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する必要のないこと

18 ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 19 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。 20 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。 21 だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。 22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」。

口語訳聖書 マルコによる福音書第2章18-22節

使徒行伝など見ますと、「断食して祈り」というフレーズが見られます。おそらく熱心な祈りを献げるためのアクションとして断食という形が取られたのでしょう。何曜日が断食、というふうに制度化していたわけではないかもしれませんが、祈っていたらご飯を食べ損ねた、というのではなく、意識的に食事を絶って何かに集中することによって結果を出そうとする姿勢に見えます。

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