写真_2019-03-12_16_32_47

アナザーブルー〜もうひとつのいばしょ〜

ープロローグー

画像1


14歳のころ、「ある愛の詩」という小説が、大好きだった。
新堂冬樹さんの作品で、小笠原を舞台に、イルカを通して描かれた男女の恋愛小説だ。それはもう、体中がむずがゆくなるくらいピュアなストーリーだった。作中の二人の愛には中学生ながらもちろん憧れた。
でも、それよりも、主人公の拓海がイルカと話せて泳げるという設定で(「イルカびと」と呼ばれていた)イルカが大好きだった私は、拓海とイルカが泳ぐシーンに強く惹かれた。早速、小笠原の行き方を調べると、船で25時間半、航路は、一週間に一度ということを知り、絶望した。(しかもかなりお金がかかる)
「いつか、いつか、小笠原でイルカと泳ぎたい」
14歳で心に生えたその芽は、ゆっくりとゆっくりと大きくなって、23歳のときに、花が咲いた。
新卒で入社した会社を一年半で辞めたときだ。
自分のやりたいことを言語化できないまま、就職活動に挑み、それなりに面接を受け、それなりに考えて入社をした。
でも、長過ぎる労働時間による身体的疲れと、このままこの会社でキャリアを築いていいのかという疑念が、日に日に強くなった。
満員電車に身体を詰め込むときは、鼻や耳を、体中の穴を、極力ふさいで無心になった。
会社の理不尽なことにも笑顔をつくって振る舞っていると、自分の中の正直な感情がポロポロと溢れて消えていった。
とうとうある日、ぷつんと糸が切れた。
辞める意志を上司に伝えた瞬間、呼吸をするのが急に楽になった。
息もできなくなるほど、思いつめていたのかと、その時ようやく気がついた。
仕事に捧げた一年半。
自分へのご褒美として、夢だった小笠原行きを思いついた。
それにしても24時間。(2016年新小笠原丸の運行になり、渡航時間が1時間弱短縮された。)
14歳のときに絶望した移動時間は、今となっては、魅力に感じる。
一度行ったら一週間帰れないなんて、途方もなく遠い世界に連れて行ってくれるような気がした。
出発当日。
竹芝桟橋に横付けされた新小笠原丸は、くじらの様にのっそりと、堂々としていた。
遠い、遠い、夢の世界に連れて行ってくれる頼もしい存在。
「ボーーーーーー」という出発の音がすると、あたりが急に騒々しくなる。見送りの人、旅立つ人。出会いと別れが入り交じる高揚した空気が包んでいた。

ー何もしないをすることー

画像2

竹芝桟橋を出ると、はじめは、ゆっくりと海に浮かんでいるようだった船も、レインボーブリッジの下を通り、羽田空港の横を通過すると、ぐんぐん沖に出る。
甲板にでると、「ばっばっばっばっ」という船の呼吸が響いていた。
乗客は各々オリジナルの過ごし方をしていた。
早くも盃を交わしている人、写真をとっている人、読書する人、海風に当たる人。
港を離れて間もないころは4Gだった電波も、徐々に弱まり、3時間ほどで圏外になっていた。
雲の流れとさざ波を見ながらぼうっとしていると、「一秒」「一秒」と、目に見えないはずの時間を、肌で感じる気がした。
今まで生きてきた中で、何時間も同じ場所で、ただ時間の流れを眺めたことなんて、一度もなかった。
暇ならスマホを見たり、音楽を聞いたり、せわしなく動く。
強制的になにもできない空間にいくと、そこにあるのは「退屈」ではなく、何もしなくていいという「安心」だった。
時間の流れに身を任せているうちに、あっさりと日没を迎えた。
24時間なんて、あっという間だった。

ー青に染まることー

画像3

船を降りると、小笠原の港、二見港は宿の方々のお迎えでにぎわっていた。日差しは強いというか痛かった。
ガンガンな太陽が小笠原に来たことを、告げていた。
それぞれ独自のプラカードを持って、笑顔で出迎えてもらえると、はじめてきたのに、「ただいま」と言いたくなる。
港の前の200mくらいの一本道は「まち」と呼ばれていて、スーパーや農協やレストランはここに集中している。(まちといっても、数十軒くらい)
宿についてすぐ、シュノーケルツアーに参加した。
海に入る前に、公園の樹の下で、ゆっくりと体をしならせてヨガをした。
木漏れ日を辞書で引くとき、挿絵としてのせたくなるような光を浴びながら、深呼吸をする。
海と木と風と、自然をたくさん含んだ風が冷たい水を飲んだ時みたいに、すっと体に入っていくのがわかる。
港から北に10分ほどの宮之浦という海岸でシュノーケルの練習をした。
「青、青、青!!!」叫びたくなるような青さだった。
今まで泳いでいた海は海じゃないかもしれない。
それは、未知の青さだった。
ひんやりした美しさに、体が猛烈に喜んでいる。
小笠原の突き抜けるような青は「ボニンブルー」と呼ばれている。
かつて島を開拓したハワイや欧米系の人々が「無人(ぶにん)」を「ボニン」と発音し、小笠原を「 ボニン(無人)アイランド」と読んだことから、小笠原の海を「ボニンブルー」と呼ぶそうだ。
青いビー玉を溶かしたこの海に、もっと染まりたい。
シュノーケリングの時は、「ジャックナイフ」という、それはそれはかっこいい名前の潜行方法で、体を水底に運ぶ。
上半身を90度にくいっと曲げると体が自然と海の中に沈んでいくのだ。
足が水に浸かったところで、両足でドルフィンキックをして、奥へと進む。
はずなのだけれど、ようやく足の先が水に入ったいうところで、今度は、息がギブアップをむかえる。
海の世界は甘くない。
息が続かないのは無意識のうちに、緊張や恐怖心があるかららしい。
たしかに、「もうだめ」と思っても、海の中で、ガイドさんに手を支えてもらうと、空気を吸ったかのように、息苦しさが消える。
ぜんぜん余裕あるじゃん自分、なにやってんねん。
何度も、何度も、練習すると徐々にコツをつかんできた。
一度ゆっくりと吐いて、肺が大きくなるのを感じながら吸う。
もう一度ながーくはいて、横隔膜がぴんと張ったところで、えいっと潜る。
すぐに水になじませるように、体を波立たせる。
「あせらない、あせらない」
落ち着いてくると、愉快な仲間たちがたくさん飛び込んでくる。
「ナンヨウハギ」「ヘラヤガラ」「ヤマブキベラ」「クマザサハナムロ」「アカハタ」
南国魚特有の色とりどりの魚達。青一色だった海は、虹色に変わった。

ー星に触れることー

画像4

夜は、星空ツアーに参加した。街の光が届かない山の上まであがり、ゴザを敷いて空の下に寝転がる。
平面に見えていた空が半球体にみえて、地球は丸いことを実感させられる。
空にはこれでもかってくらい星が散りばめられていて、探さなくても、流れ星がみえる。
昼とは違う、甘い夜の風が心地いい。
ガイドの方の星にまつわる、ストーリに耳を傾けながら、空に吸い込まれるみたいに、星を眺める。

昔の人は夜になると、星を眺め、星を目指して旅をしたんだよ。
明るい星の下には島がある。という言い伝えがあって、「いいかげん」って思うかも知れないけれど、ハワイを見つけた先住民たちは、本当にうしかい座の1つ、アークトゥルスを、目指したそうだ。
それは、ハワイ語では「ホクレア」と呼ばれていて、「喜びの星」という意味なんだよ。
新暦の七夕は7/7だけど、旧暦の七夕は8/9。
旧暦は太陰暦とよばれていて月の満ち欠けによって日付が決まる。
新月が一ヶ月のはじまりとされていて、まんまる満月のときが15日。
8/9はそこそこ月が明るくて、天の川が見えにくくて渡りやすいから、彦星と織姫にとっては、旧暦の七夕の方が、無事の会えて、好都合なんだよ。

普段の生活で、月とか、星とか、神話とか、意識することなんてない。
こんなにも近くにあるのに、興味を持ったこともない。
星を見て旅をした人たちの先祖は日本の縄文人という説があるらしい。
星を見て、星に触れないなんて、縄文人の先祖として恥ずかしい。
満点にやさしく瞬く星は、ここにいていいんだと思わせてくれた。


ー言葉を使わず会話することー

画像5


天気は良くても、海は荒れている日がある。
海の機嫌は子供みたいにころころ変わる。
イルカと泳げた日の海は、とても不機嫌だった。
船横に波が容赦なくぶつかってくる。
波の割れ目にぐっと沈みこむとすぐ上に持ち上げられて、水面に叩きつけられ、ばっと水しぶきがあがる。
完全に波のおもちゃにされていた。
ドルフィンスイムでは、朝の8時ごろ港を出発して、日がなイルカを探す。
会えたらラッキー、会えない方が普通、ぐらいのテンションでいなければ、実際に会えなかったとき、船上はお葬式と化す。
イルカの探し方は「前びれを見つけるだけ。」
なのだけれど、言うは易し、行うは難し。
白波や魚が飛び跳ねた瞬間に「イルカ!?」「あ、違った」をひたすら繰り返す。
イルカも自分も動いているから、一点を見つめてはだめ。
目をころころと動かしながら、遠くをまんべんなくみる。
コツを教えてもらって、躍起になって探す。
集中しすぎて目がしばしばしてくる。
会えないムードが漂いはじめた頃、マサイ族のような船長が何百メートルも先のイルカを見つけてくれた。
見つけた否や、船はざざっと水面に飛沫をあげて、イルカがいる場所に駆けつける。
その間にシュノーケルとフィンをつけて、いつでも飛び込めるようにすばやく準備をする。
船上はにわかに、イルカに会える喜びで華やいだ。
ガイドさんがイルカの動きをみて、飛び込みの合図を出してくれる。
合図があったら躊躇している暇はない。
多少波が荒くとも、なんのそので飛び込む。
最初は目の前の大海原に体がすくんだ。
「ええい、やったれ」と、奮い立たせて、ドボンと勢い良く沈む。
海に入ると1メートル先にイルカがいた。
夢だったイルカとのご対面。
遠かった存在が、いきなりあまりにも近くにいすぎて、呼吸を忘れる。
イルカの目はとてもやさしい。
何もかもわかっていると言わんばかりの瞳。
見つめられると心がほぐれていく。
イルカに会えた嬉しさと潜行技術の乏しさで、水面で体をばちゃつかせていると、イルカが同情して、寄ってきてくれた。
体のまわりをくるっと一周すると、「きうーきゅう」と話しかけられる。
上手く泳げない私をからかったのかもしれないけれど、そのイルカはとても楽しそうだった。それだけは、なんとなくわかった。
言葉を使わずとも、心が通じ合えた(かもしれない)ことに、つま先から嬉しさがこみ上げた。
人間の心をあっさりと掴んで去っていくイルカたちは、ルパンみたいだった。

ー生まれるということー

画像6

雨が降ったあとの、しっとりと水分を含んだ夜気の中、まちから少しはずれた夜の海岸を散歩した。
海岸には一人きりだった。
夜の波音は昼間よりも大きく聞こえる。
月も街灯もない海岸は、東京の夜よりもずっとずっと暗いけれど、不思議と怖くはなかった。
砂浜の少し上にあがったところで、小さい爆竹のような音が聞こえる。
「ざんっざんっざんっざん」
アオウミガメだった。
まちの海岸だと、人影が見えると警戒して産卵をやめてしまうこともあるらしい。
そっと近寄ったが、暗くて足元がおぼつかず、砂浜に足をとられ、転んだところで、ばっちり目があった。
きまづい沈黙のあと、たいした相手じゃないと判定した様で、お母さんガメは、動揺することなく、穴を掘り続けた。
まず前足で大きな穴を開ける。これに1時間。
その後後ろ足で小さな穴をあける。これにまた1時間。
最後に卵を産み、砂をかけて埋める。合計3時間。
途中で根っこがあったりすると、違う場所を掘り直すらしい。
ウミガメは、産卵のとき涙を流す。
これは、辛いからではなくて、体内の塩分濃度を調整するために、海水が粘液として排出されているからと言われているけれど、この産卵の大変さを思うと、辛いからというのもあながち間違いではない気もする。
どんな生き物も母は強い。
それでも子ガメたちが大人になれる確率は0.3%しかないそうだ。
しばらくとなりに座って、出産に立ち会ってみたけれど、心のなかで応援して、宿に戻った。

ー風をみることー

画像7


小笠原は明治11年、日本国内で初めてコーヒーの栽培が試みられた地。
農園の前の山は「コーヒー山」という住所で、「コーヒー山」宛に手紙を出せばきちんと届くらしい。
コーヒーの歴史の深い場所で、コーヒーツアーに参加した。
コーヒーチェリーの観察から、自分で豆を焙煎し、挽いて、最高の一杯を淹れる。
コーヒー豆は果肉の種にあたる部分で、豆のまわりは、しゃきりとした果肉とねばねばした甘い蜜におおわれていて、コーヒーチェリーと呼ばれている。
一粒口に含むと、さらりとした植物の甘みが広がるが、あっという間に消え、あとにはしゃきり果肉だけが残る。
観察が終わると、豆を瓶と木の棒を使って、脱穀をする。
薄皮を向いた豆を網を使って、こして、更にハンドピックと言って、傷があったり、虫に食べられてしまっている欠点豆を取り除く。
一人分の豆ですら地道な作業に机をひっくり返したくなるが、コーヒー農家の方は山積みになっている豆たちを広げて作業することもあるそうだ。
豆の精査が終わると、焙煎機で煎る。
焙煎機を振りながら、ポップコーンがはじけるような音の「ハゼ」を聞き分け、好みの色になるまでローストする。
コーヒーの甘美で神々しい香りがぐわんぐわん香ってきて、うっとりとしてしまう。
無心でミルを挽いて、ペーパドリップで落とす。
ぷくぷく〜もくもく〜と豆が呼吸をはじめる。
コーヒーの木の前にテラスがあって、たった一人で、できたてほやほやのコーヒーを飲む。
車の音も、人の声もしない。
木と木の間に風が通り抜ける道が見える。
その通り道を鳥が追いかけて遊ぶ。
暖かい空気と冷たい空気と湿った空気と乾いた空気が、やんわりと体を包み込む。
そよ風に吹かれながら、ふわふわのベットで寝ているみたいだった。
今夜は満月だ。
満月の日は月の引力が強くなるから、植物も上に向き、収穫に向いているらしい。
コーヒーと一緒に植えられているヤシの木やバナナの木も、どことなく嬉しそうに見える。
月の月例!
都会にいると絶対意識しない。
月の月例。
月の月例。
そんなことを言える自分がかっこよく思えてきて、呪文のように繰り返す。
自然と一緒に生かされている気がした。

ーエピローグー

画像8

海の香り、風が肌に触れる感触、鳥が楽しそうに歌う声。
小笠原では自然の声をたくさん聴いた。その声を聴くと、柔く、あたたかく、心に余裕が生まれてくる。
今までの生活でも聴こえていたはずなのに、ぜんぜん気が付かなかったなんて。
呼吸をしたり、本を呼んだり、海を眺めたり、星を見たり、ご飯を食べたり、コーヒーを飲んだり、人や動物と会話したり。
心に余裕が生まれると、一瞬一瞬を丁寧に過ごせるようになる。
当たり前だとしていたことが、ものすごく幸せなことだと思えた。
日々の幸せがどんなに恵まれたことかと。
「あれもやりたい」「これもやりたい」
憧れや好奇心のまま、貪欲に多くのことを求める中で、結局自分にとって何が大切なのか、何が幸せなのか、わからなくなっていた。
忙しさにかまけて、見つけようともしなかった。
大切な人と、ゆっくりと時間を刻んでいくことが、こんなにも愛おしいことなのだと、小笠原に来て、心の底から思えた。
これが、幸せのかたちなんだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?