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ネタバレ上等『先輩はおとこのこ』第1巻の考察①


最新刊である第6巻が最近発売されたので、これを機に、第1巻からの考察を行っていきたいと思います。

この考察では、今後の展開や、隠されたメッセージを予測するということよりも、印象的なシーンの分析を主眼とします。

記事の構成としては、場面1の提示→解説→場面2の提示→解説……といった感じになります。作品内の情報だけでなく、作品外の情報も含めた、多角的な視点での考察を行っていく予定です。

※場面の写真は直撮りです。少々見づらいですが、ご了承ください。

それではここから、実際の考察へと移ります。


男の娘を構成する身体的要素

場面1(第1巻 19ページ)

「長い髪」は男の娘の必要条件

主人公の花岡まことは男性ですが、女の子の恰好をして生活しています。

このシーンは、そんなまことに告白してきた女の子、蒼井咲に対し、自分が男性であることを明かすシーンです。

パッと目につくのは、ウィッグをとっている部分と、服をまくっておなかを見せている部分です。

こうした行動の意図は、男性的な特徴である短い髪と、筋肉質なおなかを見せることで「男の子/…なんだ」というメッセージを強調することです。

まことはこのシーンの後、胸が見えるまで服をたくし上げるので、おなかを見せるのは、あくまでもその過程であるとも考えられます。

ここで注目したいのは、ウィッグをとる部分です。なぜウィッグをとることが、男性であることの証明となるのでしょうか。

もちろん、長い髪が女性らしい特徴だから、という理由もあります。ですが、それ以上に重要なのは、長い髪が男の娘を象徴する要素だからです。

『とりかへばや物語』という、平安時代に書かれた作品があります。

この物語は、瓜二つな男女の兄弟が、性別を取り違えた状態で成人するという内容です。

つまり女君が男装、男君が女装するわけですが、男君についての興味深いストーリーが『とりかへばや物語』の中に登場します。

そのストーリーとは、行方不明になった女君を探すために、男君が長い髪を切り、男に戻るというものです。その後「一晩に9センチずつ髪が長くなる」秘薬を飲むことで、男君の髪は元の長さになります。

長い髪を短く切る(男装)のに比べて、短い髪を長くする(女装)ことは容易ではありません。当時はウィッグもなかったので、短く切った髪を元の長さに戻すためには、髪が伸びる秘薬という突飛な設定を入れざるを得なかったのです。

このストーリーから、長い髪が男の娘を象徴する、重要な要素であることがわかります。髪を短く切った男君と同じように、まことはウィッグをとることで異性装を解き、自身が男の子であることを咲に示しました。

魅力的な見た目、幼い身体

豊田工業高等専門学校 一般学科 准教授の江口啓子は「男女の境界を越えうる身体とは、一つは圧倒的な美を具えている身体であり、もう一つは未成熟な身体である」と指摘しています。

第1巻の冒頭で、学校でまことの姿を見た男子生徒が「おいあんな美人うちの学校にいたっけ?」と発言するシーンがあります。

他の作品にも言えることですが、男の娘は作品内に登場する女の子よりも、魅力的に描かれることが多いです。

第1の理由として、彼/彼女が主要な登場人物だからということが挙げられます。ですが、江口の指摘を踏まえると、男の娘は性を越境できるほど魅力的であるため、周囲の注目を浴びやすいのではないか、と考えることもできます。

さきほど、筋肉質なおなかと書きましたが、まことにはひと目で男性だとわかるほどの筋肉量はありません。同世代の女の子に比べると少し筋肉質である、というぐらいの印象です。

身長に関しては、正確なデータがないのでわかりませんが、第5巻のカバー裏に、中学2年生のときの3人(花岡まこと、大我竜二、蒼井咲)が横並びに描かれています。

それを見ると、女性である咲より一回り高いものの、男性である竜二よりかは低めであることがわかります。腕の筋肉や体つきに関しても、竜二と比べると少し華奢な印象です。

同じく5巻カバー裏に、運動能力に関しての記述があります。そこでは3人の運動能力が比較されているのですが、持久走(まことが1番)と50m走(咲が1番で、まことと竜二が同じ)を除いた握力、ジャンプ力、前屈の3つでは、いずれもまことは2番目に位置しています。

このことからわかるのは、まことの身体的特徴は、男性と女性の中間であるということです。

性スペクトラムという概念を用いて、このことについて考えてみましょう。

性スペクトラムというのは、生物学の用語で、左端に男性、真ん中に中性、右端に女性と書かれた直線を作り、その直線状の位置で生物を分類する方法のことを指します。

「萌え」の対象である男の娘が、スペクトラム上で男性側に寄ってしまっていると、少し不自然です。そのためできるだけ、女性に近い部分に位置することが望まれますが、性スペクトラムでは(特殊な手術を受けた場合を除いて)、人間のオスが中性のラインを越えて、女性側に行くことはできません。

こうした事情から、男の娘であるまことの身体的特徴は、限りなく中性に近い部分に位置付けられているのです。その結果、男性と女性の中間といえる身体的特徴が、まことにあらわれています。

男の娘の「声」

場面2(第1巻 15ページ)

男の娘はなぜ「少し低い声」をしているのか

時間を少し戻して、咲がまことに告白するシーンを取り上げます。

「優しい目」「高い背」「少し低い声」この3つが、咲がまことを好きになった理由です。

優しい目というのが、少しあいまいでわかりにくいですが、誰にでも明るく振る舞う様子を指しているのではないかと、私は考えています。

彼女は複雑な家庭環境にいるので、求めているのは個性的な人ではなく、中立な立場で話を聞いてくれる人です。その対象として、女性的な要素や男性的な要素を強く感じさせない彼女に惹かれたのではないか、というのは少し考えすぎでしょうか。

「高い背」に関しては、まことの体の性は男性なので、平均的な女性より背が高いことは、十分にありえます。まことは細身な体型ですし、仕草もおしとやかなので、スレンダーで素敵な女性に映ったのでしょう。

こうした上品さを感じさせるまことの見た目が、優しさを感じさせる理由の1つになったとも考えられます。

そして「少し低い声」。これが、最も議論するべきポイントです。

『【人気投票 1~53位】男の娘キャラランキング!人気No.1男の娘は?』という記事で紹介されていた53人の男の娘キャラのうち、46人が女性声優によって演じられていました。

男性声優が演じているキャラに関しても、女性と見分けがつかないような高い声であったり、見た目が女の子っぽいだけで、中身が男性のキャラクターであることがほとんどでした。

このことから、男の娘の声優には男性的な声よりも、女性的な声が求められていることがわかります。

では、女性的な声であれば誰でも良いのでしょうか。そう単純ではありません。なぜなら彼らに求められているのは、単なる女性的な声ではなく「少し低い声」だからです。

低くはない、けど低い男の娘の声

『先輩はおとこのこ』はアニメ化することが発表されているのですが、残念ながらまだ情報はほとんど出ておらず、放送時期や担当声優も決まっていません。

そこで、同じく男の娘のキャラクターで、私が最も思い入れのある秋山瑞希を題材に男の娘の声について考えていきます。

瑞希は『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』というスマホゲームに登場する男の娘のキャラクターです。

瑞希の声は、佐藤日向という女性の声優が担当しています。

彼女の声は、他の女の子キャラクターに比べると低い印象ですが、一番低いというわけではありません。

「Leo need」の星野一歌や、日野森志歩は、彼女と同じか、それより低い声をしています。

正確に測ると、瑞希や他の女の子の声はC5~C8、先に挙げた2人はC0~C5ぐらいで推移していました(数字が大きいほど、声が高いということです)。

この結果を踏まえると、瑞希の声はむしろ高いように思えます。しかし、なぜか瑞希の声は低い、という印象があるのです。

この理由を自分なりに考えてみると、瑞希の歌う曲の音域が低いことや、シリアスなシーンなどで、ときどき声が低くなることが関係していそうです。

男の娘の声は低いという先入観があり、そのせいでバイアスのかかった観察が行われている可能性もあります。いずれにせよ、単純な声の高さだけで判断するのは、得策ではないのかもしれません。

声が女性的であっても、男の娘だと感じさせる要素は何なのか。これについて考えることが、より重要となってきます。

余談:男装女子との比較

ちなみに「Leo need」の2人の声が低いのは、彼女たちのキャラクター性に由来します。彼女たちはクールな印象を抱かせるキャラクターであり、言い換えると男性的な要素を持っているともいえます。宝塚の男役のような、男装女子に近いと考えればわかりやすいでしょうか。

男の娘は男性的な要素を極力排し、かといって女性的でもない、中性に近い存在であることは先ほど述べました。それに比べると、男装女子は意識的に男性的な要素を強調しているように感じられます。声や性格などのスペクトラムは、むしろ男性寄りとなっているのです。

これは男の娘が、思春期前~思春期の未熟な部分を主とするのに対し、男装女子は、比較的成熟した存在として描かれているからです。

男の娘が中性的なのは、まだ男性的な特徴が発達していないからで、男装女子が男性的に見えるのは、成熟していることが理由になっている、と言い換えることもできます。

それに加えて、大人びていることや、グループを指揮するリーダーに男性的なジェンダーイメージが付与されていることも、関係しています。これらが成熟によってもたらせるというのも、大きなポイントです。

フェミニズムとの関連で、成熟した女性が理想像となり、それが男装女子として現れたのかもしれません。男装女子は、女性にとってあこがれの存在として描かれている、ということです。

この理屈だと、男の娘は男性があこがれる存在だということになりますが、これは間違っています。男の娘は、自己との同一化よりも、自分の欲望をぶつける「萌え」の対象としての側面のほうが、はるかに強いからです。

自己と同一化するのは、TS(トランスセクシュアル)というジャンルで見られる現象だと私は考えています。ですが、脱線しすぎたのでこの話はやめておきましょう。

とにかく、男の娘が中性的なのに対し、男装女子が男性寄りなので、男の娘より男装女子の声が低くなるということです。そのため、男の娘の声の高さは、男装女子と女の子の間に位置することになります。

男の娘=男の子?

瑞希の特徴として、活発で明るいこと、フライドポテトやハンバーグが好きなこと、熱いものや苦いものが苦手なこと、などが挙げられます。

これらはいずれも、小さい男の子を想起させる子供っぽい要素です。

未熟な存在(男の娘)として描かれる瑞希は、男性的な魅力をあまり出せない代わりに、未熟さの中に残る男の子らしさを出すことで、普通の女の子ではないという印象を、鑑賞者に抱かせます。

瑞希の1人称は「ボク」です。これは俺や私に比べて、なんとなく幼さを感じさせる呼び方です。瑞希の体の性が男性であることを、明示的にしないためという理由もありますが、瑞希の男性的な部分と、幼さを強調するという目的もあります。「ボク」がカタカナ表記というのも、また絶妙です。

瑞希を女の子ではなく、幼い男の子だと考えると、女性の声優にも関わらず、男性的な要素を少し感じる理由がわかってきます。より理解を深めるために、女性声優が少年を演じるようになった、メディア史の流れを見ていきましょう。

『鉄腕アトム』のアトムや『サザエさん』のカツオなどのキャラは、少年ではなく女性の声優が声を当てています。この慣習が生まれた時期は、戦後までさかのぼります。

戦前、戦中、戦後まもないころにおいて、声優が活躍する場所はラジオドラマでした。戦前、戦中は単発のドラマであることが多かったのに対し、戦後は連続放送劇が主な内容となっていきます。

連続放送劇を収録するためには、スタジオに複数回来てもらう必要があります。ですが小さい子供を、何度もスタジオに呼ぶという状況は、教育や保護の観点からは、あまり望ましくありませんでした。

収録時間を週末にし、学業に支障をきたさないようにするなどの対策もとられましたが、労働基準法の改正もあり、少年声優を起用するのは少しずつ困難になっていきます。

そんな中、白羽の矢が立ったのが、少年の声が出せる女性声優です。彼女たちは少年と違って、時間の制約がありません。しかも、少女や女性の役も同時に演じることができるというオマケ付きです。

それだけでなく、少年と違って声変りすることもありません。さらにストーリーの内容や台本なども、より多く頭に入れることができるため、あらゆる点で女性声優は、少年の声を演じるのに適していたのです。

瑞希は女の子よりも、男の子っぽい部分が目立つキャラクターです。そのため、少年っぽい声質に近づけるため、女性の声優が選ばれました。ただニュアンスとしては、女の子ではなく、あくまでも少年であるため、他の女性キャラクターにはない男性らしさを、見た人は感じることになります。

瑞希の年齢が16歳であり、変声期に差し掛かり始めている年齢ということも、少し低い声が最適となる要因です。16歳で変声期は少し遅いように感じますが、男の娘の身体は未成熟だ、という江口の指摘を踏まえれば、16歳を変声期の途中と考えるのは、適切であるといえます。

まことの声はどうなるのか

では、これらの議論を踏まえて、まことの声について考えてみましょう。

極端に低い声や高い声ではなく、普通かそれより少し低いぐらいの声になるだろうというのは、咲のセリフや今までの考察から予想できます。

しかし、まことは瑞希とは違い、少年らしさはあまり持っていません。むしろ漫画内のイメージでは、成熟した女性といった感じです。そのため、女性声優が演じる少年の文脈とは関係ない形で、少し低い女性の声になるでしょう。

では、まことの男の娘っぽさはどこで補われるのでしょうか。それは、まことが女装を解くシーンです。

母親の前で男の子として振る舞う場面や、女装そのものをやめてしまう場面が2巻に登場します。それらのシーンで、声優を変えるかどうかはわかりませんが、まことの少年らしい部分を補うのではないかと考えています。

瑞希はウィッグをつけていないため、女装を解くことができません。しかしまことは、ウィッグの着脱で男の子になることができるので、普段の声で少年っぽさを出す必要は、瑞希に比べると少ないといえるでしょう。

まことの普段の声が、女性とほとんど変わらないと仮定すると、女装を解くシーンは、まことが男装するシーンにも見えてきます。こう考えると、そうした特定の場面では、男装女子の音域に近い、低めの声が当てられると考えてもよさそうです。

紆余曲折ありましたが、少年を演じる女性声優の系譜で、男の子っぽい声をしている瑞希と、成熟した男装女子というイメージから、少し低い声をしている(と予想される)まことの対比が見えてきたと思います。

男の娘であることを明示的にしないため、どちらも普段は女の子っぽい声をしていますが、いくつかの場面では、このように2人の違いが見えてきます。

同じような声であっても、作品が持つ要素によって、聞こえ方が変わります。設定の違いによって、鑑賞者がアクセスするデータベースの内容が変化し、それが結果的に聞こえ方の違いにつながる、ということです。

次の記事では、各キャラクターの内面やセクシュアリティに触れていく予定です。

参考文献
石田美紀(2020)『アニメと声優のメディア史』、青弓社
中根千絵他(2023)『異性装 歴史の中の性の越境者たち』、集英社
諸橋憲一郎(2022)『オスとは何で、雌とは何か? 「性スペクトラム」という最前線』、NHK出版
東浩紀(2001)『動物化するポストモダン』、講談社現代新書




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