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世界の人々の幸せを考える(1)
僕は子供の頃から周囲の人や物に興味を抱くタイプでは無かった。
庭に転がっている石と僕自身への関心がそれ程違わなかった。
その中でどうやって生きていけば良いのだろうと言う、疑問が僕の中に沸々と湧き上がってくるのを感じていた。
幼稚園に行く中で僕は、「どうしたら良いんだろうな?」
もう1人の自分が、「よく分からないけど、取り敢えずやってみるしかないな」
「なんとかなるだろう」と自問自答した。
その答えをシンプルに提示してくれるのが映画であった。
僕は映画を初めて見た時、人間は酷いものだと感じた。
自己中心的な考え方しかできないのだなと思った。
幼稚園に通いながら人生に違和感しか持てない僕は、他人と調和・協調して生きる道を模索し始めていた。
小学校3年生の時、母親に連れられて公文式と言う算数教室に通い始めた。
算数の問題を繰り返し解かすと言う学習方法は僕に向いていたらしく、こんなに単純なものが社会の何処で役に立つのだろうと思った。
その答えは高校まで引っ張る事になる。
僕は工業高校の電気科に進学した。
そこで出る課題は、物理法則から導かれた、オームの法則やキルヒホッフの法則などの電気基礎を学んで答えるものだった。
丁度、公文式で算数の問題を解く様に、シンプルに問題に取り組むことが出来た。
しかし、現実に自宅にある家電の中のどの部分に物理法則が利用されているのか?分からなかった。
アップルの創業者のスティーブ・ジョブズは、電気の法則から、パーソナルコンピュータを導いたと言うが残念ながら僕の能力は大学を卒業するまで開花する事は無かった。
僕は、「余り真剣に研究に取り組みたくないよね」と話す。
魚住は、「俺は大学院まで行くつもり、研究をリードするより管理する人になりたい」
余一は、「大学ではプログラミングの知識を身につけて、ワークステーションの運営がしたい」
目標を持っていないのは僕だけだった。
研究より解決しないといけない課題があったからである。
僕はその答えを理解するまで、50年かかる事になる。
僕は、「早く社会に出たい」
魚住、「どうして」
僕は、「知りたい答えがあるんだ」
東京で暮らして3年目の僕は、山口に帰りたかった。
早く卒業して、答えを出して自分の出来ることに集中したかったのである。
しかし、卒論を仕上げると言う行為は青春そのものだった。
僕は高校の時からレポートを書く事がすきだったので、大学を卒業するまでの八年間、毎週課題を提出した。
僕は23年間と言う、学生生活をとても有意義なものとして送る事が出来た。
社会人になってから、20代から40才になるまで、ビデオからDVDへと、僕が興味を持った作品は取り敢えず確認した。
人間はどう生きればいいか?疑問を解決しようとした。
ウォルト・ディズニーや黒澤明は自分の人生を語る事で、人間の未来を示してくれた。
希望を感じながら、目標を持って生きる事は大切で、他人との関係性をちゃんと作れる事で、夢も自分も成長できるのだと教えてくれた。
もう1人の僕である彼は、「映画を観て、人はどう生きるべきかわかった?」
僕は「映画を見るより、自分の人生を見れば他人がどう言うものか分かったよ」
彼は「どうだった」
僕は「余り関わるものじゃないね、挨拶程度でいいよ」
「知れば知るほど難しくなるだけだから」と彼に伝えた。
僕の社会人生活は良い結果を残せなかった。
僕の未熟さやだらしなさがそうさせたのだけど、社会の大人について行くことが出来なかった。
僕は社会生活を送る自信が持てなかったのだ。
山口に戻り、両親といる間は穏やかに生活することが出来た。
自分を肯定してくれたからだ。
母はとても優秀な人であった。
僕に色々なことを教えてくれた。
それは他人を信頼しなさいと言うことだった。
しかし、僕にはとても難しい事だったのだ。
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