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eyes(4)

 僕にはお金を儲けて金持ちになってやろうとか、高級時計や外車を購入するだけの資産が持ちたいという金欲にかられたことはない。学生の頃から欲しいものはお小遣いで購入できたし、僕自身3食ご飯が食べれて、お風呂に入れて、8時間眠れて、健康であれば、家族と生活出来て幸せであった。それは学校を卒業するまで続き、社会人1年目で無理をして精神を病み入院した時も働いて自律した生活を目指していた。

 僕は「精神障害2級の給付に頼るんじゃなくて自分で稼ぐ様になりたいな」と彼に話す。

 彼は「もう無理して働く事は無いんだよ、支援して貰えば良いよ」と答える。

 僕は「障がいというものが受け入れられないんだ」と彼に伝える。

 「でも、それを受け入れるしか前に進め無い事に気づくと思うよ」と彼は答えた。

 僕の社会人生活は病気と向き合い、それから自律しようとする事からスタートした。だから他人が働いてお金を儲けるのは当たり前と感じるかも知れないけど、僕には社会の中で他人と同じ様に生活出来ない壁みたいなものを感じていた。それが幻聴による障がいというものであった。僕は僕のこれまでの経験を話させてもらっているが、それはもう一人の僕が映像を撮る為である。だからこの物語は、事実と幻想が加わったアンビバレントな世界を表現している。

 幻聴が「うちらの話を聞いていれば良いんだよ」、

「不平不満は言わないで」と僕に言う。

 僕が社会への苦情を口にすると幻聴は逆に僕を攻撃する様に文句を言って黙らせようとした。

 僕は「社会で生きていれば不満の一つや二つあるよ」と幻聴に声をかけた。

 幻聴は「うちらへの文句は許さないんだよ」と僕に答えた。

 僕は20代から40代前半までを社会人として働いたけど、その目的は自律する為だと述べた。しかし、社会の中で適応する事が難しく、40代中頃になると社会で働けなくなってしまった。この時に両親から言われたのが「これから生活していくのに、障害年金を再支給してもらう事は大事な事だよ」という話だ。僕はこの時始めて生活していくお金が欲しいと思ったのだ。これは間違いなく金欲だと思う。

 父が年金事務所に行くと、「担当の先生に診断書を書いてもらわないと」と僕に言う。

 僕は「僕一人で先生に説明する自信が持てないよ」と父に伝える。

 父は「母親と行けば良い」、

「先生も親身になって話を聞いてくれる」と答えた。

 僕と母は先生に病気で働けない事を伝えて、診断書を書いて貰い、年金をいただける様になった。僕の生活も随分と楽になり、豊かとはいかないけど人並みに生活できる様にはなった。贅沢は出来ないけど。

 もう一人の僕は、「映像化するのは何の為?有名人になりたいの」、

「小説を書いて自分を表現したいのはお金持ちになりたい為?」と自問自答した。

 僕は「人生に挑戦するのは希望だから」、

「僕が学生の頃から続けている事だから、お金のためだけじゃ無いよ」と答えた。

 僕にとって金欲は必要最低限の生活ができれば良くて、家族がそばに居てくれれば幸せで納得する様だ。それよりも心持ちの中に希望の様な存在を持ち続ける事が大切らしい。それがnoteで文章を書いたり、映像化の夢を実現する事なのである。


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