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ネタバレ上等『先輩はおとこのこ』第1巻の考察②

第1回の続きです。


回収されていない伏線

場面3(第1巻 57ページ)

まことの幼馴染の竜二が、咲に対して「お前も何か隠してるんじゃないか?」と聞くシーンです。

お前"も”というのは、今までまことに告白した人たちのように、咲も遊びや罰ゲームで告白したのではないかという、疑いを持っているからです。

この発言を聞いて彼女は大きく動揺しますが、神視点である私たちは、遊びや罰ゲームでないことは知っています。ではなぜ、彼女はこのような反応をしたのでしょうか。

この記事を書いた時点で、単行本では第6巻まで出ていますが、それらしいシーンは出てきていません。この場面の謎は、いまだに解明されていないのです。

彼女は両親が離婚しており、複雑な家庭環境にいます。ですが、目立った隠し事といえば、これぐらいです。しかもこうした事情は、まことに告白したことと、あまり関連性が無いように思えます。

私が考えた説は、2つです。1つは、自身がバイセクシャルであることを隠していること、2つ目は、咲自身も男の娘なのではないかということです。

咲はバイセクシャル?

まことが男の子であることを明かした際、咲は落ち込むどころか、むしろ興奮しています。このことから、彼女はおそらくバイセクシャルであることが予想されます。

彼女は何らかの理由で、自身がバイセクシャルであることを隠したいのかもしれません。同性愛については、社会にある程度理解されています。しかし、男女両方に恋をするというバイセクシャルは、場合によっては見境のない人と見られる危険性があります。

そのため、絶対にバレたくないとはいかないまでも、バイセクシャルであることを、できるだけ周囲に知られたくないのではというのが、1つ目の説です。

咲は男の娘かもしれない(願望)

咲が男の娘であるという2番目の説については、こじつけに近いですが、いくつかの理由があります。

まず、男の娘についての理解が深いことです。

好きになった相手が実は女装していると知ったとき、普通は困惑するはずです。それにも関わらず、咲はそのことを一瞬で受け入れるどころか、喜んだ様子を見せています。

咲がオタクであるという描写はまったくないので、男の娘に興奮する理由として、自分も男の娘であるという説が出てきます。

まことのことが好きすぎて、そんなことは気にしていないとも考えられますが、だとすると異常に興奮する理由が説明できません。

あとは、運動が得意なことが強調されていること、唯一の主要な女性キャラクターなのに、性的に描かれることがまったくないというのも挙げられます。

ですが、女性っぽい名前であることや、男の娘であることを思わせる描写がないので、説としてはかなり弱いです。

もしかしたら、お母さんが女の子として育てるために、咲という名前をつけたのかもしれません。親子の確執がないにも関わらず、お母さんと会うことを止められるというシーンが、6巻の最後に登場します。

可能性は低そうですが、もし咲が男の娘だったら嬉しいので、この説を個人的には推しています。

色とジェンダーの関係性

場面4(第1巻 39ページ)

幼いまことが、母親にピンクの手さげカバンが欲しいとお願いするが、断られてしまうシーンです。

ピンクのカバン以外が白黒になっていることから、幼少期の段階で、まことはかわいいものに興味が向いていたことがわかります。

男は寒色、女は暖色

早稲田大学の清水隆子が行った研究によると、性別による色の選好は、幼少期の段階でほとんど決まっているそうです。その選好は、男の子が寒色を好み、女の子が暖色を好むというものです。

親の性役割態度にかかわらず、色の選好が決まることも指摘されています。

まことの母親は、男の子らしく育てることを過剰に意識していますが、それでもまことはピンク色(暖色)を好んでいます。

つまり、まことは単にかわいいものが好きなのではなく、幼い段階から性自認が女性に寄っていたということです。

男の子に恐竜やロボットのおもちゃなどを与えるのは、親が無意識的に子供に理系的な才能を期待するからだそうです。

まことの母親が、青色(寒色)で恐竜(生物)の絵が描かれたカバンを買い与えたのは、男の子らしく育てたいという願望をよく表しています。

ホモセクシャルを思わせる描写

場面5(第1巻 104ページ)
場面5(第1巻 105ページ)

竜二がまことに、恋愛感情を抱くきっかけとなったエピソードです。

竜二は親友と言っていますが、咲が心の中で指摘しているように、明らかに恋愛感情を思わせる描写です。

幼少期のまことは女装していないので、竜二はホモセクシャルであることが読み取れます。本人はやんわりと否定していますが、後の展開からそう考えて間違いなさそうです。

しかし本人は、そのことを認めようとしません。この理由は、次の場面で明らかになります。

異性愛への劣等感

場面6(第1巻 106ページ)

先ほどの場面と、このページは連続しています。

竜二のまことに対する思いは、あくまでも友達であり、恋愛感情ではないと主張しています。

注目してほしいのは「だいたい男同士で好きだったらヘンだろうが」と発言する部分です。

1コマ目の顔と比べて、明らかに暗い表情をしています。さらに、話相手である咲から目をそらしているようにも見えます。

このシーンからわかるのは、竜二が同性愛に対して少し後ろ向きなイメージを持っていることです。これは差別感情というよりかは、何らかの理由で「同性愛はおかしいことだ」という認知のフレームを持っており、それが彼の感情に蓋をしています。

咲とまことの関係は、一見女の子同士に見えますが、まことは男の子なので、実際は異性同士の恋愛になっています。この事実が、今後竜二を苦しめることになります。やはり彼は、同性愛を良くないことだと考えているのです。

古典的ジェンダー観への拘泥

場面7(第1巻 120ページ)

この作品でとりわけ異質な登場人物が、まことの母親です。彼女は、年齢(おそらく50代)を加味しても、性に対してあまりにも保守的であるといえます。

幼少期に、まことの気持ちを無視して、恐竜のカバンを買うほどの徹底ぶりです(場面4)。

第6巻の165~166ページに「まことはあの人とは違うのに…」という発言があります。おそらくこれが、彼女がまことに対して過保護になっている原因でしょうが、その人物が誰を指すかはわかりません。

母親の回想シーンで、見慣れない生気を失った手が登場します。その手はゴツゴツしており、男性的ですが、マニキュアと指輪をしています。彼女の大事な人に、女装している人物がいたのでしょうか。

女装していたことが原因で、その人が亡くなってしまい、息子を同じ目に合わせないため、女装を禁止している、と考えるのが妥当です。しかし、まことに兄弟がいたという情報は全くないので、いまいち納得がいきません。

いずれにせよ、まことの母親が極端なジェンダー観を持っているのには理由があるということです。今後のストーリーで、それが明らかになっていくことでしょう。

まとめ

今回は最新刊の情報も参考にしつつ、第1巻のポイントをまとめました。改めて見返してみると、最初読んだときには気がつかなかった発見もあり、この作品の深さを感じました。

書籍や論文を読むなどして、作品への理解をより深めていきたいと思います。

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