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[SS]居場所

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2022年8月の記事一覧

高校に入るとzooで、不良ズボンを購入、デートする時に洋服を買ったりした。中学・高校という多感な時期、僕の側にあって外の世界と繋がる時にzooがスタイルを提案してくれた。青年期から大人になるのを見守ってくれた。成人してからも洋服が好きだったのもzooのおかげだ。zooに感謝する。

中学2年生の時、川西中学校の生徒と小郡中学校の生徒が木刀で殴り合う喧嘩をした。僕らの中学校の生徒はボコボコにやられてしまった。担任の先生は、相手はヤクザのようなプロと同じだ勝てるわけないだろうと言っていた。喧嘩の舞台となったのがzooで店の前で5分もガンのつけあいがあったらしい。

小郡町にある駅前の大正通りには、zooという洋服屋さんがあった。店構えは平屋建てで、学生ズボンや学ラン、財布や洋服が並べてあった。店内の雰囲気が明るい、購入しやすく若者が集まる店だった。夫婦で店を運営していて、奥さんはやり手で将来表通りに同じ名前の女性服の店を出店することになる。

猫にも墓がある。母が決めたので僕はよく分からないけど、農作業を手伝っているとそこは掘り返してはダメよ、猫が沢山いるんだからと言う。つい先日も父が墓を掘り返して、猫の手が出てきた、母は驚きそれはメーちゃんよと叫んだ。母はヨシヨシして埋め返した。家の畑には犬やら猫達が埋葬されている。

倉庫と猫の縁は深い、野良猫は倉庫にいる。家猫になるのもいれば、どこかにいなくなるのもいる。野良猫が家を気にいるとまず倉庫で時間を過ごす。何故、猫を飼うかと言うと父が猫を好きだからだ。母は朝起きると猫を相手に時間を過ごした、今まで見てきたけど嫌な感じを受けた事は一度もない。猫好き。

母は、30年間猫の面倒を見た。名前はメー・クルミ・シロ、数えるとキリがない。毎日トイレの砂をやり換えて、パックの餌やカニカマを与えた。猫に1000万以上は使った、母に1番思い出に残っている猫は?と聞くとメーが思い出される。猫は、触ると良い顔をしなかった。病院にもよく連れて行った。

妹と僕はボラを狙う。父が海老と何かを混ぜ合わして団子を作り、仕掛けの中に入れる。さらに餌をつける。父は海岸からボラのいる沖に向かい仕掛けを投げる。妹と僕は小さい釣竿で平太郎も狙う。妹は平太郎を引っ掛ける。僕は平太郎よりボラが気になる。小さい頃から釣りをしたけどボラは釣れなかった。

名前も覚えてない商店、ジュースとパンと軽食が置かれている。コンビニも無い良い時代、店はアナログで値段も手打ちで賞味期限切れも気にしない。祖父は稲荷が好きで焼きそばパンをほうばる、父は巻き寿司にあんぱんを食べる。僕は山賊むすびにカレーパンを注文した。店の隣で釣り餌のけびを販売する。

秋穂二島の漁港、道路脇に車を駐車する。海老の養殖場があって海水を汲み上げるポンプと対流を作るモーターの音がする。僕達は海岸沿いに向かって脇道を歩く、サンダルに砂利が入って足の裏が痛い。今日は大潮で満潮の時間なので低い場所が海水に浸かる。太陽光に反射する海水面が美しい。ハゼを釣る。

妹が両親に一輪車を購入してもらい、道路側から壁沿いに進み車庫まで車を漕いだ。僕はヘルメットを被らないと危ないぞと声をかけたが妹は楽しそうに漕ぎ続けた。妹が一輪車に乗る時自信を持っていたのを覚えている。僕は壁沿いの道も倉庫も好きな場所なので妹がスマートに一輪車を乗ると心地良かった。

祖父母が住んでた家と隣の家の間に倉庫がある。今は、家の車を駐車する。車を駐車したのは、父が運転してた頃なので数十年前からになる。祖父母が生きてた頃は電気も点灯、米を置いていた。倉庫には野良猫が住みつき子猫を産み、大きなネズミがいると粘着罠を仕掛けた。何世代もこの倉庫を使ってきた。

小さい下り坂を降りた右手に白い壁が10m続き、その向かい側には庭がある。大きな石が何個も組まれ隙間から木々が生えている。庭の真ん中には池があったけど、今は土で埋められている。道路側には、小さい門とブロック塀が6m続く。みかんの木や金木犀が植えてある。道路の先には小川が流れている。