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『革命前夜』 に導かれて

ドレスデン行きを決めたのは、この本を読んだ半年後のことだった。フラウエン教会のオルガンの音が聴きたくて。

黒い街が辿ってきた道

『革命前夜』の舞台であるドレスデン。降り立った瞬間、暗くて呑み込まれるような雰囲気に圧倒された。旧市街の教会や建物は全体的に黒ずんでいる。異質な重たさを感じた。


18世紀にバロック文化が花開き、かつては芸術の都としてパリやウィーンと並び称されたドレスデンは、1945年2月13日に連合軍の爆撃に晒された。美しいものしかなかった芸術の都は空襲の備えはなきに等しく、犠牲者は3万5千人にも及んだ。重要建築物のほとんどが破壊され、ツヴィンガー宮殿や旧宮廷教会、ゼンパーオーパー(ドレスデン国立歌劇場)も灰と瓦礫の山と化した。


そんな状態から再建されたというのは革命前夜を読んで知っていたので、最初この黒ずみを見たときは空襲の痕だと勘違いしてしまった。どうやらこの黒ずみは褐炭のせいらしい。東ドイツで採れる褐炭は質が悪く、凄まじい黒煙を噴き上げるために建物が煤けるのだ。煤の暗くどんよりとした色は再建された宮殿やゼンパーオーパーに、まるで何百年もそのままの形で残っているかのような威厳を与えていた。

教会に捧げられた花と光

瓦礫の海から甦った旧市街には、かの有名なフラウエン教会がある。独特な風格で他の教会とは一線を画し、その歴史もまた長い。今回の旅の最大の目的地である。
直径27mの巨大な丸屋根が特徴的で、旧市街のどこからでもよく見える。ゲオルゲ・ベーアによって着工されたが、石造りの超ヘビー級丸天井を支える設計に苦戦し、資金難も重なって完成に17年も要した。その後、亀裂が入ったり綻びが生じて度々修繕が行われてきたが、長らくの間プロテスタント教会の最高峰として君臨し続けた。しかし先の空襲によって、その長い歳月を生きてきた教会がまたたく間に崩れ落ちてしまったのだ。


瓦礫の山と化したフラウエン教会は、戦後間も無くして平和のシンボルとなった。人々はこの瓦礫に毎年花を捧げるようになった。

今なお残る瓦礫の上に、人々は花を捧げる。不思議な光景だった。黒くくすんだ破壊と、溢れる命の色彩と。ファイネンさんは、僕の愛する音楽はこの暗さから生まれたと言った。この相反するものから。
『革命前夜』p57

そして冷戦体制真っ只中の1982年、旧東ドイツ各地から集まった若者がろうそくを手にフラウエン教会の廃墟を目指して「無言のデモ」を行った。それ以降、毎年2月13日にはろうそくを手にした人々がフラウエン教会廃墟に集まるのが習わしとなった。

昼に来た時には花で飾られていた瓦礫は、今や蝋燭で埋め尽くされていた。…数分立っているだけで足の先から氷像と化してしまいそうな寒さの中、彼らはただじっと立っていた。風に揺らめく、無数の光。あまりの美しさに声も出なかった。
『革命前夜』p62

冬のドレスデンはとても色に乏しかった。灰色の空と黒ずんだ建物。かつてそこに捧げられた色とりどりの花と光を想像した。どんなに美しかったことだろう。平和の花と自由の光。

どんより陰る寒空の下、閑散とした広場にひとりポツンと立っていた。そこからは再建されたフラウエン教会がよく見えた。「古い石」と「新しい石」が積み上げられたパッチワークのような外壁が全てを物語っていた。

暗闇のオルガンコンサート

作中では、様々な楽曲が登場人物たちの心情と重なりながらとても豊かに引用されている。その中でも特に、クリスタが弾くオルガン演奏の描写に魅了された。

ラインヴェルガー

気がつくと近くの音楽館で開催されるオルガンコンサートへ足を運ぶようになっていた。今考えると、ベルリン往復の格安航空券を見つけたのも、そこからドレスデンに短時間で行けることを後から知ったのも、すべて必然だったのかもしれない。フラウエン教会でオルガンコンサートが開催される日を調べ、その日に合わせて旅程を組んだ。すべてはオルガンのため。


真っ暗な広場を横切り教会の中に入ってみると、まず外観とのギャップにときめいた。全体的に淡い色で統一され、天井画にもパステルカラーが多く配色されている。神殿やその周囲の装飾も豪華絢爛というよりも控えめで可愛らしさがあり、「黒い街」の中心にそびえる剛健な外観とは似ても似つかない印象だった。

「14」と書かれた席に着き、そっと息を潜めてはじまるのを待った。お客さんは年配のご夫婦が多かったが、恋人同士や家族で来ている人たちもいた。みんな楽しそうにひっそりと談笑にふけっている。その人々の穏やかな声の響きに身を委ねるのもまた心地よかった。

しばらくして照明が落ち、ついにオルガンコンサートがはじまった。奏者は見えない。頭上から燦々と降る音を浴び続けた。音楽には疎い故、最初の曲の終わりがどこで、今なんの曲を弾いているのかすらわからなかった。だけどたくさんの音の響きを感じた。優しく頬を撫でるような音、丸天井を突き破りそうな音、何かを諦めたような音、誰かを抱きしめたような音。

再建のストーリーを知らなくても、この教会がいかに人々に愛されてきたかきっとわかるはずだ。愛で満ちた音。誰も拒まないし何も否定しない。ただ感じることを促し今この瞬間の喜びを見せてくれる。

目を閉じて、パイプオルガンの音がしみ込んだ空気をゆっくり吸うと、全身がその音で満たされていくのを感じた。

小説に導かれて日本からはるか遠く芸術の都を訪れ、クリスチャンでもないのにオルガンの音に親しむ。この経験が何に活きてくるか分からないし何も生み出さないかもしれないけど、今を生きるってこういうことだと思った。忙しなく過ぎゆく毎日を後悔なく生きたい。


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