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本当に美しい最期の生き方(2)

こんにちは。

以前投稿してからなんと4カ月も経ってました。。。

今は臨床系の学習が始まり、テストもひと段落したところです。
前に書きかけていたこのnoteを、まずは書き上げてしまおうかな。

僻地循環に行った日のお話を。

朝6時に友人と公園で待ち合わせて、車で2時間ほどかけて集合場所となっている小さな病院へ。
よく眠れていなかったのに加えて朝早かったので、睡魔との戦いでした。

そういえば、以前のnoteで僻地医療と地域医療の違いを、と述べていたのでここで補足を。
地域医療=僻地医療、ではありません。
地域医療は、その地域に根ざした医療のあり方のことなので、都会であっても地域医療は存在し得ます。

到着した病院で医師、看護師、運転士の方にお会いし、訪問診療のための荷物を車に積み込んで、病院を出発しました。いよいよ僻地循環見学の始まりです。

山の中の一本道をずっとずっと車で進むことおよそ1時間。
最初に訪問診療を行う集落に到着しました。
十数件ほどで構成された小さな集落で、お店も何もありません。

年季の入った「診療所」は、集落の方が交代で鍵の開け閉めを行っています。
元々公民館であったここは、地元の住民の方々の交流の場としての役割も果たしていて、今回は3名の患者さんの診察を見学させていただきました。

自分の日常生活を考えると、本当に「何もない」地域。
でも、患者さん方にとっては住み慣れた居心地の良い場所であり、安心して暮らせる地域なのです。

お昼の12時を知らせる警報が地域に鳴り響いた後、童謡の「しゃぼん玉」が聴こえる中、地元の方が作って下さったおかずと一緒に昼食を頂きました。

地域の中で暮らす人々と、のどかで心豊かな、あたたかいときを共にしました。

実習の合間の時間に、ぜひ!と先生方が連れて行ってくださった神社


午後は別の診療所へと向かいました。
ここでは5名の患者さんの診察を見学させていただいた他、実習にいらしていた看護学部の学生の方々ともお会いしました。

印象に残ったのは、照れくさそうにはにかんだ患者さんの笑顔、そして自分とは異なる視点から、真剣に医療に向き合おうとする看護学生の方々の姿勢。

患者さんにとっての一番の幸せとは、何なのか。

人が、本当に幸せに生きるとは、どういうことなのか。

家庭医療は、個別性の高さのゆえにマニュアル化が難しく、また医療の効率の良さという観点から考えても、必ずしも優れているとは言い難いものです。
けれど、必要として下さる方々がいる限り、地域へと出向く医療者がいる。

地域へと出向く医療者の診察対象は、疾患や患者さんそのものに留まりません。患者さんを取り巻く周囲の環境も診察対象です。
例えば、足を骨折してしまい地域から車で1時間の麓の病院で入院していた患者さん。お家へ戻られることになったとき、家の内部をも確認し、手すりの設置を提案することも家庭医療の一つです。

「医療」という言葉を聞いてこれまで自分が思い浮かべるものは、大都市にそびえたち、仕切りや規則で厳しく区別された大きな病院でした。
しかし、今回の実習を経て自分が見たのは、涙が出るほど美しく人間らしく生きる人々と、共に歩むものでした。

医療が、一つの組織として独立して存在するものではなく、それぞれの地域で暮らす人々の間に溶け込むように存在している。
この地域医療実習を通して、最も印象に残ったことです。

自分も総合診療医として、患者さんと共に幸せの在り方を模索する医師になりたい、と実感しました。

日々の座学だけだと、なかなかこうした実際の医療の姿を忘れてしまうけれど、時々思い返しつつ、学んでいきたいものですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。