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宣教は73手先でパウロ

12 すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、 13 わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。 14 彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。 15 それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。 16 そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。

口語訳聖書 使徒行伝第22章12-16節

(中高科のメッセージの原稿)

今日の箇所は、エルサレムで自分語りをするパウロの演説の場面です。どうしてこうなった感がありますが、一応ここまでの流れを追うとこうなってしまうのです。一旦この場面までを描く小説家になったつもりで空想してみましょう。

例えばの話、あなたがペンテコステの出来事に立ち会ったとして、その後で、「何らかの手段を使って、エルサレム中のユダヤ人にイエスが救い主だと証しなさい」と言われたらどうやってそれを実現するでしょうか?

エルサレムを練り歩くのは面倒です。喧嘩売りながら回っていたらすぐに捕まりますから、一箇所に集めて一斉に話してしまえばいいでしょう。でもどうやって?

律法を汚しているとでも評判が立てば、怒りで群衆が寄ってくるでしょう。そこで話をすればいい。しかし混乱の中でローマ兵にしょっ引かれておしまいです。どうすれば話ができるでしょうか?

ローマ兵と話をつければいい。それにはラテン語かギリシャ語か話せないといけませんが。とにかくそういう技術があれば良くて。でもユダヤ人に話すならヘブライ語もできないといけません。

さらに、その後捕まって殺されでもしたら説得力が落ちる。どうやったら安全に暴動の最中にいられるでしょうか。ローマ市民権でもあれば無碍にはできないでしょうか。

話がつまらなくてもいけない。ユダヤ人としての教養が十分ある人間が話さないといけないでしょう。名前の知れたラビの門下ならなお良い。でもそこで何を話したら証になる?

やはり、イエスに会って回心したという話をするのがいいでしょう。でもユダヤ人たちが共感できないといけません。彼らはイエスを目の敵にしている。そんな気持ちを持った人間が、イエスに出会って全く変わってしまうような話を伝えないと…。

果たして、エルサレムにやってきたパウロは神殿で捕えられてエルサレムのユダヤ人群衆に取り囲まれます。ギリシャ語で千人隊長に話しかけ、集まった皆にヘブライ語で話し始める。彼は生まれながらのローマ市民。ラビ・ガマリエルの門下でパリサイ派の育ち。元々キリスト教徒を迫害し殺し回っていたのが、ダマスコに行く途中にイエスに出会って回心しました。

この展開は、イエスにはきっと73手前から読まれていた。ピッタリと針の穴を通すようにパウロが選ばれ、イエスに出会い、ここエルサレムにやってきた。

聞いていたユダヤ人たちは唖然としたことでしょう。なぜこの男の口からこのような話を聞くことになるのか。自分たちには理解可能な境遇のはずのパウロが、理解不可能な転身を遂げて、イエスに出会った話を堂々と語っている。

イエスに出会って目が見えなくなってしまったパウロは、アナニヤという男の訪問を受けます。パウロはアナニヤに励まされたことを回想して皆に語ります。

「自分が見聞きしたことを全ての人に証言しろ。ためらうな。立て。イエスの御名を呼んで、洗礼を受けて罪を洗え。」

パウロは自分のしていたことを後悔していたのでしょう。アナニヤに言われてこれまでのことを反省し、熱心なキリストの宣教者となります。彼はアナニヤに言われた通り、悔い改めたのです。

そして、それをここでもう一度語っています。「洗礼を受けろ。罪を洗え。」今度は自分の口で。エルサレムにいる、おそらくイエスに敵対しているであろう、かつての自分と同じ考えのユダヤ人たちに対して。

パウロはすでに使徒行伝のここの箇所までにいろんな演説をしています。ユダヤ人の会堂で旧約聖書の成就を語ったり、アテネで人の作ったものには神は住まないと論を立ててみたり。おそらくその場その場で適切なことを言おうとして内容が変化しているのでしょう。

ではここでは? 彼は自分の身内とも言えるような人々に、自分の体験を語ったのです。

俺はイエスに出会った。お前はどうだ? 出会ったのか? まだ見ていないのか? あのイエスを。あのキリストを。それに伴う転回を。

さあ、ルカはこの話を収録して、読者に再度語りかけます。パウロは多くの人々にさまざまな角度で語りましたが、ルカは一人一人の読者にパウロの演説からピックアップしてフルコースを作っているのです。

ステファノの説教で旧約の大まかな流れは掴ませた。その成就を語る説教はパウロがした。元々ユダヤ教の素養がない人間にも、アテネでの話はきっと興味深いだろう。そして、理論が大体出揃ったら、あとは気持ちの部分しかない。

ルカもパウロに倣って問いかけます。お前はイエスに出会ったか? もうあの人を見たのか?

もうイエスが一体誰なのか、お前はわかっているはずだ。何をためらっているんだ。洗礼を受けろ。罪を洗え。お前はこれから新しく生きる。パウロが自分のやってきたことを悔い改めたように、お前も自身の行動を振り返ることになる。

そこに立て。そうです。ルカはこの場面に読者も立っているような気分にさせようとしているのでしょう。ユダヤ人たちに混じってお前はこのパウロの回心の出来事を聞いた。ユダヤ人たちは激昂してパウロを殺せと喚いている。お前はどうか。分かる。図星をつかれると人は怒る。でもこんなふうにはなるな。皆が騒ぎ立てている横で、私もなんだかパウロの話に耳を傾けたい気分です。

イエスは弟子たちが地の果てまで自分の証人になると言いました。証言はあなたに届いていますか? きっとイエスは対局前からこの展開を読んでいる。パウロの声が聞こえますか?

「立て。イエスの名を呼べ。」


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