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守られていることを知るためにひとりになる。

なぜ、ひとりの時間は必要なのでしょうか?

デジタルでの繋がりが手軽に、密になったことで、ひとりの時間の必要性、楽しみ方が問われている。吉本ばななさんが説くのは、都会の雑路で感じる孤独感から、自分の周りの人に対するありがたさ、誰かに守られていることの安心感、そして不意に訪れる、ひとりきりの自由時間の楽しさ。

長く事務所を構える地元、東京・世田谷の下北沢で、「ここ数年、駅前開発の影響で街が激変しているけれど、この北沢川緑道は変わらない憩いの場です」


吉本ばなな
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。‘87年「キッチン」で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30か国以上で翻訳出版されている。近著「ミトンとふびん」で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。


なぜひとりの時間が必要なのか。それは自分の周りにいる人の大切さに気づくためです。人が物理的にひとりになるのはなかなか難しく、私もひとりの時間は簡単にはつくれませんが、本当に行き詰まったとき、人といるのが苦しくなったときには、渋谷とか新宿とか、都心にあえてひとりで行ってみます。時計のベルトの具合が良くないから新しいのを買うとか、一応小さい用事はあって行くのですが、わざとでもそうやってひとりにならないといけないくらいに、人といるのが面倒になるときがあるんです。暮れゆく夕方の寂しい時間帯に雑踏にいると、なぜこんな忙しいときに家族のために夕食を作らなければいけないんだともやもやしていたのに、いやいや、みんなに食事を作る時期だって短いかもしれない、という別の思いが浮かんでくる。

例えば、若い頃は知り合いが住んでいたからよく石垣島に行っていたのですが、その知り合いが島を出たり亡くなったりして必然性がなくなり、行かなくなってしまいました。だから、今どこかに行けるだけでもいいとか、家族がいて一緒に暮らせているだけでも上等では、と思いたくなったときに、あえて雑踏のなかに身を置いてみる。そうすると、人のありがたみがだんだんと身にしみてくる。

ひとりで街を歩いていると、もし何か良からぬことがあっても誰も助けてくれないでしょう。家から一歩外に出ると、誰も自分のことを知らないし、味方ではない。そういうことを肌身で感じることは必要です。だから家族や友達や恋人を大事にしようと思うし、やさしくしたいという思いが湧いてくる。何かから自分を守るためにひとりになるのではなく、守られていることを知るためにひとりになる。それが、ひとりの時間をつくることの1番の効用ではないでしょうか。

基本的に助け合う関係性の人がそばにいるのは、人間にとって大切だと思います。私は下町の育ちで、子どもの頃は自分の動く範囲にはすべて知り合いがちりばめられていました。向かいの人も、あそこの角の人も、その斜向かいの人も知っている人だから安全、というなかで生きてきました。人は、距離感はあっても知っている誰かがいる、という環境が心地いいのかもしれません。大人になって広い世界に出たら、こんなにも知らない人同士で街は構成されているんだとびっくりして。そのショックが大人になるにあたって必要だったんでしょう。それで、自分がいつもいる場所のありがたさを感じるんです。

今はコロナの時代で、食事の約束をしたのに、相手が来られないことが何度かありました。でも予約したし折角だからと、ひとりで食べるのも楽しかった。食べながら、あの人は元気だろうかとしばらく会っていない人のことを思い出したりして。そういう時間はいいですよね。急に自由になっちゃった、まあいいや、こうしよう、というような気持ちが持てるひとりの時間はとてもいいと思います。

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