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AKB48が初めて握手をしたとき。AKB商法の黎明期から『悪魔の握手会』についてのメモ5/13

うちの飼い猫のふうちゃんの具合が悪いのでnoteを書くどころじゃなくて昨日はお休み。本日も猫に赤ちゃん言葉で話しかけるのに忙しいのでアイドル話でお茶を濁すことにしたい。

本日はハロプロからちょっと離れてAKB48、そしてAKB商法の成立のあたりのお話。モー娘。ブームが下火になり、大量に生まれたモーヲタが、さまざまな分野に離散集合を繰り返した中で、比較的マイナーだったAKB48へ流れた組数人からのヒアリングから作ったものですね……。自分もごく初期神田に住んでいたということもあり、路上で見ていってください!と声を上げる篠田麻里子を尻目にガラガラだった秋葉原の劇場にオタに連れられて見に行ったものです。

■はじめてAKBが握手を行った日

 AKB48は、2005年におニャン子クラブで一世を風靡した秋元康が総合プロデューサーを務め、「会いに行けるアイドル」をキャッチフレーズに秋葉原に常設劇場を持つかたちでスタートした。2005年は、モーニング娘。の初代メンバーがほぼ入れ替わり世間的な訴求力を失ったころで、モーニング娘。を通じてアイドルオタクになったファンたちが同じハロプロ姉妹グループやほかのアイドルグループに興味の対象が移る流れが生まれた時期だ。

 しかし意外なことにAKB48が始まった当初は、握手会をはじめメンバーとファンが接触する機会はまったくなかったという。公演終了後にお見送り会があるぐらいで、現在恒例となっているハイタッチもなし。オタのほうでも出待ちもなかった。

 アイドルとの直接のふれあい、いわゆる“接触”イベントがない代わりに、最初期のオタたちが熱中したのはメンバーへのお手紙攻撃。運営を介してファンから手紙を受け取ったメンバーは、公演中の自己紹介で「きょうはお手紙をいただきました。ありがとうございます」と言ってくれたという。受け取ったメンバーだけがそう挨拶するので、ほかのメンバーのオタも、自分の推しメンに恥はかかせられないとこぞって手紙を送る。そのうちに手紙だけでなくプレゼント合戦も開始。全メンバーが「お手紙とプレゼントをいただき、ありがとうございました」とステージ上であいさつするまでにさほど時間はかからなかった。オタから手紙とプレゼントが一般化してほどなく、わざわざステージで報告する習慣はなくなり、このブームは沈静化した。

 そんな中、12月15日にいきなり劇場の電源が壊れて公演が中止になったという。そこでコンサートを取りやめて、急遽初めてのファンイベントが行なわれることが決まる。初めての突発的なファンイベント。舞台上のアイドルと直接触れ合うことができる!

 運営側は、突然の事態に内容をどうするか思案中のさい、どうもAKBオタのほうから、「メンバーらとファンが一緒にチェキで撮りましょう」と提案があったようだ。劇場の階下のドンキホーテでポラロイドのフィルムを急遽大量に購入して、シングル曲収録に際して組まれた4チームに分かれて、それぞれファンと一人ずつチェキで撮影することになった。そうして撮ったチェキや、Tシャツなどのグッズを買うとメンバーがサインをするという流れに。
 同時に、テーブルを挟んで握手会も行なわれた。当時はスタッフの時間超過による“剥がし”もなく、めいっぱいメンバーと話しこむオタもいたという。

 また、同時期にはメンバー全員分のソロ写真つきのBOXセットが発売された。公演に戸賀崎支配人が登場し、「こんなものを作っちゃいまして、でも2万6千円なんですけど。買っていただいた方には、せめてもの恩返しとしてメンバーとポラ写真を撮らせてもらいます」と発表したのだ。このあたりから、AKB48のグッズ販売などが過激化、“接触”の機会も増えていく。 そんなこんなで、“接触”の味を覚えたアイドルオタたちの口コミにより急激に劇場に通うファン数が増加。入場時間が来ても誰も整列せず入場者数30~60人程度というのんびりとした時間は終焉を迎えた。そのうちに、公演終了後のメンバーのお見送りのときだけでも最前に行きたいと、ステージを最後まで見ずアンコールの前からお見送り列に並ぶオタも現れた。その数か月後の2006年3月。公演終了後のお見送り会で、詰めかけたオタたちによって街灯が倒される事件が発生した。

暴走したAKB48の“AKB商法”

 “接触”により、秋葉原の劇場動員は安定したものの、メディア面を支えるテレビの音楽番組への出演(スカートひらりと集団パンチラして大顰蹙)、NTTドコモとの大型タイアップ(メンバーとテレビ電話で喋れる!)とスタートダッシュに失敗しAKB48自体の展開には苦戦していた。相次ぐメディア戦略の失敗により苦境に立たされた運営は、当時劇場に足を運ぶ常連のAKB48ファンにアイドルの動向や集客戦略を相談したという。この中からモーニング娘。の限定品物販戦略に、小規模アイドルの複数枚購入システムのキメラともいうべき通称AKB商法が誕生する。

 どうも、これまでアイドルの運営などをしたことがなかった劇場側は、常連のアイドルオタの一部を連れて、秋葉原裏のファミレス・COCOSで定期的にミーティングをはかるようになり、運営のアドバイス、新たな商品の開発などのアイデアを求めるようになったという。その中に参加していたメンバーによると、参加していたオタのうち三割くらいが元モーヲタで、他のメンバーもさまざまなアイドル現場の常連。各現場での販売手法がどんどん持ち込まれ、AKB48に取り入れられるときにはさらにエグく先鋭化。悪名高きAKB48商法は、どうもオタ自体の入れ知恵だった側面がかなり高かった模様だ。そのミーティングに呼ばれるオタクが、「運営のお気に入り」として権威化して、そのあとのTO(トップオタ)概念につながっていく。まあ、聞く話によると、かなり明け透けに内情を話したためかその情報を使ってのエグい事件もそこそこの数あったようだけど……。

 特典のランダム封入、ガチャガチャを設置しアイドルの缶バッジなどのなかにメンバーとふれあえる権利を入れて販売、劇場2周年記念に10周年ライブのチケットをつけた商品を高額販売、公式本を劇場で買うとランダムにアイドルに「落書き」してもらう権利、通算百回劇場で観覧したファンをMVPとして認定などなど、従来のアイドルビジネスの集金モデルをさらに強烈に先鋭化させた施策を実行しはじめる。

 この当時のアイドルオタクでも衝撃を受けた一連のAKB商法は、『桜の花びらたち 2008』リリースで、一度終焉を迎えざるをえなくなる。このころには、AKB運営もこの集金モデルが普通のアイドルビジネスを踏み越えているという自覚をもっており、逆に露悪的に見せることで話題を振りまいていた。『悪魔の握手会』イベントがそれである。このイベントでは、握手会開催用PVが制作された。その中でデフスターレコード社員が「一つのドーピングだと思うんですけど、ここで握手会をやめるわけにはいかないでしょう」と言い、アイドルは「普通、CDって1枚しか買わないじゃないですか?」などの発言を掲載し、全体をホラー映画のティザー広告を模したつくりだ。そして決定的になったのが同CDを購入者特別プレゼントと称するこの企画だ。

マジで必見

AKB48劇場にて、AKB48のニューシングル「桜の花びらたち2008」の3種類(DFCL-1444~1445、DFCL-1446、DFCL-1447)いずれか1枚ご購入に対し、AKB48特製ポスターを1枚プレゼント。ポスターの種類は全44種類。AKB48メンバー全員のソロポスターです。
※ご購入の際、ポスターはメンバーの指定ができません。
44枚の中からランダムでお渡し致しますので、予めご了承ください。
中にはメンバー直筆サインの入ったプレミアムポスターもあります。
また、44枚完全コンプリートされた方は、AKB48「春の祭典」にご招待致します。発売場所:AKB48劇場カフェ
発売日&時間:2月26日~28日 17時半~19時/3月1日~2日 20時~ポスターはなくなり次第終了とさせて頂きます。
( http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10075346906.html より引用)

 ランダムで44枚を揃えるという天文学的な確率でゲットできる特典にまで行きついてしまう。仮に、アイドルオタク内のトレードですべて賄うにしても44枚、5万円超の出費になる。ちなみに、これとは別に握手会に参加するには別の会場での購入が必要だ。


 この施策が大騒動に発展、デフスターレコードは「『独占禁止法』上の『不公正な取引』に抵触する恐れ」があるとして謝罪。「春の祭典」も中止になり、AKB48との契約解除につながっていく

仕切り直しでブレイク。アイドルビジネスモデルの確立

 「違法状態」だったAKB48のアイドルビジネスモデルは、デフスターレコードとの契約解除を経て、キングレコードと契約。今日的な握手会やシングル選抜総選挙などの“適法なAKB商法”へとシフトする。ランダム封入のブロマイドなども、それをコンプリートしても特典が付与されることはない。この、“適法化されたAKB商法”が、いまだに倫理的にどうなのかという問題ははらみつつも、現在のアイドルのビジネスモデルのひな型になっていると言えるだろう。

 アイドルオタクは、このビジネスモデルを時に揶揄しつつ自虐的に言及しながら基本的に積極的に参加することに楽しみを見出している。前述の違法常態に突入することになったコンプリート特典商法も、搾取の対象たる常連のオタクたちからのアイデアの発展形であり、実際に支持の声が多かった。これらのハードコアなアイドルオタク向けに用意されているのがネット通販限定の「劇場盤」と、「シングル選抜総選挙」の上限の無い複数投票だ。

 再起動したAKBは、熱狂的ながらタコツボ化していくビジネスモデルの他に、一般ファン向けの入り口を新たに設ける。テレビ番組『AKIBANGO!(前身にAKB1じ59ふん!)』や『ネ申テレビ』の開始だ。もう一度テレビ中心のメディア戦略を仕切りなおした格好になる。そこで、打ち出したのは“戦う女の子”とでもいうべきイメージで、モーニング娘。のドキュメンタリー調をとんねるず風に推し進め、メインの席取り合戦そのものを実況していくスタイルを定期的に視聴者に提示していくことになる。AKB48の復活をイメージづけたキングレコードからの初シングル『大声ダイアモンド』から曲調もそれに沿ったものに一新。急激に新規のファンを獲得した。ドラマ『マジすか学園』で、セルフブランディングイメージを戯画化し、所属アイドルが不良に扮したアナクロ風学園ドラマを放映。実際のポジションやファンからのキャラクターイメージを取り入れたキャラ造形を演じ、アイドルファンの枠を超えた注目を集めた。

 現在のAKB48の隆盛を語るときによく言われる「アキバ密着で着実に活動した」という前置きは、この経緯からみると正確だとは思えない。実際には、テレビを中心とした再プロモーションが好奏し、それを受けて話題になったとするのが適切ではないか。
 いずれにしろ、AKB48は、「大声ダイアモンド」、「RIVER」の連続ヒットで一躍スターダムをのし上がり、その経緯をドキュメンタリータッチで宣伝することで自己イメージを強化していく。その結果、シングル選抜総選挙では、一位の得票数が第1回では前田敦子の4630票だったものが第2回大島優子31448票、第3回前田敦子139892票と、ケタが毎年繰り上がっていく盛り上がりをみせることになった。

今日はこの辺で。

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