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聖書通読のすすめ

はじめに

聖書系Vtuberの足袋田クミです。この記事では聖書通読、つまり聖書を最初から最後まで全部読んでみることに挑戦してほしい、というおすすめをします。前回、「はじめての聖書」という記事を書きましたが、その続編だと思ってください。

なぜ通読が大事か

通読しなきゃダメか?

聖書は膨大な書物で、全部読み通すにはかなりの時間と労力がかかります。早い人なら(自由な時間が比較的取りやすい人なら)数週間で読み終えることもできますが、通常1年から数年かけて読むことが多いでしょう。聖書には誰でも知っているほどの有名な箇所からほとんど教会のお話で取り上げられる可能性のないマイナーな話まで広い濃淡がありますから、全部読まなくてもいいのではないかと思うのは自然なことのように思われます。

今回の話の趣旨を絞るために、いくつかの注意を先にしておきましょう。例えば、聖書にそこまで興味がないとか、あるいは必要になったところだけ読みたいとか、そもそも今の生活スタイルでは全部読む時間が取れそうにないとか、読書が本当に苦手でとてもじゃないが読めそうにないとか、そういう場合には、もちろん全部読まなくていいと思います。

そうではなくて、無理とは言わないんだけど、いまいち聖書全部読むっていう大変なことに挑むメリットがあるのか分からない、という人に向けて通読の意義を紹介したいのです。

自分が知りたいこと以外のことを知る

昨今、インターネットの検索機能が優秀なので、分からなければ検索するということが増えました。聖書の箇所もちょっと検索すれば大体ヒットします。なんならそこの箇所の説教が引っ張ってこれます。

しかし、検索するワードはどうしても自分の知っていることに限られます。自分の興味のあること、さらには自分が納得したいことしか調べられません。ですから、今まで自分があまり興味を持ってこなかったこと、今まで自分が思いもしなかったことに出会うには、自分で読み進めるしかないのです。

複数の意見を含んでいるひとまとまりのコンテンツ

みなさん、聖書が為政者について言っている箇所と言われて、何か思いつくでしょうか。パウロが書簡で、自分にやましいことがない奴は権力者にビクビクすることはないし権力者だって神が立ててるんだから大丈夫(大意)と言っています。なるほどそうかもしれません。

ところで、ヨハネの黙示録ではローマ皇帝が獣と表現されてサタンの勢力として槍玉にあがっています。権力者と闘争する、場合によっては命懸けの信仰者のあり方について勇気づけているようです。

この二つの意見、別にどちらの方が正しいかという議論は必要ないと思います。パウロとヨハネではちょっと述べてる観点が違うのかもしれないし、時代背景が変化しているのかもしれません。ここで注目したいのはむしろ、ひとつのトピックについて複数の見解が得られることは共同体として健全だし、どちらかの箇所しか知らないときより、両方を読んだことがあるときの方が、聖書はこのことについてどう言っているか、自分はどう考えるべきなのかについて建設的に考えていけるのではないか、ということです。


それを聖書が書いているかどうか?

たとえば「聖書に死んだペットの魂がそのあとどうなるかって書いてある?」と聞かれたとしましょう。たぶん書いてありません。あるとしても参考になるかどうか、という程度の箇所がいくつかでしょう。

ある話題が聖書に出てこないと言うためには聖書を全部読んでいる必要があります。検索では不十分です。その話題に関心があるのが自分であれば特に、自分で関連があると感じる箇所があるのかないのかが大事なのです。

これは結構大事なことで、ある人物や書籍の守備範囲がどこまでなのかを見極めることは、自然と中心が何処にあるのかという探求に繋がります。先の例で言えば、どうやら聖書は他の動物ではない人間の救いに興味があるようです。

物語、あるいは相互参照

例えば、マルコによる福音書に、呪われて枯れたいちじくの話があります。この話、なぜか間に神殿で暴れるイエスの話が挟まっています。

この二つの話は実は関連があります。エレミヤ書の預言に出てくるいちじくと、神の祈りの家である神殿について嘆く言葉がマルコの物語の下敷きになっています。

この福音書は読み進めると終末についての預言が語られます。実はダニエル書のメシアのイメージがイエスに投影されています。メシアのイメージの描写はおそらくイザヤ書あたりから始まっていきます。

メシアと終末のイメージはヨハネの黙示録でクライマックスを迎えます。そこでは創世記のエデンの園に酷似したイメージが出てきます。

創世記の創造物語を読みますと、表現がイザヤ書に飛び火していることがわかると思います。詩編やヨブ記にも全能者の表現は使われます。

ヨブ記とエレミヤ書の表現は一部重なります。正しい者の苦悩をそこに共通点として見出せるでしょうか。

以上オタク特有の早口で申し上げましたが、聖書は非常に相互参照や前後の繋がりを駆使した文学作品であり、ぜひとも全体を読むことによって味わい深さを見てとってほしいところです。

まとめ

あなたが聖書から糧を得たいのであれば、通読はつまみ食いよりも遥かに大きなスケールでメリットをもたらします。自分の知らないことに出会うため、様々な角度からの描写を比較するため、記述の範囲を把握して中心を掴むため、膨大な意味ネットワークを理解するためには、通読が一番手っ取り早いでしょう。

どうやって通読するか

自分の方法が一番!

いろいろ皆さん工夫して通読をしています。しかし自分に合うもの合わないものが当然存在します。万人向けの方法はありません。どうか人と違うことを恐れずに色々試してみてください。

何かにこだわる必要はない

例えば、一年用の通読表のカレンダーをもらって、半年くらい進んだとしましょう。そして突然忙しくなってプランが滞ったとします。

1ヶ月分プランが遅れてしまいました。追いかけるのも大変だし、もうやめてもいいかもしれません。

しかし、考えてみましょう。別に1ヶ月遅れても良くないですか? キレイにカッコよく通読を一年でできたら最高です。友達に自慢したいくらいです。でも別に自慢にならなくても良くないですか? 1年と1ヶ月で自分は通読できた、それだけでいいじゃないですか。

75%ほど進みました。ここで、大体のところは読めたかなという達成感から油断が出ました。特に忙しくもないけれど通読が止まります。やる気が出ません。それから特に進展もなく5年経ちました。

そういえば、通読とかやろうとしてたな、ある時あなたは気づきます。でもまた続きやろうとしてまた挫折したらカッコ悪いしな。ていうかもう読んだところだいぶ忘れてるだろうし。

しかし、考えてみましょう。また挫折しても良くないですか? またひょっこり今回みたいに思い出したらいいじゃないですか。それから、すでに読んだところ忘れてても良くないですか? 人間三回くらいは同じこと聞いても忘れるっていうし、三回くらい出会うまでは忘れても自然ですから何にも恥ずかしくありません。それ以上忘れても仕方ないし責める方がどうかしてます。

そうしてダラダラと、しかしたまに読み進めています。9割方読み終えました。でも最近教会行ってないし、わざわざ聖書読まなくてもいいかなとか思い始めます。それから30年経ちました。

ふと、思い出します。ていうか部屋を整理している時に気づきます。あ、聖書あるじゃん。ご無沙汰してます。いやーあれから教会とか行ってないんだよね。聖書とかもういいかな。捨てようか。

しかし、考えてみましょう。別に教会行ってなくても聖書読んでも良くないですか? せっかくだし読んだらいいじゃないですか。もうちょっとですよ? 最初に読んだ頃からだいぶ経ちましたね。でもいつ読み始めたからもう一回の通読に数えてはいけないとかそういうルールないですよね。別に何年かかっても良くないですか? いいじゃん。読もうよ。

あーそういえばあとヨハネの黙示録だけなんだよね。いつだかは朝一で読んでたけど今は朝の時間取れないんだよね。

しかし、考えてみましょう。別にいつ読んでも良くないですか? ていうか一気読みしても良くないですか? ペース守っても守らなくても良くないですか? いろんな方法をある時期ある時期に試して、結果的に少しずつ進んで、宥めすかして、何年かかってもいいから、人に自慢できる方法じゃなくていいから、エピソードとしてまとまってなくてもいいから、感動的なラストじゃなくてもいいから、とりあえず誰かのためじゃなくて自分のために読むわけですから、自分がよかったらいいのでなんか色々気にしなくて良くないですか?

というわけで何回挫折しても何回心変わりしてもいいので通読にチャレンジしましょう。

通読カレンダー

ある日付に対して、聖書のどこを読むとかどのくらい読むとかが決められているプランに従う方法です。大体1年から5年くらいまでのプランがあって、市販のもの、アプリの設定などあります。

そういうのを自分で決めてしまう場合は、1日に新約聖書1章、旧約聖書2章分を読むと大体一年くらいで読み終わるそうです。これを目安に色々変えてみてください。

たまに読書する感じ

長い小説を読む気分で読みます。どこまで読んだか分からなくならないようにしおりを挟んだり、読んだところに目次のチェックをつけるようにしましょう。

一気に読む

集中力の続く限り一気に読みます。タイムアタックだと思ってください。体調管理に気をつけて。連日の徹夜は命の危険があるのでやめてください。必ず食事をとってください。水分も大事です。

読む順番

意外と、通読カレンダーの市販のものなど見ると、かなりバラバラに読んでいくプランもあるようです。おすすめは、一書ごとに読む方法です。創世記は終わるまでその順番で。その後新約に行ってどこかの手紙。また旧約のどれか、など。

ただし、詩編はもともと歌集ですから、他の書物よりバラバラに読んだときの混乱が少ないと思われます。長いですし分割してもいいでしょう。実は詩編は5巻構成なのでその区切りも参考に。

気の長い人は最初から、つまり創世記から順番に読みましょう。持っている聖書の目次の順番で構いません。

解説を読むべきか

正直な話、一回読んで自分で内容を理解するのは難しい書物です。しかし、解説を読みながらだと結構進みづらいし、どっちみち全体を読んでからの方が解説が頭に入ってくるかもしれません。例えば、一書を読み終わったら気になって印をつけておいたところについて調べ物をし、どうしても納得できなければそのうち誰か(牧師とか)に聞こうとメモしておいて先に進むのはどうでしょうか。

ただし、一個一個の言葉の意味が分からなくて困る場合は、それを調べた方が読みやすいこともあります(律法学者って何?とか)。各種の聖書辞典などが役に立つでしょう。自分のレベルに合ったものを買うためにぜひ書店で中身を確認してください。聖書の後ろの方に解説が載っていることもあります。ぜひ活用しましょう。

してはいけないこと

他人と比べる

他人は他人です。人より本を読むのが早い、得意な人はいます。変な話ですが放っておきましょう。

他人にマウントをとる

通読が終わったら人に自慢してもいいでしょう。「聖書通読できた!」「えらい!」「すごい!」大いに結構です。

しかし「通読してるから」「たくさん通読してるから」他人より信仰が優れていたり人格的に優位ということは決してありません。人を見下してはいけません。

自分が通読を完了したら、まだ通読していない人を勇気づけてあげてください。「私もできた。意外となんとかなったよ」みたいな感じで。やさしいせかい。

各書物の楽しみ方

福音書

一番読みやすいと思います。楽しく読みましょう。中編小説だと思って物語を意識してください。ルカだけは使徒言行録とセットで読むのをオススメしておきます。

パウロ書簡

全然馴染みのない人はせめて福音書の後がいいと思います。それぞれの手紙に個別具体的な事情があるので、解説書があるひとはその背景だけをチラ見してから読んでもいいかも。

その他の書簡

よく分からないかもしれないが短いので通読ではそんなに困らないかなと思います。ヘブライ人への手紙だけはかなり難解なので旧約の後でもいいかも。

ヨハネの黙示録

おどろおどろしいので面食らうかもしれないけど、叙事詩だと思って読んでください。順番はいつでも。気分的に最後だと盛り上がる。

創世記〜申命記

ここは順番に読むといいと思います。レビ記は法規集だと思って読むとそんなに苦じゃないかと。幕屋の記述はすごく長いわりに読んでもイメージわかないので、さらっと読んだらググってイラストを見てください。これは聖書を通してそうですけど、聖書の中は絵を描くことができないので、視覚的なイメージは事細かに描写することで補っています。なので自分で指示に従って絵を思い浮かべるか、最悪過去の誰か(キリスト教宗教画家)の描いたものを参考にしてください。非常に伝統的な聖書の理解方法です。

ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記・歴代誌・マカバイ記

戦記物とか歴史物をイメージしてください。歴史が苦手な人は途中に清涼剤として他の読みやすい書物を挟むのもいいでしょう。

ルツ記・エステル記・ヨナ書・コヘレトの言葉

清涼剤です。短いし読みやすいので休憩所がわりに。

各種預言書(イザヤ、エレミヤ、などなど)

意外と詩的な文章が多いので、ヘブライの詩文学だと思って読んだ方がいいのかもしれません。神から民への嘆きとか、メッセージとか、そういうものが長大な詩になっています。

ヨブ記

ある種の戯曲です。脳内でミュージカル版を作って読んでください。ただし内容が暗いので気分が沈んでる時を避けて。

詩編

長いので適宜分割して読みましょう。とはいえ大きな流れを意識して配置してあるのでナンバリングは無視しないように。

エズラ・ネヘミヤ

時代的にはかなり後の方になります。他の歴史書(列王記とか)が読み終わってからがいいでしょう。

ダニエル書の補遺について

ダニエル書はギリシャ語の本文だとヘブライ語より長い物語になっています。続編を込みで読む時には次の順番で読むとより一層楽しめます。

  1. スザンナ

  2. ダニエル書 冒頭から3:23

  3. アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌

  4. ダニエル書 3:24から最後まで

  5. ベルと竜

おわりに

聖書分厚いですけど、意外となんとか全部読めるものです。怖くない! 今日からでも明日からでもこの記事を読んでから10年後でもいいので聖書通読を始めましょう!

聖書通読表PDF無料ダウンロード(2022/8/13追記)

皆さんの便宜のために通読表を作りました。無料でダウンロードできます。よければお使いください。読んだところの四角を塗りつぶしたりマーカーを引いたり、日付を書いたり、シールを貼ったりすると良いでしょう。


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