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ハロー! サムライこと有馬6万文字インタビュー

一昔前、モーオタの回顧録のような本を作ろうとして、ある程度書いて放置していたものの中で、サムライこと有馬先生のロングインタビューを収録していた。今回、Gmailを検索してみたらドカンと出てきたので、明らかにヤバい部分を除いて約6万文字超のボリュームで掲載してみようかと思う。

それも、インタビュー起こしから無編集で、注釈もナシのハードコア版。ちゃんとまとめて編集して……とすると、工数で10万円以上かかるからね……。

それでも、アイドルに目覚めたころの話や、モーニング娘。トークショー前夜、爆音娘、キッズ、エッグ……。なつかしい話がてんこ盛り。サムライマニアにはたまらない内容になっていると思います。まずは、タイトル画像のように吉川友の後ろで勝手バックダンサーをしていたころの話からインタビューは始まります……。工藤遥にホームレスと言われてネットが荒れたけど写真が出た瞬間終息したあの事件の顛末も掲載されているよ!

さすがに6万文字&一部ざっくりカット以外はほぼ無編集でどこまで配慮が行き届いてるか謎ということで、このnoteは有料でお届け。もし、売り上げが万円単位になったらそれを元手に、さらに有馬先生のお話を聞いて記録する原資に充てさせていただきます。

いやね、本になってないのに、このインタビュー撮るのに、銀のさらで寿司をとって、ギャラも渡していることを思い出したんでちょっと悔しくなって…… ということで、インタビューの始まりです。

伝説のアイドルオタ・サムライ超ロングインタビュー6万文字

2011年の7月ごろ……? 収録。

――じゃあまず、日テレのPON!で勝手バックダンサーとして有名になった件から…
「吉川?」
――あれ、吉川友だったっけ。
「あれでしょ、日テレでしょ。僕はたいてい行ってるよ、ハロプロ系(の収録)は。あれって要は、平日の11時からとかで、たいていその日に発表するのね、要はあそこに人をあまり集めたくないから。それで朝行って……」
――え、どこで発表されるの?
「ツイッターが多いかな。じゃなかったら、前日とかに番組サイトで告知出たりして。それで、もうちょっと前から行くときもあるんだけど。結局一週間前とかにそれを告知しちゃうと、ベリ(Berryz工房)とかそうだったんだけど、ベリって一週間前に告知したら300人ぐらい人集まっちゃって、大変なことになったから。僕がいるときってたいてい10人ぐらいしかいないんだけど、そういうときってのはもうその日の朝とか告知なんだよ。でも、たいていCDの発売週や発売日だからだいたい目星はつくわけ。たとえばスマイレージの発売週だったら、今日朝あるかなぐらいのことは思っていて。でも、吉川のときは前日にもう告知してたわ。なぜかというと、前日の夜に(?)振り付け覚えたから。あのときは前日だったから……あのときは、じつは『きっかけはYOU!』の振り付けちゃんと覚えてなくて、前日に見てちゃんと覚えたの。行くと、出演が出て『PON!』だから10時半から11時半なんだ。10時半から11時半までってことはリハがあるわけよ。トークしかないと本番ちょっと前に打ち合わせして終わりなんだけど、歌のリハがあると1時間前ぐらいにリハやるから分かるわけよ。僕の場合は絶対にリハ前に行く。何でかというと、そのカメラの立ち位置がわかる。ハンディと固定があるんだけど、それがだいたい。吉川のリハのとき、僕ひとりしかいなかった。僕ひとりしかいないとどうなるかっていうと、向こうから吉川が「おはようございまーす」って、おはようございまーすってなるんだけど。客ひとり、吉川ひとり、スタッフしかいないところで。するとカメラがあって吉川がいて、それでその後ろの自分はどこに映るかはわかるじゃない」
――最初からテレビに映りこもうという?
「あのときは意図的に。要は自分から見ると、吉川の背中の頭越しにカメラのレンズが見えるよう、わざとそういう立ち位置に立つ。だってそこまでやらないと踊り覚えた意味ないじゃない。そのだいたい立ち位置を見て、それで振り付けも覚えて。そんな感じ。あとは本番で」
――それ、リハのときも、後ろで踊って自分もリハしたんだ。
「もちろんもちろん。だってほら、ワンコーラスだったりショートだったりロングだったりするから、それの尺もわかんないから。そうするとイントロとかの振り付けもいきなりかかってくるので、そういうのもちゃんと見ないとわからない。あのときはもう、とくに人いなかったし。べつに行っても必ず歌やるともかぎらないし。だから振り付け覚えて行ったけど無駄になったこともあるし」
――え、あれ、いまもやってるんだっけ。
「やってる」
――どれぐらいのペースで、(今度?)それいつあれしたの? ハロプロのとき……。
「ちゃんと数えてないけど、去年5回ぐらいやってるよ」
――吉川友ってファンなの?
「またいちいち話長くなるけど、吉川友はもともと……ハロプロエッグってのはわかりますか。僕はエッグが好きなんですよ。要は和田彩花なんだけど。真野(恵里菜)ちゃんがメジャーデビューするときの年に、真野ちゃんのバックでみんな出てきたのよ。いまのスマイレージの子とか、そのほかのたとえばアップアップガールズ(仮)にいる関根梓とか……で、スマイレージがメジャーデビューしますとなったときに、真野ちゃんのバックをスマイレージができなくなったので、その代わりにきっかとか入ってきたわけ。きっかとか北原沙弥香とかがバックダンサーやった時期があって、そのときに結構……僕も真野ちゃんが好きだから、さすがにスマイレージのメンバーがいたときほどではないけど、ちゃんと行ってたわけよ。そのときに一応握手もしてみたいな。それで一回ね、すごい徹夜のイベントが続いた日があって、体調崩して、僕が。それはいまも忘れもしない、新三郷なんだけど、新三郷でもう超体調が悪くて、ぶっ倒れそうになってて、でも徹夜して行ってて。そのとき真野ちゃんのイベントが3回あって、バックがきっかと誰かしらいたんだけど……で、やったときに、一回目の握手のときももう疲れて、ぶっ倒れそうだみたいな感じで進んで。ほかの子には普通にやって、きっかには無茶ぶりで『いま僕、ぶっ倒れそうなんで、元気になるダジャレ考えて』って言ったんだよ、握手しながら。そうしたら『えっ!?』て言われた。そんなの思いつくわけない。『えっ』て言われて、まあそのまま流されますよね。『まあいいや、じゃあねー』っつって。したら、2回目のイベントの2回目の握手のときに、そのときはさらに体調悪かったんだけど、きっかが僕はなんにも言ってないのに向こうから勝手にダジャレ言ってきたのよ。1回目と2回目のあいだにわざわざ考えてくれてて。それがえらい感動して」
――それはソロになる前?
「まだ真野ちゃんのバックやっていた。ソロデビューする前。……でも推しメンじゃないんだけどね、そういう恩があるんで」
――で、『PON!』の動画って、YouTubeでえらい話題になってるじゃん。あれって自分でも見たんでしょ?
「見た見た。え、きっか?」
――いやいや。
「そういうのだって、自分が映るってわかったから、その日のうちの夕方から見たけど」
――それでニコ動とかでみんながブワーッとコメントしてるの見てどうだった?
「いや別に(笑)」
――そうだよね。それまでにもいっぱい話題になってるもんね。
「まあうまくいったなと。だから、オール・オア・ナッシングじゃないけど、どうせやるならちゃんとやったほうが面白いんじゃないの。どうせやるんだなと思って、前の日に振り付け覚えてみたいな」
――そういうのをとにかく覚えて、バリッと(回収?)するとかって、BerryzのYouTubeのあれとかもそうじゃなかったっけ。あれはどういう経緯だったの。まだPVとか出てない頃だよね。
「『スッペシャル ジェネレ~ション』でしょ。Berryzの、あのときは何だっけ、夜中やってた番組……『よろしくセンパイ』かな? あとで調べてもらえばわかるけど……か何かのときに、レッスン風景を流してたんですよ。一週間ぐらい、PVとかまだ出す前、テレビとか出る前のレッスン風景をずっと流してて。それを見て、わからないところは想像というか、ほかのメンバー見て補完して、8割、9割方だいたい振り付けわかったかなという状況で。フルでわかったほうが覚えやすいじゃん、ほかの人が。だから踊ってみたわけ。文字通り『踊ってみた』なんだけど。だから細部、間奏の部分とかわかってなかったりするんだよね。ここまで踊るのに覚えやすいよというだけで、もともとそのために撮ったから、あれ。人に見せるという」
――噂になった吉川友のほうなんだけど、あれ本人見たとかとかそういう話とか……。
「そんなの言ってる言ってる。この前の……次の曲出る前も、握手会とか行くと『次も後ろで踊ってくださいね』みたいなこと言うもん。しかもきっかだけじゃなくてmichitomo先生も言ってくるんだよね、それ」
――michitomo先生?
「きっかの曲とかももクロの曲(「走れ!」「全力少女」など)とかの。(音楽プロデューサーの)michitomo先生がオタなのよ。michitomo先生が何か知らないけど、僕のこと昔から知ってたみたいで、きっかのイベントのときとかに、michitomo先生が僕に普通に話しかけたりしてくるから、スタッフがそれを制止できなくて困るという状況が最近あるんだよね。一応スタッフで、僕はオタだから、でもmichitomo先生そういうの全然関係ないから、『今度出てくださいよ。またポーズやって踊ってくださいよ』みたいな話をするわけよ」
――そんな好感触だったんだ。話題になったから?
「うん。そういうときに、ユニバーサルの人がmichitomo先生の肩叩くわけ。でもmichitomo先生そういうの無視してしゃべるから、全然制止できない。で、きっかも言ってくるから、それはべつに……。まあ実際、あれでいくらだっけ? 何万?」
――何十万とか再生数出てるわけでしょ。
「日本より台湾のほうが多いんだよね。まあいい宣伝になってよかったんじゃないかな。実際あれできっかを知った人っていうのが一人でもいたら、それでいいじゃん」

  ◆14分前後

――一番最初の話やろうか。初めてアイドル好きになって、このアイドルオタ道に入ったきっかけとか……。
「最初は富田靖子だね」
――富田靖子の何に、どんなふうに?
「最初富田靖子の声ですね、じつは。映画とかじゃなくて、ラジオで、文化放送で『チャレンジ名作ライブラリー』ってやったのよ。人気ある本とか有名な本を朗読するって番組で、それをラジオで聴いてて声が好きだったね、富田さんの」
――何歳ぐらいのとき?
「僕、中二とか。で、レコード買って。逆に富田靖子のファーストアルバムっていうのは、作詞をおニャン子やる前の秋元康がやってる曲とかすごいよかったりするんだよね」
――あれって秋元の仕事だったっけ。
「そう、秋元がたぶんアイドルに曲書いたの初めてぐらい。秋元康自体の作詞家デビューは稲垣潤一の『ドラマティックレイン』なんだけど、アイドルに書いたのはおニャン子より前だから……とんねるずとかやる前後ぐらいだから結構前なんだけど。それはいいんだけど……コンサートも何回か行って、当然映画も見て、ずっと富田靖子だったの」
――グッズとか集め始めたのも富田靖子、最初?
「コンサートでシャツ買うぐらい。あと当時、いまでいうアンオフィっていうか、あれがもともとの生写真か。生写真屋がいまと同じ竹下通りの入口んとこにあったから、テントみたいな店、あそこで買いましたね。で、高校に入ったら『夕やけニャンニャン』が始まったんだけど、おニャン子には流れないで、島田奈美に行ったの」
――島田奈美? 名前しかわかんないわ。
「島田奈美ってモモコクラブの」
――モモコクラブっておニャン子と同時期だったっけ。
「同時期。モモコクラブ自体が、要は、登録は何千人もいて、そのなかで本当にデビューするのはほんの一握りみたいなそういう団体なんで。島田奈美ってのはちゃんとデビューした組で、高校のときはずっとほとんど島田奈美だったかな」
――前に有馬先生のところに行ったときに、牧瀬里穂とか……あれってもうちょっとあとか。
「もうちょっとあと」
――そうだよね。広末とか。
「だからそのへんはべつに好きってほどでもないんだよね。当時からべつに、いまでも家にあるけどさ、宮沢りえのマクセルのタペストリーとかあるけど」
――玄関の扉開けたときに、「沖田総司はBカップ」とか書かれた陣笠……?
「あれはもう、さすがに破損したから捨てちゃったけどね。引越し先にもしかしたら持ってきてたかな。たぶん捨てたと思う」
――あら。
「べつに牧瀬里穂とかはそれほどでも。やっぱ島田奈美とか。それぐらいのときに『よい子の歌謡曲』とかを本屋で見つけて、まあくだらない(脚本?)を書いてみたり」
――本を見つけて、その人たちとどうコンタクトをとったの?
「最初は投稿をして、それから編集部に遊びに行ったのかな。たしかそうですよ」
――『よい子の歌謡曲』ではどんなのやってたの?
「いや、もう思い出したくない(笑)。くだらない、どうせ……いや、読みなおしてないから、何を書いたかもさだかでない。たぶん何書いたかは、テルヤスさんとかのほうが覚えてる。まあ若気の至りですよ」
――俺が聞いたのは、(?)が終わってからかな、小西康陽はアイドルだっつって、ペーパー書いて小西康陽の家に投函してたってのは聞いたことあるけど。
「それは僕とテルヤス、ネモトとかそのあたりでやったの」
――どんな内容だったの、それ?
「プリントゴッコで色々刷って」
――何で小西康陽がアイドルなの? あと、ゴーゴーダンサーとかの話とかも聞きたい。
「僕はそんなに、テルヤスさんとか……一番ピチカート・ファイヴとかハマったのはテルヤスさんだと思うんだけど、それほど元からピチカートとか好きだったわけではないけど、何だかんだいっても当時のピチカートは面白かったし。一般のそれこそコロムビアに移籍したちょっとあとぐらい、シングルCDとかいっぱい出した時期とか」
――「万事快調」のあたり?
「うん、そうそう。それで『よい子』の最終号かその前かぐらいのほうで小西康陽さんにインタビューしてるのよ、テルヤスさんが。僕はしてないんだけど。で、その縁で送ってたの。いろんな色で、プリントゴッコで原稿みたいなのを書いて刷って100部限定で送るみたいなことはやってましたね。でもそれをやったのはテルヤスさんが主で、僕はお手伝いではないけど。で、当時それぐらいの時期になると、島田奈美はもう引退してるのね。アイドル引退してライターになったっていう。いまでもライターなんだけど。僕はだから90年代ぐらいから、レコ屋に勤めた」

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