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読める、読めるぞ〜〜〜

8年振りに読書の秋がやってきた。

小学生・中学生とわたしは本の虫だった。

いじめられることが多く、1人でいることがマイノリティであると突きつけられる昼休みにはよく、孤独という事実を隠すように図書室に逃げ込んだ。
図書室は学校の中で唯一静謐で平等な場所だった。小説、随筆、自伝とありとあらゆる本にかじりつき、時には魔法使いになって両親を殺した宿敵と戦い、時にはただひとりの人を想う女性となって、フィレンツェでの約束を誓った。

本を読むことが第一次欲求であり、寝たい、食べたい、と並列して本を読みたいという欲求が常にあった。今となって思えば、主人公に自分自身を投影することで、自分の居場所を作品に見出していたのかもしれない。
自意識にまみれた思春期を憂い、本の世界に浸ることで自分自身が何者なのかを知ろうとしていた。

しかし、高校、大学と年齢が上がるにつれ、どんどん本を読まなくなった。気の置けない友人と出会い、打ち込めるものと出会い、想像の世界に居場所を見出さなくても、徐々に現実世界でよりどころとなる環境を見いだせるようになったのだろう。WEBの記事を読むようになったので活字欲が満たされたとも考えられるけど、スマホやパソコンからだと上手く活字の世界にのめりこめないので、かつての本への欲望と比べると、心理的な違いは明白だった。

ところが、今、2021年秋。突如わたしに本のセカンドインパクトが起きた。本を読みたくて読みたくてしょうがない衝動にかられ、隙あれば本を読んでいる。古代ラピュタ文字で書かれた石版を解読するムスカのごとく、「読める、読めるぞ〜〜〜」と活字が染み込んでいく。机の脇に置いてあった積読がみるみるなくなった。

セカンドインパクトのはじまりは星野源さんの「よみがえる変態」という日記エッセイだった。星野さんが脳動脈瘤破裂、くも膜下出血という病気を乗り越える期間に連載されていたということもあり、星野さんの生き様が描かれている。その言葉通り、人生を考えさせられるような深い話もたくさんあるのだが、書籍の一番最初のタイトルは「おっぱい」。で、男性が女性に言ったらセクハラで訴えられるであろうというハレンチなことが惜しみなく描かれているの衝撃的。見られたくないであろう心の内をどうしてこんなにも赤裸々に描けるのだろうかと感服しながらぐんぐんと読み進めた。

わたしが一番好きなのは「パンケーキ」というタイトルの話で、恵比寿のカフェでエッセイを書いていたら天候が悪化したので、パンケーキを食べながらお客さんの様子をながめ、時の流れをしみじみと感じるというストーリー。(ざっくりしたストーリーでは良さが伝わらないと思うのでぜひとも本編を読んでほしい。)

「仕事や生活など周りで起きたことに対して、真夜中のテンションで哲学する」というテーマで、日常のワンシーンを色鮮やかにやさしくなぞる星野さんの影響を受けて、わたしも日記エッセイに挑戦してみたくなった。

本の世界に自分が何者なのかを探し、居場所を見つけることが少なくなったいま(大人になったな自分)、本への衝動は新しい何かをはじめようとする情熱に近いのかもしれない。継続が苦手な自分に苦笑いしながらちょっとした宣言をしてみる秋の夜長である。


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