致道館の放任指導を1年間実践してみた

前回は、致道館の教育スタイルが、如何にこれからの時代に合っているかを力説しました。

今回は、この放任スタイルを1年間実践した結果発表をします。


まず、僕が致道館を知ったのは2018年の東北一人旅。

(歴史を巡る一人旅が趣味なんです。)

当時の僕の庄内藩に関する知識は、

「どうやら庄内藩って最強だったらしい」

のみです。

何も知りませんでした。

でもそれが何となく気になったので、一人旅に庄内を組み込みました。

そして訪れた「致道博物館」で、その放任スタイルを知ることになります。

元々縦社会スタイルに否定的だった僕は、理想の教育を目の当たりにし、衝撃を受けました。

そして、自分もこのスタイルの指導をやってみたくなりました。

2018年8月、都内の高校卓球部の外部コーチに就任します。


放任指導のやり方

①練習メニューに介入しない

まずは、選手に「主体性」を持ってもらうために、日々の練習メニューを僕が決めないようにしました。

選手自身が考え、選手自身が練習メニューを決めます。

とはいえ、いきなり

「みんな!好きな練習していいよー!」

と言っても、選手たちはどうすれば良いか分かりません。

まずは、練習メニューの組み方を教えました。

大枠は、基本練習、課題練習、ゲーム練習を配分するだけなので、難しくありません。

そして、基本練習とシステム練習のメニューを30種類くらいにまとめて、PDFで全員に送りました。

メニュー自体は昔からあるものが大半で、その練習の意義も添えました。

このようにしてヒントを与え、

ここから選ぶのか、アレンジするのか、全く別のことをするのか。

ここは選手に任せました。

そして、

「レシーブの練習をたくさんする」
「相手をよく見てコースを予測する」

という、僕が重要視している部分を伝えて終了。

あとは余計な口出しはせず、見守ります。

最初のうちは、

「次は何をやったら良いと思います?」

と、よく聞かれました。

そのときは、その選手の課題や目指す卓球を考慮して、

「これかこれが良いんじゃない?」

と提案していきました。

次第に

「次はこの練習で良いですかね?」

になり、

「次はこの練習で良いですよね!」

になり、僕も

「いいよー!」

しか言わなくなり、3か月ぐらいですかね、何も聞かれなくなりました。

今となっては

「この技術のこと部分、できてるか見てください!」
「次はこの練習をやるので、コーチも入ってください!」

など、逆に指示が来るようになりました。

「僕の方が指示待ち」という最高の状態が出来上がりました。


②提案はしても強制はしない

練習メニューの組み方を教えるのと同時に、プレースタイルの提案も行いました。

目指す像が明確になれば、すべき練習も明確になり、より練習に打ち込めるからです。

選手一人一人を見て、

「ブロックが上手いから、打たせる練習をすると良いよ」
「打点の早いドライブが良いから、台にへばりつくと良いよ」

などと、必要に応じて提案していきます。

提案して、やり方を説明して、あとは選手に任せる。

これこそまさに、荻生徂徠の

良い先生というのは、臨機応変にその人が獲得できる能力を考えたうえで、一箇所に風穴を開けてやるもの。そうすれば、あとは本人が自分の力で能力を獲得していくだろう

の実践です。

選手に必要な風穴を空ける作業をやっていきました。

また、選手から提案してくることもあります。

その提案が、本人に合っているものなら良いんですが、必ずしもそうではありません。

その場合は、正直に伝えて、理由も説明します。

それでも「やりたい」と言う場合は、もう止めません。

やり方を全力で教えます。

それでやってみてダメなら、本人が納得した上で諦められます。

僕が「合っていない」と思っていただけで、やってみると上手くいってしまうことだってあります。

ここでとにかく大事にしているのは、

「最終決定権を選手自身に持たせる」

ことです。

こちらが強制してしまうと、選手のモチベーションが下がり、主体性が削がれてしまいます。

これは一番避けたいことなので、強制は決してしないようにしました。

僕がするのは、あくまで「提案」です。


③結果を全く追い求めない

結果至上主義の指導者は、選手の主体性を削ぎがちです。

結果を求めるから、指導者が練習メニューを決めてしまいたくなるし、指導者が選手に強制してしまうんだと思うんです。

僕は、選手に結果を求めるようなことはしません。

チームの目標を決めるということもしません。

部活には、いろいろなモチベーションの人が集まるので、統一の目標をつくると、熱量の異なる人たちが置いていかれ、モチベーションが下がってしまいます。

選手が各自で目標を持ち、それに向かってそれぞれのペースで進んでもらうのが一番だと思っています。

AI時代に適した能動的な人間になってもらうことを、僕は最重要視しています。


「聞かれたことに答える」方が難しい

僕は放任スタイルなので、自分からアドバイスしに行くことはあまりありません。

基本的には、聞かれたら答えます。

このスタイルでやっていて気付いたことがあります。

自分から教えに行くより、聞かれたら答える指導の方が、指導者がレベルアップするということです。

聞かれたら答えるスタイルは、

何を聞かれるか分かりません。

なので、ある程度何を聞かれても即座に答えられるように、理論を持っていないといけません。

そしてもし、想定外のことを聞かれたときに、一緒に考えて答えを導くことで、指導者自身も理論が蓄積され、どんどんレベルアップしていきます。


一方、自分から積極的に教えに行くスタイルは、熱意のある良い指導に見えます。

しかし、これは自分が持っている理論を提供するだけです。

考える必要が無いので楽ですし、理論の蓄積もありません。

スポーツの理論は年々進化していきますから、この指導者はどんどん錆びていきます。


放任スタイルは、あらゆる質問に対する答えをあらかじめ持っていなければなりません。

その上で、選手一人一人をしっかり見ておく必要もあります。

放任スタイルは、簡単なように見えてしまいますが、実際に上手くやるのはかなり難しいです。

これは、やってみて初めて気付きました。


結果を求めなかったら、結果が出た

僕がコーチに就いて一年。

なんと、区で団体戦優勝したのです!

一年前は十数チームの中で真ん中くらいでした。

それがその代のうちに、トップまで登り詰めてしまいました。

しかも、エースが体調不良で不在という状況で。

結果を求めなかったら、結果が出てしまいました。

「みんな上手くなったなぁ」とは思っていましたが、優勝はビックリしました。

みんな、自分のプレースタイルを築き上げたので、大事な試合でも迷わずにプレーができたんだと思います。

全員が主体的に練習をしていたので、チーム全体のレベルが底上げされていました。

それが選手層を厚くし、エースの不在にも対応できました。

選手の主体的な取り組みが実を結んだ瞬間でした。

みんな嬉しそうだったなぁ。


放任教育は、きっと良い

今回は優勝という結果が出ましたが、これから更に高い目標を僕が掲げることはありません。

成績が落ちるのも、また良い経験かなと思います。

選手自身が目標を持つのは大いに結構ですが、僕は結果は気にしません。

気にするのは「主体性」のみです。

僕が教えている高校は、そもそも学校自体が自主性を重んじる校風です。

元から主体的に動ける子が多かったんです。

主体性があるからか、みんな将来の目標が明確です。

「エンジニアになりたい」
「薬剤師になりたい」
「通訳になりたい」
「家業を継ぎたい」

能動的に動ける人は、目標を持てるのでしょう。

僕は早稲田大学にいましたが、やりたい事を明確に持っていない人が、僕自身を含め多かったように思います。

体育会系に属していたので、縦社会スタイルで育ってきた人が多いんです。

パワハラ的な指導を受けてきた人もいたと思います。

縦社会スタイルで育つと、自分の意思はどんどん捨てていくので、やりたいことなんて持てないんです。

なので僕は、主体性のある彼らのことが羨ましくて仕方ありません。

主体性の無い卓球人は、卓球は強いかもしれないが、主体性のある彼らに人間として及ばない。

僕はどうしてもそう思ってしまいます。


もちろん、この放任スタイルが唯一解だとは思っていません。

どんな指導が合うかは、人によって違うでしょう。

縦社会スタイルが合っている子供もいるでしょう。

そこは一定の理解を持ちつつ、やっぱり僕は放任スタイル派です。

僕はこのスタイルを貫こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?