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「50歳をすぎても現場に通い続ける」アーリーリタイアしてアイドルオタクへ 5/26

本日も忙しめなので、過去の蔵出し原稿。50代で大手会社をアーリーリタイアして、アイドルオタク&野球オタ専業(?)になった方へのインタビューをもとにした原稿です。端的に言ってうらやましいので自分もアーリーリタイアしたいわけなんですけど、もし自分がアーリーリタイアしても、アイドル現場に行くほどアクティブになれないなとも思っている。

■脱サラしてアイドルオタクへ

 ◆ハロプロから遠征を始める
 Sは現在50代前半。3年ほど前に大手企業をやめてからというもの、仕事らしい仕事はしていない。

 世代的には80年代初めのアイドル全盛期をリアルタイムで経験しているSだが、見るアプローチはいまとはずいぶん違ったという。「というのは、(当時はアイドルの)現場があまりなくて。デパートの屋上とかレコード屋の店頭で歌って、そのあと握手会やサイン会というのはあるにはあったけど、そもそもこの頃のアイドルはまずテレビの中の存在でしたから。だからべつに、通って認識してもらおうとか、接触しようとかっていう意識はほとんどなくて」。

 唯一、当時出入りしていたアイドルのミニコミ誌の関係から仲良くなったアイドルがおり、彼女のイベントだけには頻繁に通っていたものの、それは例外中の例外。「いまの言葉でいえばたぶんDD」のSは、どのアイドルのコンサートでも見られれば見るという感じで、とくにひとりのアイドルを追っかけて全国を回ったりすることはなかった。

 その後、おニャン子クラブが登場する。『夕やけニャンニャン』は毎日見ていたが、当時Sはすでに就職しておりもっぱら録画での視聴だった。「あれがもし学生だったらフジテレビまで行ってスタジオ見学なり出待ちなりしてたかもしれないけど、でももう働いてたからテレビで見るもんだと。ライブで見たのは2回か3回くらいしかないです」。ちなみに好きだったメンバーは、最初は永田ルリ子、次に横田睦美とわりと渋めだが、渡辺満里奈が出てきたときには「この子キター!」みたいな感じであったという。

 おニャン子で初めてアイドルのファンクラブに加入したSは、満里奈がおニャン子を卒業してソロになってからのファンクラブにも入っている。一方で、当時、おニャン子をはじめアイドルには親衛隊と呼ばれるファン集団が存在したが、乗りが体育会系で、公開収録やコンサートには有無を言わさず駆り出されるため、DD志向の自分には合わないと思い入ることはなかった。


 おニャン子が登場してもアイドルに対するSの認識はそれほど変わらなかったという。劇的に変わったのは、ハロプロに行くようになってからだ。

 学生時代にはアイドルの追っかけなどしたことのなかったSが、ハロプロのBerryz工房や℃-uteのツアーを追って全国を遠征したりと、現場に何度も足を運ぶようになる。友達も加速度的に増えてゆく。当時すでにインターネットがツールとして確立されており、普段から掲示板やSNSでやりとりしていた人と、現場で実際に会ったりすることでどんどん友達が増えていった。名古屋や大阪、九州など地方在住の友達ができたのも、ネットのおかげだ。


 Sが最初に地方へ遠征したのは、モーニング娘。が「おとめ組」「さくら組」に分かれて全国ツアーを行なったとき、「おとめ組」の京都公演を見に行ったときだった。

 アイドルのほかに野球のファンでもあるSはそれ以前から試合観戦のためあちこちに遠征しており、サラリーマン時代には毎年夏休みをとると大リーグ観戦のためアメリカに行っていた。それゆえアイドルのライブのため地方に足を伸ばすのも、野球をアイドルに置き換えるというぐらいの感覚だったのだが、続けるうちにどんどんハマっていく。

 モーニング娘。のあとすぐにBerryz工房にハマり、最初のツアーから通い始める。そのうちに℃-uteが出てくるとやはり同様に全国各地に遠征することになる。「いや、何かそういうのが当たり前っちゅーか、まあ行くもんだなと。行くとまたそこにいっぱい友達がいるので、知った顔がいれば安心するし夜飲みにいけば楽しいし、そういう楽しみ方もしてましたね」。


 どちらかといえばオタ属性はあまりないというSは、ライブの座席でもどうしても前で見たいなどといったこだわりはあまりない。最近ではむしろ安い価格でチケットを入手し後ろで見るようにしているという。「毎回リピートしてる人のなかには、出席確認とか推し(メンバー)へのアピールみたいな感じで前に行って連続ジャンプしたりする人もいますけど、僕はそういうことはしないし、前に行ったからって推しが手を振ってくれるわけでもないので、だったらまあ後ろでいいかなって。それに、これは皮肉でも何でもなくて、ハロプロってやっぱりパフォーマンスがしっかりしてるから、後ろでも楽しめるんですよ」。

 ◆会社でもオタ隠しはしなかった


 サラリーマンでアイドルオタをやっていると、会社ではその趣味を隠したがる傾向がある。しかしSは入社したときからオタ隠しはしていなかったという。その時々で一推しの子の写真を、会社の机の上に飾ったりパソコンのスクリーンセーバーにしたりもした。べつの部署から来た知らない人から、机の上の写真について「かわいいお子さんですね」と言われて、「ああ僕、子供大好きなんですよ」と答えるということもあったとか。その様子を見て、部下がくすくす笑っていたという。

 部下たちもSのアイドル趣味は理解していて、一緒に飲みにいくと、鞄のなかからBerryzの写真を出して、誰がかわいいと思うか聞いたりもした。ただ、その部下たちも、毎年新人が入ってくる4月上旬になると、「(机の上の)写真はしまっておきましょうよ」と進言してきたという。「いきなり上司の机を見てドン引きされて会社をやめられたら困るでしょう。徐々に私たちが慣れさせますから」というのがその言い分だが、部下の気遣いがうかがえる。


 ちょっと気まずかったのは、一度現場で会社の同僚と会ったことだ。Sの勤務していた会社は数年前に合併、その合併先の会社で一緒の部署になったなかに、なんとなくオタらしいという噂を聞いていた人がいた。たまたま出かけた名古屋でのハロプロのイベントで、いきなり後ろからトントンと肩をたたかれ、ハッと振り返るとまさにその人だった。これにはさすがにびっくりしたという。


 会社時代の同僚についてはこんな話もある。何年もSの直属だった部下が、あるとき℃-uteのコンサートのTシャツを着ていたことがあった。それ以前に彼が℃-uteのファンだという話など聞いたことがなかったので、「おまえ、ずっと隠してたんだな」と思ったという。「僕が普通に℃-uteの話してるときもおまえ、一般人のような顔して聞いてたじゃないかって(笑)。やっぱり恥ずかしいんですかね」。

 そんなSだが、会社本体では副部長格、関連会社では部長にまで昇進した。それでもしだいに会社にいづらくなってくる。もっともそれはべつにアイオタであることが原因ではない。たとえば近年、社会的な風潮として多くの企業ではコンプライアンスの遵守やセキュリティの強化が徹底されるようになっている。Sの会社もそのご多分に漏れず、机の上に私物(アイドルの写真ももちろん含む)を置いてはいけないだの、スクリーンセーバーには勝手なものを入れてはいけないといった妙なルールも増えてきて、どんどんやりづらくなっていったのだ。Sが会社をやめた理由のひとつにはそれもあるという。


 「自分の会社で売上を上げるとか、お客さんに喜んでもらうために忙しくなるのは全然納得できるんですけど、何かつまんない手続きとかルールとかが足かせになってごちゃごちゃしてて。警察にたとえるなら、本来なら悪いやつを捕まえて治安を維持するのが目的なのに、たとえ目の前に犯人がいても逮捕するには2人からハンコをもらって手続きする必要がありますって決められているようなものですよ。ルール通りにやってないと、半年に一回ぐらい監査役が来て文句を言われるし。しかもある時期からは、自分が監査やチェックする側に回ることになって、自分が理不尽だと思うことも部下にやらせなきゃいけなくなっちゃって。『これ、どんな意味があるんですか!』と食ってかかられることも多々あって板挟みになったりとか。そういうことにちょっと疲れてしまったというのが、(仕事をやめた原因の)ひとつではありますね」

 ◆退職を決めた理由


 退職する要因はほかにもいくつかあった。副部長までは順調に昇進してきたSだが、続く部長になるタイミングはなかなか訪れなかった。そのうちに自分の同期が、さらに2年下の後輩が部長に昇進するのを横目で見るうち、自分がここ(会社本体)で部長になることはないと悟ったという。サラリーマンは部長や取締役にならないかぎり、だいたい55歳をすぎると定年まで給料はどんどん減っていく。金銭的にはこれ以上会社にいても上がり目はなく、下がる一方であることは間違いなかった。しかも会社もかなり大きな赤字を抱え、早期退職者を募っていた。

 そこで提示された退職金の額、また貯金や不動産収入などを考えれば、独身の自分が会社をやめても食べていくのに困ることはないのではないか――そう思い、税理士にも相談して分析してもらったところ、よっぽど贅沢をしないかぎり、現在の資産でかなりの年齢までやっていけることがわかった。

「じゃあこれでいいかなって。合併してかなり社風も変わって、自分の知ってる上司もずいぶん減っちゃったし、あまり義理欠くこともないからいいかなっていう感じで、やめちゃいました」。


 会社をやめてここ数年は、都内の自宅マンションと母親の住む実家を行ったり来たりしながらの二重生活を送っているという。80歳をすぎた母親は介護が必要というレベルではまだないのだが、それでも一時期はかなり弱っていた。そこでSが週の半分は実家に泊まるようにしたところ、かなり元気を取り戻した。そこでマンションのほうを引き払い、人に貸そうかと考えているという。


 会社をやめて余裕ができるかと思いきや、むしろ忙しい。朝起きるのはわりと毎日規則正しく、8時台には起きる。朝食を済ませると大リーグの中継を見たり家事をしたりして、そのあとは自宅にいる日ならジムに行ったりする。現場に出かけるのはだいたい夜だ。アイドルの現場だけではなく、野球や芝居、映画を見たりというのも含めると月に20日以上は何かしら現場に足を運んでいるという。


 何とも悠々自適な生活でうらやましくなるが、それでも1ヶ月の支出はちゃんと決めている。相談した税理士からは、今後こういう曲線を描きながら資産は減っていくので、とりあえず死んだとき葬式代だけは残るようにしておきなさいと言われたのだとか。

 ◆50歳をすぎても現場に通い続ける

 Sがいま一番ハマっているアイドルは私立恵比寿中学(エビ中)だ。2010年末ぐらいから行き始めて、いまでは現場で顔と名前の一致するオタ仲間は50人ぐらいいるという。

 ただ、メンバーの平均年齢が低いだけに、さすがにファンも若い世代が多い。最近友達になったなかにも学生や院生がおり、現場で父親と同い年ですと言われたことも2人ぐらいからあるという。そういう若いオタたちにとっては、もはやハロプロを全然知らなかったりする。そこでSが昔のハロプロの話をすると結構ウケるのだという。

 たとえば、エビ中ではCD2枚買えばすぐにメンバーとツーショット写真が撮れて、ポーズ指定ができたりゆっくり話せたりもするのに、それがかつてのハロプロでは300万円使わないとツーショットが撮れず、撮れたとしても流れ作業で、座ってポーズをとり握手するかしないかといううちにメンバーと引き剥がされた……という話をしたところ、「いや、そんなのネタでしょう」とつっこまれたという。


 友達ができる以外に現場に通う原動力となっているのは何なのだろうか。
「やっぱり曲にしてもトークにしても接触にしても、その時々、その場その場じゃないと楽しめないところがあるので、やっぱり現場に行きますね。ユーストなんかで見ててもつまんないし。女子流とか一時期のももクロとかよくユーストでやってましたけど、何か欲求不満になっちゃう。その場に行けないならいいやーみたいな感じ。

 野球にしてもそうなんです。大リーグばかりはどうしようもないんですけど、日本の野球はテレビではそれほど見ません。人によってはひいきのチームのことを常に気にして、携帯でずっと試合をチェックしてる人もいますよね。でも僕は、見ていない試合で(ひいきのチームが)勝ってるか負けてるかにはほとんど興味がない。あとテレビだと自分の見たいところを見せてくれなかったりするし。もちろん見やすい部分もあるんですけど。それはだからユーストやDVDと一緒かもしれないです、僕にとっては」

 それでもさすがに50歳を超えての現場は体力的にきついものもあるようだ。とくに最近の新興系のアイドルはスタンディングの現場が多い。「スタンディングを2回まわしでやられて、しかもそのあとに物販があったりすると、もう一日中立ちっぱなしなので、すっごい疲れます。足の付け根あたりが悲鳴をあげて。多少(価格が)高くても座れる現場がほしいなと思いますね」。


 それでもいまの生活には満足しているようだ。100点満点で点数をつけるとしたら? と聞いたところ「100点でいいんじゃないですかね。いや、それだともうこれ以上伸びしろがないみたいだから、95点ぐらいにしておきましょうか」との答えが返ってきた。これほどオタとしての活動も私生活も充実している人はあまりいないかもしれない。

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