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読まれる読まれない問題。

某SNSインスタグラマーさん(は??)たちの投稿でも
よく話題にのぼっている
「どうして私の質問には答えてくれないんですか?」
「私嫌われてますか?」問題。

これをラジオでも聞くことになるとは。
あくまで主観。記録として書く。
文句は受け付けない。笑

読者やリスナーの数なんてわからないけれど
(視聴率というか、ざっくりでも気になるところではある)
読まれたい!リクエストかけてほしい!って
狙って送ること自体何か違うのかなと思ったりする。
投稿であれ、質問であれ、メールであれ、
送り先の相手が好きで、誰しもこの気持ちは少なからずあって送るのだが、
採用されたときの喜びはひとしおだとは思うが、
逆だった場合、自分がより落ち込むことにしかならない。
そして誰かを責めることもあるだろう。

投稿者もパーソナリティも応えたい気持ちはものすごくあると思うけれど、分母がわからない。
そして、人間だもの。
スーパーマンじゃない。

「どうして私の気持ちをわかってくれないの!」
そりゃそうだよ。何も言われなければわからんよ。
私エスパーじゃないもん。
これは、子どもたちに私がよく言っていた言葉である。

手紙を送ったことはあるだろうか。
家族友人への手紙。
ファンレター。意見書とかも手紙かな?

もちろん返事を返してくれる方もいるだろうけれど、
手紙やメールというツールは何よりも
「想いを伝える」というのがメインだと思っている。
それは想いだけれはなく、考えだったり、批判だったり、
褒めたり、まあいろいろあるだろう。
それに対して共有してくれたり、反応してくれたり、
あるいは無反応なこともあるだろう。
様々だろうが、共通して誰かしらが
「目を通してくれている」のは間違いないと思っている。

それはSNSやラジオなどのメディアでいえば、
投稿者やパーソナリティ、ディレクター、
とにかく誰かが、目を通してくれていると思うということである。

手紙を書くように、日記を書くようにその人に日常を、想いを伝えたい。
それで十分じゃないだろうか。
昨日、何したっけ。今日は何を送ろうかな。
それを考えるだけで、毎日が少し、イイカンジになりませんか。
私は、今まで自分のこころの中でとどめていたことたちを
文字に文章にすることで、ちょっと世界が明るくなったように思えました。
くすぶっていたものが晴れるような気がしました。
前を向けるようになりました。

SNSは基本的に見ることしかないが、
ラジオにはわりとメールを送る方である。
ポジティブな内容を送ることもある。
はたまたちょっと悲しかったことを送ることもある。
たぶん、リアルに私を知っている人が聞けば、
もしかして、と思うかもしれない。
私は、家族に自分のことを話さない。
恥ずかしいとかじゃなくて、話したくないのだ。
信用していないのだ。関わりたくないのだ。
まあこれはいろいろと事情があるのだが。
家族なんだけれど、「家族」というものがイマイチ理解できないのだ。
結婚式なんかしたとして、
「産んでくれてありがとう」なんて私が言おうもんなら
大変薄っぺらい言葉でしかない。
たぶん、リスナーやパーソナリティの方が、
家族より私のことを知っている。

友人にラジオが録音できることを教えてもらって以来、
忘れなければ録音するようにしている。
それをいつか私がいなくなったときに
家族が聞いてくれれば、私のことがわかるだろう。
遠い未来への、遺書のような感じもしている。

あるときは、一部の人間は
「どうして読まれないんだ」の内容が拾われたときに
「こういうときは拾うんだw」などと発言する。
とくにSNSはこれが多いように感じる。

しかし、今回のラジオの方はそうではなかった。
実は、と共感する人、私はこうしているよ、とアドバイスする人。
純粋に、ああ、よかった、と思った。
パーソナリティ、リスナーともになんてあったかいんだ、と思った。
良い店には良い客がやってくる。
良い人には良い人が集まってくる。
良いパーソナリティには良いリスナーがついてくる。

それを実感した先日だった。