「なかなか卓球が上手くならない」と言うあなたは幸せ者です。短時間での上達は、必ずしも人を幸せにしませんでした。


僕は、数学人間です。

なので、卓球の指導者として、理論や合理性を重視していました。

twitterのプロフィールにも、

「卓球上達の最短距離を追求!」

みたいなことを、かつて書いていました。

しかし、実際にいろいろな人に卓球を教えていくうちに、気づきました。



「最短距離の上達は、必ずしも人を幸せにしない。」

「むしろ不幸にさせることすらある。」



僕はこれを目の当たりにしました。



僕は何を目の当たりにしたのか。

人は何を求めて卓球をするのか。

今回は卓球について、哲学的に考えていきます。


2人の体験レッスン者の比較

では、実際に僕が何を目の当たりにしたのか。

体験レッスンに来たAさんとBさんの事例を紹介します。



ある日、Aさんが体験レッスンに来ました。

「友達と、通算で10時間くらい練習したんですけど、ラリーが2,3回しか続かないんです!卓球って難しいですね!」

とのことです。

そして、僕が1時間教えて、フォア打ちが100回続くようになりました。

すると、

「すごい!こんなにラリーを続けられるなんて思いませんでした!」

と言って、めちゃくちゃ感動してくれました。



別の日、Bさんが体験レッスンに来ました。

「卓球は全くやったことありません!世界卓球を見て、楽しそうだと思って来ました!」

とのことです。

そして、僕が1時間教えて、フォア打ちが100回続くようになりました。

すると、

「大体感覚を掴めました。」

と、冷静に言いました。



これを目の当たりにして、僕は「合理的な指導」の限界に気付きました。



Aさんは、通算11時間でフォア打ちが100回続くようになりました。

Bさんは、通算1時間でフォア打ちが100回続くようになりました。

つまり、Bさんの方が11倍効率的に上達しています。

しかし、



Aさん
「すごい!こんなにラリーを続けられるなんて思いませんでした!」

Bさん
「大体感覚を掴めました。」



上達に時間のかかったAさんの方が、圧倒的に強い喜びを得ています。

僕は、短時間で上達させたことで、Bさんから「卓球をする喜び」を奪ってしまったのです。

人間は感動を求めている

ではなぜ、こういった現象が起こるのでしょうか。



AさんとBさんの違いは、「10時間の経験」です。

ここに理由があるはずです。



Aさんは、10時間の経験上ラリーを続ける大変さを知っていたので、ラリーが続いたときに強い感動を得ました。

Bさんは、経験上ラリーが続くのが「当たり前」なので、ほとんど感動をしていません。



つまり、苦労を経験することが、大きな感動に繋がるということになります。



これって、何にでも当てはまる気がします。

例えば、ドラクエだってそうですよ。

(ドラクエやったことないけど…)

何十時間も何百時間もかけてやっとクリアするから嬉しいんです。

レベル上げという苦しい作業を乗り越えてクリアするから嬉しいんです。

だから、ドラクエは売れてるんです。

最初からレベル99で、最初から勇者の剣を持っていたら、こんなに売れません。

だからRPGの主人公は「勇者」を名乗っているくせに最初は激弱なんです。

すべては、大きな感動を与えるため。

そのためにRPGの主人公は、自分がレベル1で全然強くないのを知った上で、大恥を覚悟して「勇者」を名乗っているのです。



まぁそれは置いといて。



人が卓球をするのは、「感動」を得るためだと思います。

そして感動の大きさは、苦労した時間に比例するようです。

ならば。



「なかなか卓球が上手くならない」



と思っているあなた。

その思いは、苦労している時間が長い証拠。

その先に待っているのは、

「比例して大きい感動」

です。

いつになるかは分からないけど、とても大きな感動が待っている。

そう考えれば、今の苦労も少しは楽しめるようになるのではないでしょうか。


だから、いわゆる「天才」は大成しない

スポーツの世界でよく、

「天才は大成しない」

とか

「努力に勝る才能は無い」

とか言うじゃないですか。

でも、例えばイチローさんが

「僕は努力の天才です。」

と言っても、我々凡人は

「本当にそうかなぁ?」
「天性の才能があったんでしょ?」

と思ってしまいます。



しかし、苦労と感動のことを考えると、理解できそうです。

「努力の天才」と「天才」の苦労と感動を考えてみましょう。



努力の天才は、天性の才能があるわけではありません。

なので、なかなか上手くいかずに苦労することも多々あります。

そして上手くいったとき、大きな感動を味わいます。

この「大きな感動」が、今までの苦労を全て吹っ飛ばすのです。

そして、また次の感動に向けて、苦労を続けるのです。



一方、天才はできるのが当たり前です。

なので、上手くいっても特に感動はしません。

体験レッスンのBさんもそうでした。

そして、いくら天才でもたまには上手くいかないこともあるはずです。

そのときに苦労を味わいます。

しかし天才は、苦労の先に感動があることを知りません。

この先も苦労が溜まり続ける。

そんなイメージしか描けず、やがて逃げ出してしまうのです。



イチローさんは、高校時代にイップスを経験しています。

もし、イチローさんが「天才」だったら、ここで挫折していたのではないでしょうか。

「努力の天才」だから、乗り越えられたのではないでしょうか。



誰もが「天才」に憧れます。

しかし、天才は感動を味わうことができません。

これはむしろ、辛いことなのではないでしょうか。

凡人は、ちょっとしたことで感動を味わうことができます。

なので我々は、自分が凡人であることに感謝すべきです。

そして、まだ見ぬ新たな感動に向けて、苦労を重ねればいいのです。


さぁ、苦労を重ね続けよう!

今、卓球で苦労しているあなたには、ビッグ感動チャンスが待っています。

これは、とても幸せなことです。

「あの頃は楽しかったなぁ。」

と後から思うヤツです。



あとは、苦労から逃げてしまわないこと。

苦労して苦労して、いつ感動が訪れるのかは分かりません。

もしかしたら、感動は一生訪れないかもしれません。

それでも苦労を続けていくのか、自分自身と戦っていくわけです。



見えないゴールに向かって走り続けるのか。

それとも諦めてしまうのか。



走り続けるために必要なものは結局「情熱」です。

卓球が「好き」かどうかが、今まさに問われているのです。

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