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溺れたときは静かに沈む

 そういうわけで、今回は体験談を書く。しかしエロではない。残念無念。毎晩夢精。

 さて、これまでの人生で、海で溺れたことが2回ある。1回は未遂なので、回数に入らないのかもしれないが、便宜上入れさせてもらった。文句がある方は、最寄りの消費者センターまで。

 1回目は、小学1年生か、あるいは就学前のこと。家族で海へ行き、お調子者の私は泳げもしないくせに沖へ向かい、どうにか立てるギリギリのところで浜のほうを振り返った。そして、
「やーい、ここまで来られるか」
 と、波打ち際にいた兄弟に向かって叫んだのである。
 途端に大きな波が来て、私の姿は海中に消えた。調子に乗るとこうなるという、馬鹿の見本のような出来事だ。
 このときのことを、私は今でもはっきりと憶えている。それも映像記憶として。
 不思議なのは、その映像は海中でもがく私を、離れたところから捉えたものなのである。まるで、魂なり幽体なりが肉体から抜けて、我が身を外から見ているかのごとく。
 間もなく、海パンを穿いた男がこちらに近づく。引っ張り上げられたところで視点が元に戻った。父に助けられたのだ。海水を飲んだ私はゲホゲホと咳き込み、調子に乗っていた恥ずかしさもあって泣きべそをかいていたと思う。そのあともずっと落ち込んでいたはずだが、何をしたか詳細は憶えていない。
 溺れたときの記憶が、第三者の視点になっている理由は不明である。そもそも当時の私は、海中で目が開けられなかった。こちらに近づいてくる父の下半身が、はっきり見えたのも解せない。もしかしたら、そのときのことを夢に見るかして、それが記憶とすり替わった可能性もある。
 ともあれ、これが溺れた記念すべき第1回目だ。

 月日は流れて二十代の後半、私は友人と海へ行った。一緒に泳ぐでもなく別行動をしていたのだが、そこは沖の方に消波ブロックが積まれていた。浜辺から距離にして数十メートルぐらいか。
 あそこまでなら行けるかなと、私は深く考えもせず泳ぎだした。
 私は十代の頃はろくに泳げず、平泳ぎで息継ぎができるようになったのは二十歳を過ぎてから。クロールは未だに無理。教員採用の水泳試験でも、息継ぎの要らない背泳ぎで乗り切った。
 その程度の泳力で、しかも普段運動などしていないやつが、いきなり何十メートルも泳げるわけがない。案の定、途中で体力の限界を迎えた。もちろんそこは、足のまったく届かない深さである。
 周りにひとはいない。このままでは確実に溺れる。私は懸命に手足を動かした。けれど、なかなか進まない。消波ブロックは十メートル以上も先だ。まさに絶体絶命のピンチ。
 このとき、海の中を覗いた私は、暗くて深い穴を見た。どこへ通じているのかわからないが、そこへ吸い込まれる心地がした。
 ──もういいんじゃないか。
 内なる自分が言う。このまま沈めば楽になるぞと。実際、疲れ切っていたから、それでもいいなという気になった。
 もしもそれに従っていたら、おそらく私はもがくこともなく、海中に沈んだことであろう。あれは臨死の一歩手前だったと、あとで思った。
 だが、私は我に返った。死にたくない。生きていたい。生きるのだ。頑張れ。
 そうやって自らを励まし、まさに火事場のクソ力で、どうにか消波ブロックまで辿り着いた。そこで力を使い果たし、しばらく動けなかった。
 その後、通りかかったゴムボートに掴まらせてもらい、無事浜辺に戻れたのである。ちなみに、一緒に行った友人に溺れかけたことを話したものの、現場を見ていないから少しも深刻になってもらえず、「ふうん」と相槌を打たれて終わった。
 これが2回目の、溺れた(未遂)経験である。

 水の事故で、知らないあいだにプールの底に沈んでいたなんて話がよくある。あれは本当にそうだと、経験上わかる。溺れて「助けてー」なんてもがけるのは、まだ余裕がある証拠。体力を使い果たしたら、何も言わずに沈んでいく。
 まして子供なんて、自分の限界もわからずはしゃぎまくるもの。気がついたら力尽きて、そのままブクブクとなってもおかしくない。だから決して目を離してはいけないのだ。

 大人になっても限界を考えず、無茶をして死にかけた私の体験談を、是非とも他山の石にしてくれたまえ。