はどっと疲れるのを覚えた。

 煙が窓から追い出され、割れたガラスも片付けられる。もっとも、それらの作業はあとからやって来た同じコスチュームのふたりがして、最初に現れたガスマスクのふたりは、まったく手伝わなかった。
(ガラスを割って発煙筒を投げ込んだのは、この子たちなのに……)
 マスクをはずして涼しい顔をしているふたりを、満也はあきれて見つめた。
 ひとりはエクボが愛らしいモモコ。グループのリーダーで、勝ち気そうな目をしている。
 もうひとりはいかにも悪ふざけが好きそうな、ニヤニヤ笑いを浮かべているレミ。実際、テレビなどでも彼女が一番はしゃいでいる。
 そんなふたりを尻目に、床を丁寧に掃いているのが、グループで一番小柄なアリカだ。舌ったらずなしゃべり方のせいもあり、他のメンバーから妹のように扱われていた。
 最後のひとり、割れた窓のところをボール紙で器用に補修するのが、一番背の高いアミ。おとなしそうな顔だちで、見た目のまま言動もおっとりしている。だが、声がセクシーで色っぽい。
「で、いったい、おれに何の用なの?」
 掃除と補修が終わるのを待ってから訊ねると、モモコとレミは偉そうに腕組みし、「フフン」と不遜な笑みをこぼした。
 一方、その後ろで、アリカとアミは不安げな面持ちを浮かべている。どうやら彼女たちは、理由を聞かされないまま連れてこられたらしい。
「センセイは、わたしたちピンクの四つ葉のことをご存じなのかしら?」
 リーダーのモモコが訊ねる。
「まあ、いちおう……」
「センセイのマッサージの腕はすごいって、本当なの?」
 これはレミ。
「うん。そのはずだけど」
「じゃあ、わたしたちが危機的状況にあるってことは知ってる?」
「え、危機的?」
「つまり、解散するかもしれないってこと」
 そんなことは初耳だったから、満也は驚いた。だが、後ろのふたりも悲しげな表情を浮かべていたから、本当にそうなのだ。
「だけど、人気も出てきたんだし、これからっていうときじゃないの? いったいどうして解散なんて──」
「すべてはこいつのせいなのよッ!」
 ふり返ったモモコが指さしたのは、頭ひとつ背の高いアミだ。そうやって戦犯扱いされても、情けない顔で肩をすぼめたから、彼女が何かやらかしたのか。
「アミちゃんが──え?」
「そうよ。せっかく四人で頑張ってきたのに、こんな大切な時期に脱退するなんて言い出したのよ」
 レミが眉を吊り上げる。
「え、脱退!?」
「ひどいと思わない? ピンクの四つ葉が、ピンクの三つ葉になっちゃうのよ。」
「四つ葉なら幸せを運べるのに、三つ葉だと平々凡々でつまんないアイドルってことになっちゃうじゃない」
 そういう問題じゃないだろうとあきれたものの、ふたりが怒るのももっともだ。これからというときに、身内に足をすくわれるのだから。
「本当なのかい、アミちゃん」
 確認すると、アミは泣きそうな顔でうなずいた。
「でも、どうして?」
「それがわかんないから、わたしたちもアタマにきてんのよ」
 モモコが口を挟み、アミを睨みつける。
「そうよ。いくらワケを訊いても、ただ脱退したいって駄々をこねるだけで。しまいには一身上の都合とか、不祥事でクビになる公務員みたいな言い訳をしたり」
 レミも不満げだ。テレビなどでは仲がよさそうに見えたが、女の子同士の軋轢がけっこうあったということなのか。もっとも、アミが脱退を口にしたせいで、ギスギスするようになったのかもしれない。
「まあ、君たちの事情はわかったけど、どうしておれのところに来たんだい」
 明らかに治療のためではなさそうだ。
「だって、センセイはマッサージっていうか、整体のプロなんでしょ?」
「うん。まあ」
 モグリということもあって、満也は控えめに肯定した。
「テレビとかで、よく芸能人が整体の先生にいじめられて、ヒイヒイいってるじゃない。あれをやってほしいの」
「え、誰に」
「もちろん、アミによ」
 モモコの指名に、アミの目が恐怖で見開かれる。やはり何も聞かされていなかったらしい。
「アミちゃんに? な、何のためにさ!?」
「脱退の理由を聞き出すために決まってるじゃない。あたしたちがいくら怒っても、くすぐっても、ゼンゼン口を割らないんだもの。だからってグーで殴ったりしたら、わたしたちが婦女暴行罪で捕まっちゃうし」
 ちゃんと意味を理解していないらしき罪名を、レミが持ち出す。まあ、たしかに暴力沙汰になったら、そのせいで解散に追い込まれるだろう。
「だから、合法的に白状させるの」
 モモコが得意げに胸を反らすなり、
「そ、そんなのダメよ!」
 と、悲鳴に近い金切り声があがる。ずっと口をつぐんでいたアリカだ。
「あ、アミをいじめないで。この子だってピン4が大好きなのに、ものすごく悩んで脱退を決めたんだから」
 涙目で訴えるところを見ると、アリカは事情をわかっているらしい。それはモモコとレミも理解したようだ。
「そう言えば、あんたたちっていっしょにスカウトされたんだっけ」
「幼なじみの関係だったよね」
 四つ葉が二対二に別れて睨み合う。いったいどういうことになるのかと、満也はハラハラしどおしだった。


※話数とタイトルは、連載時のものです。

※noteで公開する「揉んでも抱けない」のエピソードは、全7回でお送りするこれが最後になります。物語そのもののラストは、文庫版でお楽しみくださいますよう、あらかじめお願い申し上げます。