競馬と動物愛護のこれから

僕はよく「引退競走馬」について取り上げた記事を製作している。
何故そんな記事を書いているのか?と言ったら、僕が記事にすることで少しでも皆さんにこの課題について触れる可能性を増やし、そして考えて頂き、その中で自分なりの結論を出して欲しいと考えているから。

けれど、逆に言ってしまえば、ひたすら可哀想な映像を用いて人の感情に訴えかけ、都合の悪い説明はせずにひたすら自分以外の他者を貶し、自身の行いを善行だとアピールするものもあるのが現実。それの最たるものが動物愛護団体だろう。

例えば。ペットショップで犬の生体販売が禁止される流れになっている今、ブリーダーは販路を失う。そして、改正された動物愛護法で犬の生涯出産回数は6回までとなり、メスの繁殖は6歳までと制限されているから、ブリーダーにしてみれば、7歳以上 or 6回出産した犬は、言い方は悪いが必要ない犬だ。
だから、捨てられた犬はメスが多く出産経験があり…というニュースが流れた。

犬の殺処分数は最新の情報だと2434匹。これがもしゼロになれば、9472匹が殺処分されている猫をゼロにしようとするだろう。

問題はこの先だ。
犬・猫の殺処分をゼロにしたから、次も何かをやらなければいけない。動物愛護はまだまだ!と愛護団体が言い出すのは目に見えている話だ。

そこで競馬が標的になるはずだ。
もちろんそうなることを見越して、対策はしている。レースで拍車の使用を禁止したり、鞭の馬に当たる部分の材質をクッション性のあるものに変更したり、鞭の回数制限だったりをやっているが、僕は逆にこれが仇となって責められる要素を生み出している気がしている。このことについては後述する。

よく、競走馬はストレスがかかっていて、9割は胃潰瘍だと言われている現実がある。確かに胃潰瘍であることは本当だ。9割という数字は怪しいが、アメリカで行われた剖検では87%が胃潰瘍だったとしているので、参考にはなるだろう。

ここを上手く切り取って「競走馬の殆どが胃潰瘍・理由はストレスを感じているから!」とするのが、動物愛護団体の手口だけれど、果たして本当にそうなのか?という話だ。
添付した記事でも説明されているが、野生の馬と競走馬では食生活が異なる。人間と同じような思考で動物の事を考えるのは何故なのか?人間はストレスを感じると胃潰瘍になるから、馬もきっとそうだ!と思っているのだろう。
馬はストレスを感じないと言うつもりはない。もちろんストレスが原因となって、胃潰瘍を発症する馬がいるかもしれない。ただ、それが全てそうであるとは断定出来ない。
だが、何故か競走馬はストレスによって胃潰瘍を発症するんだ…と誤解する人がいる。
繰り返しになるが、ストレスで胃潰瘍にならないとは言っていない。ただ、ストレスが全てではないだろうという話。

そして、先ほど触れた競馬における鞭の材質規制や回数制限等が、却って動物愛護団体に攻撃される要因になったのではないか?とする話をしたい。

もちろん、鞭の過度な使用を肯定している訳じゃないというのが大前提。
ただ、レースで鞭の使用が10回までは認められていて11回打つとペナルティーです。となった時に、その1回の差は果たして何なの?と誰しもが思うはずだ。
10回まで鞭を打っていいとして、その10回は誰が決めたのか?10回までなら、鞭の使用を認めることは動物愛護の観点から見て正解なのか?という話を作り出してしまったように思う。
そして、この話の行きつくところは最終的に競馬が廃止になる未来なんだろうと思っています。
こうなって欲しくはないけれど、なってしまうような気がしている。

動物愛護の精神を競馬に持ち込んだ人たちは何を考えていたのだろうか。
もちろん、過度な鞭の使用を肯定する訳じゃない。適切な使用法はあるはずだ。
ただ、それを含めて競馬に愛護を持ち込めば競馬が存続できなくなる可能性は予見出来たのではないか。もしかしたら、競馬を滅ぼしたくて動物愛護の精神を競馬に持ち込んだのだろうか。
こんなことを今さら言っても変わらないのは分かっているけれど、言わざるを得ないのが現状な気がしている。

動物愛護が力を持つ今、そしてこれから。
競馬は変わっていき、最終的には無くなってしまうだろう。

そうなった時、引退競走馬はどうなるのか。
犬や猫の殺処分ゼロを達成したあとの馬だから、これも動物愛護団体が言う殺処分ゼロにしなければ、スジが通らないけれどそれは、馬肉食文化を無くすということになる。

馬刺しと言えば熊本だが、その熊本は現在半導体バブルだ。
そして、この半導体工場を守るかのように種子島の近くで自衛隊の基地が作られている。

熊本に人が集まる要素があるということは、そこに飲食業界の需要が生まれ、熊本の名物である馬刺しが頼まれることも増えるはずだ。

そこで、重種の馬刺しが食べられるはずだけど、ポニーの馬刺し・サラブレッドの馬刺しと比べられるメニューを出せないだろうか。

もっと言えば、消費者にサラブレッドが馬刺しとなっていることを公表して、競走馬は殺処分にならず、肉になると世間に知らしめれば、動物愛護団体が言う殺処分ゼロに競馬は当てはまらず、競馬が攻撃される可能性を下げられるかもしれない。

もちろん、肉になるなら何をしてもいいという訳ではない。ただ、本質を知らなければその先が見えないと思っている。

前々から僕は、引退競走馬が殺処分され~と言うのは間違っていると言い続けている。肉になることもあると言っている。
よく、競馬という娯楽のために馬を生産して育て、結果的に必要なくなったらポイ捨てのように肉にする競馬と否定されることもあるが、競馬に使われて経済を回していることを忘れてはいけない。もっと言えば、肉牛は最初から肉目当てだが、それはいいのか?となって、答えは出せないはずだ。
ヴィーガンなら食べませんでいいけれど、それは思考の押し付けにしか過ぎない。

結局のところ、この記事も思考の押し付けかもしれない。ただ、何も考えずに条件反射で動物が可哀想だと思う優しい人の心を狙っている人はいるという話。

動物愛護団体がなぜ存在するか?
それは愛護の対象となる動物がいるからであり、居なくなったら飯の種を失うことになる。だから、水族館の魚展示に口出ししたりしていろんな方面から責めている。飯の種を無くさないために、不幸な動物というシチュエーションを作り、自身達の行いを良いものとして宣伝し、寄付金を集めなければならないから。
動物愛護は、本当に動物のことを考えている訳ではないと僕は思っている。そこにつけ入る隙があって、それを抑えてしまえば競馬に反対する愛護団体を黙らせられるか。

結局のところ、何が正解で何が不正解なのか?間違っているのか?間違っていないのか?は分からない。
分からないからこそ、競馬が今後も続くために何か出来ることはないか?と考え続けている。


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