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手作り餃子の極め方〜焼き方革命〜

焼き餃子って、ただ蒸し焼きにすれば良いんだと思ってた。焼き方にまでこだわることができるのか、というのがまず一つ目の大きな発見だった。

日々餃子研究に勤しむ従兄弟が、祖母の誕生会で餃子を振舞ってくれた。小麦粉職人の叔母がホームベーカリーで生地をこね、餃子の皮をきれいな円形に引き伸ばしていく。その傍らでもう一人の従姉妹が餃子を包み、餃子職人の従兄弟がエビ餃子の具を作っていた。
到着するとすでに80個近くの餃子が出来上がっており、さらにこれから100個は作るぞという勢いで生地がこねられていた。早速包む係として参戦する。


種類は二つ。キャベツ餃子と、みんな大好きエビ餃子。秘伝にしても良いくらいのレシピをさらりと教えてくれた。

キャベツの方は、まずキャベツの芯を切り取って薄切りにし、沸騰したお湯で1分茹でる。水気をとって、ニラ、ネギ、生姜と一緒にみじん切りにしてしまう。豚ひき肉にはあらかじめ、醤油大さじ1、日本酒大さじ1、ごま油大さじ1、オイスターソース(入れなくてもいいらしい)を加えて味付けをし、白い糸が引くまで混ぜこむ。
ここにみじん切りした野菜たちを投入し、肉と混ぜたら完成だ。
ちなみに肉野菜の比率は3対7とほぼ野菜である。そう、彼の餃子はほぼサラダだ。だから食べれば食べるほどヘルシーなのだ。絶対にそうだ。

一方エビ餃子はというと、エビ150〜200gに対してキャベツはその2割くらい、豚ひき肉40〜60g、ニラ3分の1束、そして絶対に欠いてはいけないのが生姜で、これは20gくらいとのこと。味付けはキャベツ餃子が各大さじ1だったのに対してエビ餃子は醤油、日本酒、ごま油が各大さじ3分の2、オイスターソース小さじ1と少し濃いめだ。
エビは背腸をとって1㎝角くらいに切る。キャベツは今度は茹でずにみじん切りして、塩水に5分ほど晒して水気を切る。他の材料もみじん切りにして肉と混ぜ合わせる。具がまとまらなければ片栗粉を少し入れても良いらしい。

この2種類の餃子をひたすら包んでいく。親戚が集まると違う家庭なのにみんな包み方が似ていて面白い。戦時中に満州で餃子を学んだ曽祖母から伝承されたものらしく、一家の歴史を物語る餃子がなんだかすごく尊いものに思えた。

さて、問題の焼き方についてだ。
今まではというと、温めたフライパンに油をしき、表面が色づくまで火を通したらお水をまわし入れて蒸し焼きにしていた。焼き方なんてそれ以上もそれ以下もないと思っていたから、工夫しようという発想がそもそもなかった。だから餃子職人の従兄弟がさあ焼くぞ、という段階なって急にお湯を沸かし始めたのでびっくりした。焼く前に一杯お茶でも飲みたいのかな?と思ったら違った。沸騰したお湯にごま油を垂らして、それで蒸し焼きにするらしい。
テフロン加工されているフライパンの場合、最初から油をしかずに餃子を並べ、沸騰したお湯40mlにごま油小さじ1を垂らしてフライパンのふちから回し入れ、アルミホイルなどで落としぶたをして、さらにその上からフライパンのフタをする。北海道の二重窓ならぬ二重蓋だ。これにより、少ない水で効率的に餃子を加熱することができるらしい。
二重蓋をしたら点火をして、強火で3分加熱する。3分たったら火を消して、さあ焼き加減は…と蓋をあけて確認してはいけない。蓋をしたままさらに3分蒸す。サウナタイムをもうけることで、体の芯までしっかり温まることができる。というのは人間だけではなく餃子も一緒らしい。3分経ったらここで初めて二重蓋を取り、もう一度点火して底面がきつね色になるまで焼き目をつけて完成だ。


次から次へ焼き上がる餃子。3分のタイマーがひっきりなしに鳴るので、従兄弟はやっと座ったと思ったら一息つく間も無く立ち上がってを繰り返していた。そんな彼を労うように
「なんだか申し訳ないねえ」
と言いつつも餃子を食べる手を止めない者たち。だって焼き立ての餃子の中毒性がすごいんだもの。特にエビ餃子の破壊力といったらない。パリっと弾ける食感の後、すぐにエビの旨みが肉汁と一緒に口の中に広がり、今度はぷりっとした食感がぷりぷり近づいてきてその虜になったと思ったら、あっという間に過ぎ去っていく。軽い、軽いのに強い。テコンドーでいう黒帯の人たちのあの軽さしなやかさ力強さである。それでいて去り際も美しいので、取り残された者たちはこの想いをどこへ持っていけば良いのかわからず、とりあえずキャベツ餃子へと救いを求めて箸を伸ばすのだ。
しかしそれで救われると思ったら大間違い。キャベツ餃子を食べたが最後、そのすべてを受容するような深い深い優しさに抱きしめられて、もう二度と離れられなくなってしまう。そして、ここにいてはだめだと思い、刺激を求めてエビ餃子に手を出してはまた抜け殻になってを繰り返す。これぞ泥沼である。

ちなみに、この日の二つ目の発見は、エビ餃子にポン酢がとても合うということだった。これも餃子職人が教えてくれた。新境地に立った気分である。

食卓には餃子の他に、なんちゃってピータン、クラゲの前菜、中華風スープも一緒に並べられた。飲み物もちゃんと用意されていて、餃子とオレンジワイン、餃子と自家製ジンジャーエールなど、ドリンクを色々組み合わせてみるのも楽しかった。そうして深まっていく餃子との仲にそれぞれが嬉しそうに向き合っていて、餃子がもつ不思議な力を垣間見た。

いや、餃子が、というより従兄弟が作る餃子に不思議な力が宿っていたのかもしれない。
彼の作る餃子は、この上なく優しい。涙が出るほど優しくて、空間までをも癒してしまう。
幼少期からシュタイナー学校で育ち、個性を尊重される教育の中でその存在を宇宙の中に溶け込ませてきた。他人をジャッジすることなく、その優しさで全てをありのまま受け入れていく彼の世界から学ぶことはたくさんある。でも資本主義社会で生きていく中で、その優しさだけでは太刀打ちできない現実もきっとたくさんあるだろう。
やわらかでハリのある手作りの皮が、個性の詰まったその本質を優しく包んで輝かせてくれるように、社会の棘から守ってくれる餃子の皮的存在が彼を守り慈しんでくれますように。

そんなことを願いながら、またエビとキャベツを行ったり来たりするのであった。



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