「上げ馬神事」を続けていくための改善策と報道各社が報じない「動物愛護団体」の本性

今年の5月4日、5日に行われた「上げ馬神事」
上げ馬神事に対しては、いろんな意見が散見される。実際に現地では抗議活動が行われたことも報じられた。
そこで、僕なりに感じたことをまとめた記事を作成した。そのなかで、報道各社が報じなかった裏側「動物愛護団体の真の姿」をこの記事では書いている。
そもそも抗議していたのは、動物愛護団体ですら無かったのに、動物愛護団体と報道するメディアが殆どだったことにも触れている。

まずは、今回の壁が撤去された上げ馬神事の形を個人的には評価していて、このスタイルなら未来永劫続いていって欲しいと願っている。と申し上げて、そのなかでもまだ良くなる余地は残されていると思うので、提言という形で書かせて頂いた。実際問題として、やれること・やれないことがあるとは思うが、気持ち次第でやれることもあるはず。という内容です。


僕が考える上げ馬の「改善点」

1.人と馬の距離

今回、馬も人も事故は起きなかったと思われるが、馬だからこそ気を付けていても事故が起こる可能性というのは、どれだけ気を付けていてもあることだと思っている。
その中で、僕が気になったのは「登坂時に横で見ている人の存在」だ。

正直なところ「必要なのか…?」と思っている。
もちろん神事でやっている訳だから、必要なのかもしれないけれど、もし理由が無ければ、単に危ないだけじゃないか?と思ってしまった。

2.馬を止める場所

ネット上の意見では「馬の止め方」について言われていたのを目にした。
実際に登坂直後の馬を迎えに行き、止める人が居るけれど、個人的な意見としては「単に危ないだけ」だと思う。

でも、なぜこう止めている人がいるか?と考えたら、坂を登りきった先に観客が大勢いることから、もし減速出来ずに観客たちへ突っ込んでしまえば、死亡事故に繋がりかねないことは明らかなので、それを防ぐためという見方も出来る。
すなわち、馬を止める距離・場所が不足していることが原因ではないかと考えている。
だが、これには立地的な問題もあるので、どうすれば改善出来るか、というのは非常に難しい。
身も蓋もない言い方にはなるが、あの坂ならば、ほぼ間違いなく「馬は登れる」訳だから「神事」の形も変わってしまったということを分かった上で、今までは「助走をつけて坂に挑む」という形だったと思うけど、このやり方を変えて、平地の区間をそれなりの速度で走らせ、坂の区間になったら止めるくらいの気持ちで乗るのが正しいように思える。
もし、坂を見せ場にしたいのならば、登ったあとの止めるスペースを広く取って、観客と馬の距離を広く取るくらいしかないのだけれど、現実的な問題もあるだろうからなんとも言えないというのが、僕の偽らざる本音。
これは、馬を見せる神事だからこその問題でもある。

(「あの坂はサラブレッドの能力には酷だ」とする意見があったことについては後述する。)

3.馬の扱い方

良くも悪くも、注目されるようになってしまったのだから、馬を引く時に使用する引き手は肩にかけない、首にかけないとか、小さいことからコツコツとやっていかなければならない。
タバコがどうだ、馬に煙が~と言われていたけれど、タバコを吸うのは個人の自由だ。そこを否定するつもりはない。でも、周囲に見られていて、馬を引いているとなったら、ちょっとそれは良くはないこと。良くはないからこそ、そういうのは辞めよう。見られているから。と、僕は思う。

改善点 まとめ

関係者たちは、事前の講習会に参加していたというのがニュースにもなっていた。

そして練習で走った時には、そこまでスピードを出す必要が無かったからこそ、馬は止まりやすい。でも、本番はスピードを出すから止まりにくいという違いがあったと思う。

今回の結果を踏まえて、今後どうするか?どうしていくか?の検討は、あってもいいと個人的には考えている。
あとは、細かいところになるのだけれど、祭りに参加して馬を引いていたり乗っていたりするならば「見られる立場」になる訳だから、その時は「見られていること」を意識した行動をして欲しい。そういうところが「信頼」に繋がっていくと考えている。

「愛護団体の抗議」について

本当は「愛護団体」じゃない?

今年は」上げ馬神事の会場で抗議活動が行われた。
プラカードを持ち「多度大社 馬の利用を廃止せよ」や「神事は動物搾取の言い訳にならない」「動物を神事に巻き込まないで」というのが主張だった。

メ~テレニュース より

ご丁寧に、抗議は団体名入りで行われていた。団体名は「PETA」 動物の倫理的扱いを求める人々の会 であり、PETAのスローガンは「動物は、食べ物、衣類、実験、娯楽、いかなる虐待のためにも存在しているわけではない。」である。

東海テレビ ニュースより
東海テレビ ニュースより

抗議の内容からも分かるが、この団体は「馬の利用」に対して抗議をしている。単なる愛護団体ではない。
もし愛護団体が抗議をするならば、馬の利用方法について抗議をする。でも、この団体は「馬の利用」について抗議をしている。

実際にAbemaTVでこの団体が取り上げられた際には「動物権利団体」という紹介があった。
そして今回、上げ馬神事を取り上げた報道各社のニュースを見ていると、抗議活動がありました。とニュースにしたところは多かったけれど、なぜ「動物愛護団体」の抗議活動としているのか?正確には「動物権利団体」であるはずだ。
ANN.メ~テレ.CBC.中京テレビが、「動物愛護団体」としており、東海テレビが「動物利用廃止を求める団体」としていたことも追記しておく。

抗議は宣伝活動の一種だ

AbemaTVでこの団体が取り上げられた際には「動物権利団体」だと紹介したが、取り上げられた時の内容はこれだ。

ABEMA Prime #アベプラ より

「動物の権利」を主張するこの団体が、上げ馬神事における抗議で「馬の利用を廃止せよ」や「動物を神事に巻き込むな」としていた理由が、これでよく分かったのではないだろうか?
そしてABEMA PrimeにPETAのメンバーとして出演し、上に添付した動画でサムネイルとなっている女性は「今井 レイラ」と名乗っていて、「今年は」上げ馬神事の会場で抗議活動を行っていた。
この動画内で語られているが「動物利用を無くして、馬を奉納するのならば青森・ねぷた祭りのように張り子でオブジェを作ると良いのでは」と今井氏は言っている。

前項でも書いているが、馬の利用に対してこの団体は抗議をしている。馬が使われることに対して反対だと。それはちょっと違うんじゃないか?というのが、僕の意見だ。
馬が利用される場所は他にもあり、上げ馬神事だけではない。
なぜ「今年は」多度大社で抗議をしたか?と言ったら、去年の出来事があって注目を集めたから、今年は現地で抗議をすれば取材して貰える。そこで団体名の入ったプラカードを持ち、抗議をすればテレビで放映されて取り上げられる。という図式が僕の中では成立するのだけど、本当のところはどうなのか?それは分からない。
ただ、抗議をするにあたってプラカードに団体名を表記する必要性は感じない。だからこそ、宣伝目的の抗議活動じゃないか?と僕は感じた。
もちろん抗議をするのは自由だ。そこを責めるつもりはないが、馬を使った祭りで馬の使い方について抗議をするならば、まだ話し合いの余地が残されているけれど、馬の利用を廃止せよと言い出すと、話し合いは出来ないと思う。

話し合いが出来ないならば、単に悪質なクレーマーと同じなのに、なぜ報道各社はこの団体の背景や抗議の内容を詳しく取り上げないで「抗議をしている人」としか報道しないのか、この辺りにも疑問が残るところだ。
そして話し合いにならないからこそ、抗議を行う団体は「私たちの意見は聞き入れられませんでした」と言うけれど、それはもはや当たり前のようにしか思えない。
だから、僕は宣伝目的のために抗議活動を行ったとする。

「廃止」が正解なのか?

廃止を求める署名活動

オンライン署名サイトの「change.org」において「多度大社の上げ馬廃止を求めます!」という動きがあり、実際に集められた署名を三重県知事に提出したというのはニュースになっていた。

ここで僕が気になったのは、この「多度大社の上げ馬廃止を求めるOneTeam」の有志で、集めた署名を提出した人に取材した記事では「神事をやめさせたいわけではない。国際社会からも認められる形にして次世代に継承してほしい」というコメントがある。

廃止を求める」のに「神事をやめさせたいわけではない」という意味は、上げ馬としての壁を乗りこえることを廃止せよ、であるはずで馬を使うことについては残して欲しい。ということだと推察する。
署名活動を行うサイト内での説明も、虐待については書かれているけれど「馬の利用を廃止せよ」ということではない。
壁が撤去されて、事実上の駆け上がりとなった上げ馬神事。
これを「廃止せよ」と、今もなお訴えるのならば、それは「馬の利用を廃止せよ」に近いものがあると個人的に認識している。

なぜ今も「廃止せよ」と訴えるのか

過去の出来事があったから、廃止せよと訴えているのか何なのかは分からないが、今でも根強く廃止を訴える人はいる。
それは結局のところ上げ馬神事の会場で抗議した「動物権利団体」と言ってることが同じだ。
「お馬さんがあげられない声の代弁をしている」と語る人がいたけれど、人間の気持ちも分からないのならば、馬の気持ちも分かるわけがないだろう。
そう言って抗議している時点で、現実との乖離が生じてしまう。
どこかで「落としどころ」を見つけないといけない。
虐待だ、の声を受けて壁を撤去したし、坂には砂も撒いた。これ以上何を望みますか?という話になるのではないか?

廃止とは現実的にならないだろう

僕は、今でも上げ馬神事の廃止を求める人の声が届き、実際に上げ馬神事が廃止となることは無いと考えている。
それは何故かと言えば、虐待云々を言われて壁を撤去したことや坂に砂を敷いたことや、事前の講習会や試走会など、改善策を取ったからだ。
改善策が無ければ、廃止に持っていきやすいだろうけど、改善策を打ち出して実際にやっている以上、どうにもならないというのが本音ではないか?

よく、刑事告発されたことを問題視しろ!という声があるけれど、告発は誰でも出来得るものだ。それを受け取り、捜査をするかしないか?は、警察が決めることなので、刑事告発されたことを問題視しろ!というのは、あまり関係がないように考えているし、同様の理由で書類送検もその時点で刑が確定している訳でもないので、問題視する必要性はないと考える。

今でも廃止を求める人たちは、考えが先鋭化していて周囲との齟齬が生じている。言いたいことは分かったから、世の中には折れなければならない時があるんだから、と僕は伝えたい。

最後に

この記事は筆者である私の独断と偏見でまとめたもの。苦情や意見を受け付けます。ぜひ、あなたの考えを教えてください。
私の考えは、以前から変わっておらず上げ馬神事は継続していって欲しいです。

そして、「あの坂はサラブレッドにとって酷だ」という意見があったけれど、それを見て僕は、果たしてこの人はサラブレッドの能力をどれ程と考えているのだろうと疑問に思った。
サラブレッドの限界は果たしてどこか?
それの答えは出ないけれど、少なくともあの坂なら軽々とは言わないが助走をつければ登るだろうというのが僕なりの結論だ。

まとめ

改善出来るところはまだある。そのあたりは今後洗い出されるだろうから、進展を待ちたいところ。
そして、動物愛護団体の抗議活動と報道されたが、実際は動物権利団体の抗議活動であり、愛護団体が抗議活動をするなら馬の利用方法について抗議すると思うが、権利団体の抗議なので馬を利用するなと言って抗議活動を行った。
そのあたりを分かっていないとおかしなことになる。
そして、改善策を打ち出して実際に活動している以上、廃止にはならないだろう。
今でも廃止にさせたいと訴える人は、先鋭化していて、注意が必要だ。何をするか分からない。

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