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山形の姥神をめぐる冒険 読書編 #13

 ペレイラは五十代と思われる肥満体で心臓病持ちで、数年前に妻に先立たれた、新聞社に勤める男だ。30年以上社会部の記者をした後、今は文芸欄のコラムを担当し、自分が翻訳した本の紹介を気ままに掲載している。

 舞台は1938年、ファシズムの影がしのび寄るリスボン。密やかな視線と交わす会話への無言の監視。闇の中の暴力の気配。そんな空気の中で、ペレイラは政治とは無関係な文学を扱い、甘いレモネードとオムレツが大好物の、くたびれて覇気のないおじさんなのである。
 彼は自分の人生の経過を辿るので精一杯の日々なのだ。坂道を上がるのに息を切らし、死んだ妻の写真に語りかけ、とにかくレモネードが飲みたくなる。思い浮かぶのは今までの人生の残骸たちだ。追憶と郷愁と、そして悔恨。夢に見るのは幼少期の思い出。病弱だった妻との間に子はなく、未来につながる展望は何も持たない。

 ペレイラはいわゆる中年クライシス、思秋期の魂の危機の中にあるのだ。こんな惨めな自分だっただろうか?今こんな自分で納得しているのだろうか?
 彼の今まで主導的だった自我が揺らいでいく。物語は徐々に、ペレイラの日常の意識へと食い破ってくる無意識の自我とのせめぎ合いがスリリングに展開されていく。次々と謎かけのように現れるモチーフに思考をめぐらしながらページをめくる。

 例えばペレイラが文芸欄で取り上げたバルザックの『オノリーヌ』。まるでメッセージ入りの小壜を海に投げる気持ちで、彼が託したものとは。

 カトリックの生活様式と教義について。ペレイラの行動規範とは。

 新しい敬礼はやけに上手だが文学についてはトンチンカンな上司への、ペレイラのほとんど生理的な侮蔑と嫌悪。

 同学の友と心が通い合わない疲労感。

 多くを語らずとも信頼できる医師との出会い。

 そして何よりも鮮烈なのは、エネルギーにあふれて時代に立ち向かう若者との出会いだ。行動する彼らに巻き込まれながら、ついにペレイラが真の自己を獲得するまでのいきさつに胸が震えた。魂の底から突き破ってきたそれは、今までも彼を支えてきたものに違いない。そう、ペンの力だ。

 これ以上は多くを記すわけにはいかないだろう。物語の余韻は明るい南欧の光と大西洋の海の風、レモネードの黄色。きらきらする眩しい町。そして、明滅するような人間のたましい。


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