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本が流れた夜、恋の棚卸し5/23

 限界まで積み上げられた本が、ささいなことでバランスを崩し、床一面にバラまかれる現象を書籍流と呼んでいる。一般的な名称かは知らない。


 この現象の厄介なところは、通常しまうべき本棚の空きスペースが無かったり、手元ですぐ閲覧したい本、または本屋でなんとなく購入した本を積ん読したものが一気にシャッフルされ、脳に格納されていた「あの本はだいたいこのへんにあるよねMAP」が完全に崩壊したあげく、きちんと片付けるにも空きがないという八方塞がりの状況に陥る点にある。

 片付けの到達点に当たる「本棚にきちんとしまわれた状態」が最初から不可能なため、書籍流を片付けるということは「元の散らかった状態に戻す」という大変中途半端な状態を再現することになり、まったくやる気が起こらないワケだ。

「誰だよこんなに本を買ったの……。そもそも、なんだよこの『強運をつかむ赤ちゃんの命名風水 』って。まったく購入した理由がわからない!」

 書籍流がおこると、こんなふうに過去の自分に悪態をつきながらだらだらと床に座りながら一冊一冊眺めては適当にまた積み上げていく絶望的な作業を強いられることになる。

 ちなみに『強運をつかむ赤ちゃんの命名風水 』は、仕事でのシナリオ執筆時に萌えキャラクターの名前が浮かばないときに衝動買いしたもの。思い出したときには読破していた。このような本を読むときに気にするべきは一般に天格・地格とかいう画数だったりするのだろうが、筆者がもっぱら気になるのはひたすら、もしその名前になったらつくであろうあだ名のほうだ。


 天格が悪いことが理由でイジメにあうことはないが、あだ名がうっかりインパクトをもち、一人歩きするとそれだけで学校での立場が決定されてしまう恐ろしい側面をもっている。

 例えば、筆者の苗字「久保内」は小学三年のころ、クラスで一番足が速く、クラスで一番思慮の足りない男に「久保」と読み替えられ、肥満児の筆者に一生消えない傷を残した。「久保」は一瞬でクラス内を一周して、戻ってきたころにはシンプルに「肉」が自分の呼称として小学卒業まで定着したっけ……。

■セブンデイズウォーを投げつける愛しのキャロル

 中学進学と同時に引越したため肉の刻印から逃げ出すことに成功した筆者だが、体に貯めこまれた肉の存在感は増すばかり。中学時代に筆者の体の上を通りすぎていったあだ名は、ジャイアンとブタゴリラ(これも酷いあだ名だ)の合成語として「ジャイゴン」、豪速球な「キーパー」など。どれも乱暴に筆者のたるんだ肉体と、脂肪に守られた繊細な少女のような心を「胸、一回五円で揉ませてやるよ……。揉んだこと、ないんだろ?」と童貞中学生相手に商売をする熟女に育んでいった。いつの間にか自分のデブが由来のあだ名には何も感じなくなっていて、笑いのネタにもできるようになっていた。

 しかし、そんな肉体だけでなく心にまで脂肪がたっぷりと付いた筆者の心を一番えぐったあだ名があった。「セブンデイズウォー」がそれだ。


 「肉」だって、中学時代にもなると恋をする。クラスでも一見地味だが、顔の整った図書委員の女の子と放課後になんとなく話をしてお互いの本を貸し借りしあったりする。宗田理の小説「ぼくらの七日間戦争」を、「映画化もされたから……(よければ自分と一緒に観ないか)」という理由でかばんに潜ませていても誰が責められようか。

 しかし、貸し借りの現場をクラスで一番サッカーが上手ですでに童貞を失っているのではないかと噂される、クラスで一番配慮のない男に発見され、ニヤリと笑われ「セブンデイズウォー」というあだ名が誕生。しかも、図書委員ちゃんはそのクラスで一番の男に恋をしていたらしく、弁解のため泣きながら「私こんなセブンデイズウォーなんか嫌いだから!」と、筆者と七日間戦争を同時に否定したのだ。

 今、思い出すだけで当時の自分を抱きしめて慰めながら「痩せろよ。痩せないとこれから20年以上、お前はその立ち位置だ。20年後の俺が保証する」と言ってやりたい気分になる。

 実は「ぼくらの七日間戦争」はTMネットワーク(後のTMN)の大ファンだった図書委員からのリクエストだった。映画版のエンディングテーマを歌っていたのだ。当時、TMネットワークのなかでもとくに木根尚登に大きな愛を注いでいた彼女は、木根尚登の処女小説である「CAROL」にゾッコン。

 惚れた弱みでなんでも「それ、わかるよ」としか返答しない肉塊になっていた筆者にたいして「もし、世界中の音が失われたらどうする?」だとか、「異世界って、ホントはすぐ近くにあるものなのかも?」とCAROLの異世界ラ・パス・ル・パスに旅立ちまくった油断した姿を晒していたのだ。その姿はCAROLの主人公の少女・キャロルのようだった。えっと、これは悪口ではない


 「よりにもよって木根尚登を選ぶセンスならば、間違えて自分のことだって好きになるのではないか?」という中学時代の筆者の下心は結局、クラス一の男によって粉砕されたわけだが、彼女のこの秘密をバラし、あだ名を「キャロル」にすることを選ばなかった。これは当時の筆者にとっての最後の優しさと言ってもいいだろう。

 ところで、なぜこんな話を書いているのか。それは、自分の背後で盛大に崩れた書籍流に原因がある。その中に、彼女に渡すつもりだった誕生日プレゼントであるアニメビデオ「CAROL」がまぎれていたからだ。

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 言ってみれば、鏡の国のアリスならぬ、本の国に迷い込んだキャロルを20年の歳月を超えて救い出したようなものとカッコつければこの話は綺麗に着地するだろうか?

 今日はこの辺で。いよいよ、マシュマロがカオスじみてきた。よろず質問受付中。答えたり答えなかったりします。


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