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クミと聖書


はじめに

聖書系Vtuberの足袋田クミです。この記事では、私個人の聖書との付き合い方を紹介したいと思います。自分なりに考えながら紆余曲折を経てきたものですが、絶対的な正しさを主張するつもりはありません。しかし、誰かが聖書を読むときの手助けになれば幸いです。

人の言葉として聖書を読む

私にとって聖書はどこまでも人の言葉です。神が人に書かせた言葉ではないし、まして神の言葉でもありません。

それはかつて誰かが書いた歴史証言であり、歌であり、創作です。そこにひとこと書いてあるから事実や真理であるとは思いません。無条件に受け入れることもできません。偏った立場に有利かもしれないし、著者の誤解や願望が入り込むこともあるでしょう。そもそも根も葉もない虚偽かもしれません。

しかし、だからといってこの古典が突如、無意味な紙屑になるということはありません。これは貴重な人類の声であり、時の洗練を経た物語です。だからこそ一字一句必死に読みます。解釈する自分の色眼鏡で過去が色褪せないように。

聖書に耳を傾けるべきところはあるか

その上で、聖書の内容は価値のあるものなのでしょうか。

ひとことで言えば、聖書は玉石混淆だと思います。ユダヤ民族至上主義から書かれた戦争の記述などは、酷い話だと思って読んでいます。一方で神を頼るということの意味を深く考える文章には、流石に苦悩の蓄積があります。文法的に表現的にかなり拙い筆と思われる書簡もありますが、うって変わって非常に技巧に富んだ詩歌もあります。

ある意味でそれこそが「人の言葉」の特徴でしょう。間違いうるのが人。真理に近づきうるのが人。美しさと醜さを併せ持つその文章を、ひとりの人として読むことが私の差し当たっての目的です。

聖書は面白いのか

そうすると当然、そんなもの読んで面白いのかという問いが出てくると思います。

しかし、私はそもそも聖書の面白さは、正確性とか信憑性から来るものではないと考えます。聖書の面白さは、そのスケールの大きさや作品の緻密さ、また悪意さえ隠さないその人間臭さにあるのではないでしょうか。

聖書は世界について語ります。世界の創造者に対峙する人間の姿を描きます。日々の生活のやり切れない想いが滲み出ます。世代を超えた怨みが噴出します。美談も虐殺もあります。そういったものを読んでいて、感じるところや考えるところがあれば、十分読む意味があるのではないでしょうか。

古典としての価値とは何か

なにしろ聖書は遠い外国の遥か昔のお話なので、いちいち話を解釈する必要があります。つまり、話の背景を想定したり伝えようとしていることを汲み取る作業をすることになります。

すると、自分とは異質な何かと対話するために、かえって自分を見つめ直す機会が生まれるでしょう。自分に潜んでいる前提、偏見、先入観が解釈を簡単に曲げてしまうからです。これが古典を読むことです。誰かの紹介ではなくて自分で読むのもこのためなのです。

何のために聖書を読むのか

クミが経験的に知っていることは、聖書を読むと「今、ここ、私」から離れて他者と向き合うことになり、すぐに役立つものではありませんが、自分の人生の糧になる何かが積み重なっていくということです。

そして、結局簡単な結論ではありますが、聖書を読んでいる時間がやっぱり楽しいという実感をいつも感じています。

なぜ聖書なのか

さて、ここまで来て、上述の文章からはクミが読む対象は別に聖書でなくても構わないのではないかと思われるかもしれません。

ギルガメッシュ叙事詩でもいいし、クルアーンでもいいし、法華経でもいいかもしれません。古くてそこそこの分量のあるものというのは限られますが、それでも聖書だけということはないでしょう。

はっきり言ってしまえば、聖書でなくてはならない理由はありません。そもそも、何が好きかを語るときに自分がそれを好きである理由を全て合理的に列挙できてしまったら、それを上回るものが現れたときに鞍替えしないといけなくなります。むしろ、ヲタならば初めて観たアニメを親だと思って付いていき、その魅力が何か聞かれたときに弁明する用意をしておくのが礼儀でしょう。

かく言う私も、聖書が神の言葉だとか、聖書に書いてあることが全て真実だとか思っていたこともありました。しかし意外にも、それらを否定してみたところで聖書の魅力が薄れるようには思えなかったのです。

物心づく頃には聖書に親しんでいました。それから色々あった気もしますが、割と人生をかけて取り組んでもいいかなと思える程度には、聖書の魅力は今日もなお私を裏切らないでいます。これから聖書を読もうとしている方がいるとして、私から言えることはそのくらいです。

おわりに

聖書は、読むだけで人生が変わるような魔法の書物ではありませんが、人生を豊かにするために書物と格闘しようという覚悟のある人にとっては、ダイヤの原石が埋まる鉱脈にも見えるでしょう。

良い聖書タイムを。

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