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有害な恥:Toxic Shame(複雑性PTSD)
私が自分は複雑性PTSDなのではないか?と思い始めたきっかけは恥のフラッシュバックでした。
この時別件でのPTSDでも苦しんでいて、毎日のように悪夢にうなされたりなど体がとにかくSOSを出していたのですが、本人にはそれらがどこからきているのかさっぱりわからず。
なので複雑性PTSDの本を読んでいたら出てきた恥のフラッシュバックには藁にもすがる思いでしたね…。
この恥のフラッシュバックですが、一つ一つは結構割とどうでもいいことだったりもします。もちろんものすごく恥を感じている出来事もあるのですが、私の場合はそれこそ最後の方は『人前で漢字を読み間違えた』とか『芸能人の名前を間違えた』とか、えっまさかそんなことで?と思うようなものまで恥のフラッシュバックになってしまってました。これはどう考えてもおかしいだろう、と思ってはいたのですが、本当にメンタルギリギリだったんでしょうね。
これらの恥のフラッシュバックですが、根源はToxic Shameと呼ばれる『有害な恥』です。こちらはアジア圏だと本当に見過ごされることが多い。特に日本だと『恥』は社会に適応するために必要不可欠なものと認識されているため、それの何が悪いのか?くらいの認識の人も多いと思います。恥を感じやすいのなら、それだけ他人に気を遣える立派な人間になれるということなのでは?と言った感じですね。
しかしここに落とし穴があるのですが、有害な恥は時に自分を責めるだけでそこから動けない人間を作り出します。どういうことかというと、健全な人間は自分自身を恥じるのではなく自分がやってしまった物事を恥じ、改善していくことができるのですが、有害な恥に苦しむ人間は『自分は根本的に恥ずかしい、生きている価値のない、永遠に絶対に愛されることない人間だ』という認めたら到底生きていけないであろう現実(と本人が感じているもの)を避けるために4つの防衛反応を使いとにかくそこに行き着くことを避けようとします。
簡単に言うと、有害な恥に苦しむ人間はその苦しみゆえに自分と向き合うことができないんですね。向き合ったら生きていけない、と体が感じているわけなので、体は必死でそこに行き着くことを妨害しようとしなければならないわけです。
闘争反応は必死で「自分は悪くない、悪いのは周りだ」と自分に言い聞かせ、逃走反応は「自分がより魅力的で人の役にたつ存在になれば愛されるはずだ!」と自分に鞭を打ち、フリーズ反応はお酒で思考能力を下げたり空想の世界に没頭することで考えることをストップし、迎合反応は自分から自分を下げたりケア要員になることで危険な存在からの庇護を得ようとします。
これらの反応は、『本来の自分』が自分自身や他人に露呈してしまうことを避けようと『生きるか死ぬか』の必死さで行動します。
なのでとても疲れるんですね。生きているだけでぐったりです。有害な恥に苦しむ人間の多くは、「人のためなら頑張れるけど、自分のためだと何もできない」と言う状態になりがちです。
私は別に『人前で漢字を読み間違えた』からしんでしまうと思っていたわけではなく、『人前で漢字を読み間違えた』たことから『根本的に恥ずかしい、生きている価値のない、永遠に絶対に愛されることない人間であると知られてしまうかもしれない』ということに怯え苦しんでいたわけです。
しかしそもそもなぜ有害は恥に苦しむ人間は『自分は根本的に恥ずかしい、生きている価値のない、永遠に絶対に愛されることない人間だ』と思い込むようになったのか。そしてどうしてそんな『本当の自分』が知られたら自分は死んでしまうと怯えているのか。
次のポストではそれらについて話していきたいと思います。
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