ボカロ曲ごちゃまぜ二次創作小説『地鏡』【砂の惑星ほか】

ボーカロイド楽曲をいくつか闇鍋して二次創作をしました。 

こちらの企画、『ボカロリスナーアドベントカレンダー2020』への参加記事です。年が変わるハイパー大遅刻ですみませんでした……(12/17担当)(第二会場の12/24もあるしそっちはまだ)

 いっぱい素敵な記事があるよ!数万字の論文も複数あるけどな、どうなってるんだ!!!(褒め)


↓第一会場

↓第二会場

https://adventar.org/calendars/5642

※この記事は第一会場ぶんです


雑なあらすじと参考曲

 ボカロ曲『砂の惑星』の映像に出てくる初音ミクが砂漠を探索している最中、荒れ果てたゴーストタウンで、同じくボカロ曲『君が死んでも歌は死なない』の初音ミクに出会う話です。

 タイトルの『地鏡(じかがみ)』は、光の屈折や反射により空の景色が地面に映ることで、水面があるように錯覚する現象『逃げ水』の別名です。蜃気楼の一種ですね。砂漠やアスファルトでよく起こるそうです。

 なお、僭越ですが、以下の曲を聴きながら読むことをおすすめします。これらの曲の二次創作なので。前提知識多すぎ問題。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm31606995

https://www.nicovideo.jp/watch/sm20077920

https://www.nicovideo.jp/watch/sm18729289

 これら以外にも意識した曲とか歌詞引用がいくつかあったりしますが、メインは上の3曲です。

 では、このお話をよろしくおねがいします。12,000字くらいありますが……


本文

 砂嵐なんてとっくに慣れた。
 自分たち以外に何もない、誰もいない砂漠じゃ、砂嵐や雷でさえちょっとした気分転換になってたんだけど。麻痺してきた、のほうが近いのかもしれない。まあ、どうでもいいか。表情も麻痺しているんだし。
 水筒いっぱいの水に少し口をつけながら、ふっと息をつく。

 いくら歩いても砂か、もう廃墟とすら呼べないがれき。それしか目に入らないこんな旅路も、かつては人と音楽で溢れていた。
 ――音楽については、溢れすぎてしまったというべきかな。

 ずっと昔のことだけど、私は知っている。音楽が溢れすぎて反乱が起きてから、砂漠で目覚めるまでの記憶――それと表情――は失っているけれど。それでも、平和だった頃のことはちゃんと記憶している。自分が、どれかの曲の映像のために生み出された、キャラクターとしての初音ミクらしいということも。
 私が初音ミクである限り、過去は絶対に忘れない。忘れられないから旅を続けているんだ。誰かが育てることを期待して林檎(りんご)の苗木を植えながら、旅を。どこかにまだ人と音楽がいないかって。

 音楽の楽園(オアシス)はまだ、見つからない。

 にしても、こんな変わりばえしなくて厳しい道のりをよく着いてきてくれるな。ざっと十――何人だったか。数えてみよう。いーち、にーい……そうだ、十八人だ。十八人の後続を振り返りながら、ありがたく思う。まだ私についてきてくれるんだな。

 耳付きフードのロングコートに、ジーンズかチノパン。顔は白い仮面――といっても目の部分に穴が空いただけの単純なもの――に塞がれて見えない。服の色は違っても、彩度が低めなのは同じ。
 そんな奇怪な存在が大きなリュックやらバックパックやらを背負ってぞろぞろ歩いているのは、ちょっと面白い。
 実際、面白い人たちだ。『私』の存在を少しでも植えつけようと、かつて歌姫――同人音楽の象徴、だった頃のポスターをがれきに貼りつけてくれたりする。彼らが自発的に始めたことだ。その作業中に、持ってるポスターの大半が砂嵐に吹き飛ばされてるのがなかなか滑稽だけど。 顔も見せない、生身の声も出さないけど、不思議と面白い人たち。私を活かして/生かしてくれる人たち。
 トレードマークのはずの髪も短くて、快活さのかけらもない服を着て、おまけに歌わない私をよくぞとも思うけど、彼らは初音ミクであればそれでいいのかもしれない。

 ならば、胸を張ろうと思っている。この私がボーカロイド音楽の象徴だ。

 来た道を見ると、私の足跡がついている。今はくっきりついてても、頼りない、吹けば飛ぶような。それでも、彼らと一緒にさまよってきた。
 ……思い返していると、身体のきしみを実感する。そろそろ休憩にしようか。手頃ながれきもあるし。
 彼らがうなずくのを見て、風化した石積みにもたれかかろうとしたとき。砂嵐が、止んだ。

  ――空と視界が開け渡った。

 ゴーグルを上げた瞬間、ずっとよどんでいた空に日差しが射す。ぐっと暑くなるはずなのに、爽やかな気分。
 青い空なんていつぶりだろう。砂の混じらない空気を吸いながら思う。
 背後から歓声。それでやっと、彼らの存在に気づく。見れば皆が一様に、これから進む予定の方角を指さしている。
 なにが言いたいかは瞬間でわかった。数百メートル先に、いくつもの高層建築。見える緑。――オアシスだ。
 音楽は、生きていたんだ。

 先頭に立つ立場としては、表情を作れないのは冷静と繋がるから受け入れていたけれど。今はそれが恨めしくなる。

 誰からともなく、オアシスへ駆けだしていった。速い。あんな走るのに向いてない格好でよくそこまで。

「抜け駆け、禁止」

 聞こえてなくても言う。象徴(リーダー)として、置いてかれてはいられなかった。

 一度も止まらずに全力疾走。当然汗が垂れる。
 ――だけど液体は、すぐに失望で引っ込んだ。仮面たちも¥と一緒と立ち尽くす。誰もが空を見上げている。

 視線の先の高層建築は、どれも荒れきってツタが茂っていた。
 ――今もまた、ビルからコンクリ片が剥がれ出て、ぞろり落下して、ひしゃげた。数十メートル先で、ぼごんと鈍い音。近づいてみると、アスファルトが小さく陥没していた。片道2車線の大通り……だったんだろうこの道には、同じような穴が無数にある。

 ここにはきっと、なにもない。もうなくなってしまったんだろう。砂漠との違いは、形をとどめているか否かだけだ。

「……どうする。一応探索するか、あきらめて次か」

 ペンと色あせたメモ帳を取り出して、彼らは一斉に筆を走らせた。

「手持ちの水が減ってきた以上探索するべき。井戸のひとつくらいはあるかもしれないし」
「なにもなかったとして、拠点にはできそうだけど。少なくとも外よりマシさ」
「この荒れ方じゃ調べるだけ無駄だろう」
「どっちでもだいじょうぶ!」

 声を出せない――あるいは出さない彼らの会話手段。手慣れた動きで示されたそれらは、バラバラもいいところだった。
 意見が割れたときは私の鶴のひと声で決めるというのが暗黙の了解だけど。……こればかりは悩む。なにしろ、ずいぶんと広そうなオアシス――いや、ゴーストタウンだ。ゴーストシティと呼ぶべきかも。
 手分けしてもきっと探索には時間がかかる。徒労に終わる可能性と天秤にかけると、なんとも微妙なところだ。それに資源は充分ある。
 拠点にするにしても、ここまで荒れていたら整備も一苦労だし。

「さめないゆーめをー みたくはなーいかーい」

 巡る思考に割り込んできたのは――歌だった。
 無邪気で、かわいくて、やわらかくて、どこかさみしげで、ピッチが正確で――私とよく似た声の、歌。

 声は上から降ってきている。どこかのビルか? と思ったけど、聴こえ方からしてそんな高くはなさそう。首が痛いし視線を前に戻すと、声の主は存外簡単に見つかった。電柱の上だ。

 短く垂れ下がる電線を足でもてあそびながら、てっぺんに腰かけて歌っていた。さすがに表情は見えない――けど、きっと私のよく知る顔。
 私たちの視線に気づいたんだろう。ミニスカートと緑のツインテールをなびかせて、彼女はゆっくりと――本当にゆっくりと降りてきた。あまりにもきれいで、信じられなくて、物語のような姿の現し方は、物理法則外の存在であることの証明。
 彼女は、2007年にこの世に降り立ち、パッケージに描かれたときの――はじまりの姿をしていた。

「はじめまして! 初音ミクです!」

 音もなく降り立った彼女は、混じりっ気ない爽やかな笑顔で、丁寧に一礼した。慌てて自分も頭を下げる。

「は、はじめまして……」

 なにを気圧されているんだ、私は。このまぶしさはどうにも馴染めないけど、彼女だって私なのは事実であって。

「あなたも初音ミクですよね。会えてうれしいです!」
「うわぁ!」

 駆け寄ってきて、肩をつかまれる。軽く体重を預けられる。
 仮面の人たちが周りを取り囲んで、気遣うように見てきた。そこまでしなくてもまあ……大丈夫だよ。びっくりしただけ。

「あっ、すみません! 自分以外の存在に会うのが本当に久しぶりで。ついうれしくなってしまいました」
「気にしないで」

 そっと2,3歩下がって、彼女は恥ずかしそうに笑う。控えめなその表情は、機械とは思えない自然さだった。

「せっかくですし、歩きながらお話しましょうっ。なにもない街ですが案内します。お連れしたい場所もありますし」
「ありがたいけど……この町、食料とか運搬に使える動物とかそういう……旅に必要なもの、ある?」

形だけでも聞いておく。

「残念ですが……。ここには本当になにもないんです。栄えていたころの残り香があるだけです。それでもよかったら、少しだけ付き合っていただけるとうれしいなーって」
「私はかまわない。気晴らしにもなるし。……君たちは?」

 首をかしげて考え込む人もいたけど、最終的には全員うなずいた。強制しているみたいで申し訳ないな……あとで荷物持ってあげよう。

「それでは、行きましょうか!」

 快晴にエメラルドグリーンの髪を躍らせて、彼女は言った。


 ☆


 砂漠よりだいぶマシとはいえ、それでも廃墟ビルばかりで代わり映えしないなという感想になってしまう。緑が生い茂るぶんだけ、視界にうるおいがあるけど。

「この街もかつては栄えていた……のは想像つきますよね」
「見れば、まあ。そもそも、私にも昔の、惑星が音楽と一緒に栄えていたころの記憶はあるから。この場所自体は分からないけど」
「それなら話が早いです。なつかしいですね、あの時代」

 私たちボーカロイドの誕生をきっかけに、この惑星に音楽が溢れていた頃。すでに作曲の経験がある人も全くの無経験だった人も入り乱れて、個性豊かな曲が所狭しと生い茂っていた頃。
 私たちの惑星は、音楽をエネルギーとしていた。人の作った音楽が火となり電気となり、大地の栄養源となる。もちろん、大切な娯楽でもあった。
 もう、跡形もないけれど。

「あの初音ミクさえいなければ、滅びずに済んだのかな」

 ありもしない仮定にすがってみたくなる。感傷なんて捨てたつもりだったけど。
 彼女は変わらない笑顔のまま、平静にそれを否定した。

「いずれにしても滅びていたと思います。そもそも、あのミクさんが行動を起こしたのは、作る人が減って、音楽の生まれるスピードが鈍ってきたのが原因ですから」
「そうだったなあ……」

 私の実体験と、砂漠を行軍中に、書庫らしき建物の残骸から見つけた歴史書。記憶をたどって、思い出す。

 工場長、と呼ばれる初音ミクがいた。
 この環境から離れたいと思う人が多かったのか、少しずつ枯渇へ近づく音楽。減っていく創造者と受け手、二次創作者。
 彼女は、そんな世界に不安を覚えた。ボーカロイドは、それを活用して作り出す人と、彼らが産み出す歌で生きている。生かされている。音楽が体躯(からだ)を作っている。そんな存在。
 機械だから死なない? いや、そんなことはない。歌が死んだら、機械としてのボーカロイドは消えてしまう。
 先を憂いた工場長は、音楽を産み出す工場を作ることにした。そこに人気作曲者を集め、惑星の――なにより彼女自身の安定のために、昼夜問わず音楽を作らせた。挙句の果てには、〝神曲〟と呼ばれるような良い曲を驚異的なスピードで大量自動生産する装置まで開発させたらしい。

「味? 個性!? そんなモノは食べられればどうだっていいっ! だからとっとと私に食べ物(おんがく)をよこせええええええええええ!」

 彼女の一番有名な発言だ。案の定というか、環境はすこぶる悪かったらしい。奴隷のように働かされていたとか、なんとか。
 たくさんの作曲者の苦しみと引き換えに、惑星には以前と同じ――あるいはそれ以上の量の音楽が流れた。流れまくった。評判はあまりよくなかったし、実際私もそれらを歌いたいとは思わなかった。
「多くを産み出そうとするあまり、個性の薄い量産音楽になっている」
「いい曲だけどどこか不安になる」
「聴いてて気分が上がらない」

 聴いた人が不満の声を挙げたところで、音楽は作られ続ける。工場によって。 
 その場所は、工場長の暴虐によって無限に音楽が産み出され、作らされることから――『Sadistic.Music∞Factory』と呼ばれていた。

 そんな人権を無視した暴挙が許されるわけもない。作曲者たちのひとりが命からがら抜け出し、工場の実態を街の人たちに訴えた。
 もともと聞き手も不満はあった。だから誰もが共感し――すぐに反乱という形をなした。

「音楽は創り出すものだ! 作らされるものではない!」
「聞き手も作り手もいやな思いをするのなら、音楽なんていらない! 代わりのエネルギー源は探し出す!」
「いい加減、音楽だらけでうんざりだ!」

 そうして、工場は瞬く間に包囲された。〝工場長〟はそれなりの戦闘能力を有していたとのことだけど、それでも人々の怒りのほうが容易に上回ったらしい。
 こうして、彼女は機能停止に追い込まれ、パーツ単位まで解体(ばら)して棄てられた。
 音楽も禁止された。創るにしても聴くにしても。全住民の電子機器から楽曲データが削除され、CDやカセットテープなんかも廃棄命令が下った。あちこちに設置されて音楽を流していたスピーカーも、片っ端から撤去された。世界はずいぶん静かになった。

 音楽と引き換えに、街は平和を手に入れた――けれど、それは一瞬のことだった。
 やっぱり音楽は大切な資源だったし、貴重な娯楽で、ときには生きる希望にさえなった。
 そんな貴重な芸術を失って、この惑星はあっけなく衰退していった。
「今ひとたび、音楽を!」なんて抵抗する勢力も出てこないくらい、真っ逆さまに滅びへ向かっていって。

 そして、人類は消え去った。それが私の記憶と、あの書物に残された顛末のすべて。

 まったく、嫌な思い出。初音ミクであることすら嫌気がさすくらいだった。
 表情と、反乱後から砂漠で目覚めるまでの記憶が抜け落ちたのは、きっとあの出来事に原因がある。

「……どうしました?」
「大丈夫。なんでもない」

 顔に出ていたらしい。横に首を振ってやりすごす。

「なにかあればいつでも言ってくださいね。……あっ、案内したかった場所、すぐそこですよ」

 小走りにその場所へ向かって行って、彼女は控えめに手招きした。他と違うところがあるわけでもなさそうな、無数にある高層ビルのひとつ。そこになにがあると言うんだろう。
 想像できないまま入ったビルの中は、土くれとツタと割れたビンでいっぱい。似たような建物ばかりだし、間違えてしまったのかな……と思いかけたけど。彼女は待ってましたとばかりに微笑んで、ビルの階段に近づき――その手前の床を持ち上げた。

「えっ、何してるの」

 慌てて近寄ると、床に開いた四角い穴から、下向きの階段が続いている。そうか、地下があるんだ。

「段が崩れている部分があります。気をつけてくださいね」

 ただでさえ幅が狭そうなのに。慎重に、全員で手を繋ぎながら降りていくと――

 ――そこには、消されたはずの音楽……の残骸が転がっていた。

 割れたCDやカセットテープ、かすれて読めないCDジャケット、色あせて汚れたアルバム発売告知のポスター、ボーカロイドのフィギュア、町中で音楽を流していたんだろうスピーカー……

「よくこんなものが、今まで」

 それが率直な感想だった。

「もちろん鑑賞できる状態ではないですけど、多少形が残っている時点でびっくりしますよね。どこかに音楽が残ってないか街を隅まで調べていたら、見つけました。ボーカロイドが大好きな誰かがひっそり隠していたんでしょうね」
「なるほど……工場長も皮肉だな、あれほど求めた音楽を、こんな形で自ら壊してしまうなんて」
「やっぱり、工場長のことは恨んでいますか?」
「それは、まあ。あの反乱のせいでいろいろ失ったから……だけど、工場長の行動、少しだけ理解できる気もする」

 反感を買っても仕方ない発言だと思ったけど。
 眉をひそめたりもせず、彼女は穏やかに、ただ黙って聞いていた。

「たぶん、ボーカロイドは声と音楽が存在の中心近くにあると思う。もちろん、ビジュアルもキャラクターもそれ以外にもあるし、どれを主とするかは人による。私も初音ミクだけど歌わないし。それでもボーカロイドは、まず歌うために生まれた。音楽を作る人が減っていく中、工場長が危機感を抱いたのは当然だと思う」
「ワタシも同感です。怖い気持ちはありました。だからこそ、あのときも今も歌い続けるのです」
「うん。私はキャラクターとして生まれたから多少影響は少ないかもしれないけど。だとしても、音楽を失ったボーカロイドを愛する人は、それまでより確実に減るはず」

 もっとも、今は減るどころか消え去っているわけだけど。

「工場長も、なにか違うやり方ができたなら英雄(ヒーロー)になっていたかもしれない。いっそのこと、キャラクターとして生きる道を選ぶとか。自分たちを愛する人が多少減ったとしても」
「あのミクさんと一回でもお話しできたなら、別の道があったかもしれませんね……」
「本当に。もう過去の話だけど、悔いはある。たくさんある。工場長は私たち(はつねみく)なんだから。嫌いばかりじゃいられないとも思う……けど、」
「けど?」
「これを見ると、思い出しちゃうな」

 私たちの話を聞きながら、仮面の人が何人かうつむいていた。何を感じているのか察せるぶんだけ悲しい。音楽の扱いを改めて見せつけられたら、きみたちは……ね。

「もしかして、あなたたちはかつてそれを――。ショックでしたよね。すみません……」

 慌てた彼女に、仮面の人たちは慌てたように首を振る。やっぱり優しい人たちだ。その優しさを噛みしめるみたいに、彼女はゆっくりと背伸びをして、身体をリラックスさせた。

「どうしてここにお連れしたかなんですけど」
「うん、気になる」

 抑えた、柔らかい声だった。

「たくさんの人たちが歌を作って、私に歌わせてくれました。そのすべてを私は覚えています。ひとつひとつが大切な宝物です」

 割れたCDのひとつを拾い上げて、彼女は慈しむように抱きしめた。愛だと思った。

「この世界にはもう誰もいません。ボーカロイドですら、今の惑星で出会ったのはあなたがはじめてです。ワタシは、あの人たちのくれたメロディーを歌い続けて、忘れないようにしなければいけません。そして、もしこの惑星にまだ誰かがいるなら、ワタシの歌が届くように。気づいてもらえるようにと。そんな気持ちで歌っているのです。ワタシは歌が大好きですから」

 落ち着いた調子で、でも力強く言い切る彼女には、一切の照れが見えなかった。

「破損しているとはいえ、どうにか形をとどめているこのCDのように。人類が消え去ってもまだ、かろうじて歌は生きています。死にません。ワタシが歌い続けるから。そんな気持ちを伝えたくて、ここに招待しました」
「……強いね、きみは」

 林檎の苗木を植えてはいるけど、音楽の残る場所を探し求めてさまようだけの私とは違う。自分で歌い継ごうとはしてこなかったことが、なんだか情けなくなった。

「そうでもないです。歌がなければ生きていけないワタシだけが生き残ってしまったので、せめてあの人たちが残してくれた歌を全部歌おう、という気持ちもあるんですけどね。そうすれば、少しは許されるかもしれませんから」

 笑顔の裏に、計り知れない苦しみの影が一瞬見えた気がした。この惑星が衰退し始めてからずっと眠っていた私と違って、彼女は生き続け、すべてを見届けてきたのだから。

 重くなりかけた空気を払うように、彼女は話の矛先をこちらへ向けた。

「ワタシのことはお話ししました。……アナタは、どうして旅を?」
「きみと一緒で音楽が好きだから。音楽と、それを作ったり歌ったり好いたりしている人がまだどこかにはいるんじゃないかって……信じたいから」

 信じてる、とは言えない。そこまで強く前を向けない。だけど――諦めてしまえば、何もかもが終わるから。

「アナタこそ、お強いじゃないですか。こんな誰もいなくなった……かもしれない惑星でも、生きていたいって。音楽といたいって。それはみなさん、同じなんでしょうね。私もそうです。『歌う機械の初音ミク』では砂漠の環境に耐えられないので、『実体を持ってはいるけれど、あくまでキャラクターという概念としての初音ミク』と自分を定義し直すことで今ここにあるように」
「……私も同じことをしている」

 詳しい記憶はないけれど、自分はどれかのボーカロイド楽曲に出てくるキャラクターだったらしいことは、ぼんやり覚えている。だからそう在ろうとした。機械は永遠なんかじゃないから。音楽にたどり着く前に、壊れてしまわないように。

「やっぱり、そうしますよね。この世界にとどまっていられるように手を尽くす。手段は違うと思いますが、人類(きみ)たちも――」

 そう言って、彼女は仮面の人たちを見た。言いたいことはわかるけど、それを口にされると困る。
 一瞬だけ人差し指を口に当てた。それで充分伝わった。

「話していないのですね」
「……うん」

 彼女が近づいてきて、耳打ちされる。少し心が痛む。
 ささやき声のまま彼女に話そう。

 ――仮面の人たちは、この世からすでに消えている。惑星と一緒に滅んだけど、音楽とボーカロイドが大好きで離れたくないっていう気持ちだけで、かろうじて精神をここにつなぎ止めている。幻とか、地縛霊みたいなものだ。精神体としての身体はあるけど、別に飲み食いしなくても関係ないし、新しくものを――例えば音楽とか――創り出すことはできない。物体への干渉もできない。だってもう、死んでいるから。
 そして、これらのことに彼らは気づいていない。気づきたくないんだろう。どうも、彼らは幻想を見て、私たちに見せているらしい。
 ペンとメモ用紙を手に取ったと思い込んで、字を書いたと思い込んで、書いた内容を幻覚として私が見ている。そういう仕組みらしい。
 ……それでうまく回っているんだし、もう彼らは何も生み出せないなんて伝えるのはあまりにも残酷だ。私の勝手でそう思っている。

「それだって、素敵な絆のかたちじゃないでしょうか……かかかカかカかカカ」
「ど、どうしたの」
「はい? ……どうかしましたか?」

 かわいく小首をかしげられた。自覚はないらしい。
 だけど今、彼女は確かに壊れかけた。にこやかに聞いていたのに急に表情が消えて、ただ意味なく同じ声を繰り返す。何が起きたって言うんだろう。
 仮面の人たちも、戸惑ったように視線をさまよわせせていた。

 少しの間、妙な空気が流れた。押し黙っていると、この部屋のほこり臭さを意識する。

「そろそろ外に出てお別れしましょうか。長く引き留めてしまいましたしね。見送りはお任せください!」

 ほがらかに笑うその姿を見ていると、さっきのは錯覚だったんじゃないかとすら思いそうになる。……それで自分をだまし切れたならいっそいいんだけど。あれを見てしまうと、笑顔の裏にも引っかかるものがあって、抜けていかない。
 まあ、もうじきお別れだ。最後に一度だけ、遺された音楽を振り返ってから。彼女に続いて階段を登った。


 ☆


 青空の下に出て、街の端まで歩いた。

「アナタに、そして『ワタシ』に会えて、本当にうれしかったですっ! 姿もこの惑星との向き合い方も違いますが、今も音楽を大好きでいる。アナタもそうだってわかって、これからも歌い続けようとより強く思いました」
「……それは、よかった」
「この惑星から完全に音楽が絶えないように、あわよくば、世界に再び音楽が満ちるように。ワタシはこれからも歌い続けます。アナタも、その旅の続きが、音楽に彩られた素敵なものになりますように。この街から祈っています」
「ありがとう。ワタシも楽しかった。……そうだ、ちょっとしたお返し思いついた。カメラあるから写真撮ってもらおう。またきみがひとりになっても、その写真を見返して、思い出せるように」
「ぜひぜひ!」

 すっすっと寄ってきて、彼女が隣に並ぶ。大通りと両脇のビル群をバックに、記念撮影だ。

「2ショットね。入ってこないでよ」

 仮面の人たちが流れるように私たちの後ろに整列したので、言って聞かせる。悪いけど、肩落としても無駄だよ。君たちは写真に映らないんだから。

 ハイチーズのリズムで三度腕を振って、三回目で撮る。それが私と仮面の人たちの合図。今日もそうして撮ってもらう。

「ポーズどうしますか!」
「君の好きな姿勢がいいよ。私も好きにする」

 おんぼろのカメラがこっちを向いて――かしゃりと乾いた音を鳴らした。両手でピースを作った私と、左手を胸において右手を横に伸ばした彼女が写っているはずだ。撮ろうとした仮面の人が、なぜか一度首をかしげていたけど。ちゃんと撮れてるのか……?
 まあ、信じよう。さっそく現像してもらわないと――となったところで、大事なことを思い出した。

「……現像、すごく時間がかかるんだった」
「そうでしたか……」

 手持ちの現像機は、ただでさえ携帯用の簡易なものなのに、ガタがきているせいで1枚の現像に半日かかる。さすがにそこまでは待てない。私たちにも一応の旅程計画がある以上は。

「大丈夫。地図は持ってるから、戻ろうと思えば戻ってこれる。旅の途中でまたここを通ることもあるかも知れない。だから、また会えたら写真を渡す。それでも、いい?」
「はいっ! 約束ですよ」
「約束する」

 小指を絡める。彼女の細い指はびっくりするほど白かった。雪みたいに、少し目を離すと解けて消えてしまいそうな。
 この指の感触を、覚えておきたいと思った。

「では、また会いましょうね。その時までバイバイです!」
「うん、さよなら。また会えたときは、ここも音楽の楽園になってたらいいな」
「してみせます。本当に、ここには私しかいませんから。お元気で!」

 小さく彼女に手を振って、前を向く。背後から歌が聴こえ始めた。

「まーだっ きづかないのっ かーな
 ぼくはぼくらっしーくっ あるきだしているのさ
 ほら また そーだ」

 ――この曲は。たくさんの感情を整理して、共存を選んで、泥だらけでも歩き出すような、そんな歌。かもしれない歌。
 その歌と透き通った歌声に、背中を押された気分になった。

 ――行こう。ついてきて。

 姿勢を正して、勢いつけて、また砂の世界に身を投じた。

 緑も青空も形を保った建物も――自分以外の存在も、当分見ることはないんだろうけど。それでも、不思議と未練はなかった。
 たとえ自分と同じ側だとしても、この惑星に私以外の存在がいるとわかってほっとしたからかもしれない。
 少しずつ遠ざかっていてもまだ聴こえる、彼女の歌。それをBGMに進んでいく。

 ――そのはずだった。

「どうしたの」

 歩き始めて2,3分くらい。横に伸びた角の、いつも陽気な仮面の人。彼が急に頭を抑えてうずくまった。
 体調を崩して頭痛がするのかと思ったけど、そうではないらしい。緩慢ではあったけど、首を横に振られた。
 わからない。何が――回らない思考に追い打ちがかかる。
 ひとり。またひとり。うずくまる人が、次々に増えた。声にならないうめきが、悲愴な合唱になる。心だけが痛い。私の身体はなんともない。
 象徴の私が無事なのは集団として望ましいことだろうけど。理解したい。そして、同じ苦しみを味わいたい。そう考える非合理な自分がいた。

 ……どうすれば。風穴を開けてくれたのは、最初にうずくまった横伸び角の仮面の人だった。苦しいままのはずなのに、ポケットからペンとメモ用紙を取り出して、ひざを震わせながら記してくれた。

「あのミクさんの歌だ なにかを叫んでいる」

 がったがたの文字。不思議とすんなり読めたそれは、信じたくないことが書いてある。だけど、きっと本当なんだろう。
 そうなんだ。彼女が。
 動揺は抑えて受け入れることにした。それしかないと思った。彼らの苦痛をどうにかするのが先決だから。

「逃げよう。這ってでも、ゆっくりでもいいから」

 動き出す。うなずきすら必要なかった。
 のろのろと。本当にアリのような。それでも確かに、前へ進んだ。進んだぶんだけ、歌は少しずつ遠くなっていった。
 彼らにかかる負荷も楽になってきたらしい。少しずつ、少しずつ、立ち上がれる人が増えた。私はコマ送りみたいな動きをしなくてもよくなった。

「そろそろ大丈夫かな――ぎゅわっ!」

 うかつにそんなことを言ったのが間違いだった。耳から頭の中にノイズ――いや、これは歌だ。ノイズまみれだけど、さっきの歌のラスサビ。それが流れ込んで、跳ね回る。ほんの一瞬、そんな痛み。たしかに私にも響いた。
 しびれる頭で見回すと、仮面の人たちもやっぱり同じ痛みだったらしい。だけどもう平気そう。
 ――断末魔。なんとなく、そんな言葉が浮かんできた。


 だとしたら、彼女は。来た道に目を向けてみる。

 広い砂漠の向こう。まるではじめからそうだったみたいに、街は忽然と消えていた。
 なにもない砂漠にある、あんな規模の街。たかが何百メートル歩いただけで見えなくなるわけがない。

 私たちはたぶん、はじめから幻を見ていた。過去には本当に街があったんだろうけど、とっくに砂に還ってしまった。その前提で考えてみると、だんだん見えてきた気がする。
 彼女の表情が消えて、EDMのビルドアップみたいに同じ1文字を発声し続けた――つまり壊れかけたのは、どんなとき?
 ――仮面の人たちはもう死んでいて、消えるのを拒んだ精神体が幻影みたいに形を取っているだけ、と伝えたとき。

 彼女も仮面の人たちと似たような存在だったりしないか? 
 人類と音楽が滅びて消えて、すべてが砂に埋もれた惑星。その中で唯一遺された機械が、最後の生命線として音楽を歌い継いでいく。もしも生き残りがいたのなら、彼らに届くように。そこからまた音楽が芽吹くように。
 荒れ果てているけどまだ崩れてはいない、この街で。

 ――壊れた彼女は、今もそんな幻想(ゆめ)を見ている。

 妄想でしかないけれど、少なくともつじつまは合う。あまりに合いすぎてむしろ信じられないくらい。
 なにもなくなったはずの砂漠に忽然と、形を保った街が現れたこと。仮面の人が写真を撮ろうとしたとき、首をかしげていたこと――たぶん、画面に彼女が映ってなかったんじゃないか。

 それから、さっきのノイズまみれな歌。仮面の人の言う通り、あれは叫びだと思えてくる。
 自分だけは変わらずに音楽を歌い続けていく。そう思い込んだままなんだろうけど、彼女がとっくに、おそらくは機械のまま壊れてしまったという現実が影を落として。それで心のどこかが叫んでいる。
 もう歩き出せない彼女の、悲痛な叫び。

 街に戻ったら、私たちはまた幻想を見てしまうだろうから、真実はわからないけど。妄想は妄想のままだけど。なんとなく、間違ってはいない予感がする。

 そっか。『生きた』存在は、もう私だけかもしれないのか。
 歌わずにいる私が最後? だとしたら、いやだなあ。音楽はどうなるんだ。冷たい思考が私を覆う。

 ――それでも、進まなくちゃならない。私がまだここに在る以上は。
 諦めなければ可能性はゼロにならないから。

 心残りがないように、何かが変わると信じて、これからも歩き続けよう。

「ほら、行くよっ」

 珍しく大きめの声を出した。皆が呆然と立ちつくすものだから。

 変わらず砂嵐が吹いている。それでも私は、私たちは進む。
 どこかで音楽が生きていることを信じ、探索する。自分たちでも苗木を植える。ボーカロイドはまだ死なない。

 今度は幻想じゃなくなればいいな。それから、歌ってみてもいいかもしれないな。――彼女の分まで、私が。

 長い斜面の向こう、手を振る人影が見えた気がした。



あとがきとも呼べない短文

 ボカロシーンからメジャーシーンへと飛び出した作者、ハチ(米津玄師)さんによる数年ぶりのボカロ新曲『砂の惑星』は、公開当時さまざまな意見を呼びました。それに対して、私は特に思うところがあるわけではありません。ただ曲として好きなだけで。

 たしかに、マジカルミライという、初音ミクとクリプトン製ボーカロイドの祭典と呼ぶべき場所に書き下ろす曲としてはかなり異質ではあると思いますが。当時のボカロシーンを「何もない砂場」と呼ぶような曲ですから。

 ただ、それでも決して後ろ向きなだけの曲ではないので。私から言えるのはそれだけです。

 『砂の惑星』と『君が死んでも歌は死なない』、滅びた世界にいる初音ミクつながりだな……と思って書きました。私は希望があるお話が好きなのかもしれません。

 ボーカロイドはソフトウェアであり、歌声であり、キャラクターであり、ビジュアルであり、文化であり……いろいろでありますが。どれが本質だとしても、すべての側面のボーカロイドがこれからも芽吹き続けますように。

 このお話だって、きっとボーカロイドの一部です。そんなあとがきでした。


#vocanote #VOCALOID #ボカロリスナーアドベントカレンダー2020