短編小説「カンセン」(by赤と気体)

 誰も彼もがカンセンシャだ。
 もうテレビの向こう側のお話しではないことを分からなくてはいけない。遠いどこかのことではないのである。映画で見たフィクションのように思われるが、これは現実で、事態はとっくの昔に切羽詰まっているのである。防護服を着た誰かが、健常者とカンセンシャを別けていく。会いたいのに会えない世界が、もう来てしまっている。
 誰かを差別することにさほど理由がいらない社会になってしまっている。
 咳をしている誰かと距離を取って、隔離して、その近親者や近縁者を拒絶する。仕方ないですか? 本当にそうですか? 正しい処置とは、本当にそれであっていますか?
 とかく、日本は、この病気という目に見えない物に対する恐怖、ケガレに対するオソレが、根強いのである。ケガレた者が触ったものもまた、ケガレてしまう。それが正しいこともあるが、そうでないことだってある。
 今は、手を取り合って協力する時なのであって、誰かを棒で叩く時間ではないのである。
 これは他人事ではない。カンセンシャ気取りではいけないのである。
 では、俺は、どうだ?
 俺もまた、いや、俺こそが、症状が出ていないだけでカンセンシャではないのか? 白い羊の中に一匹紛れ込んだ、黒い羊。その黒い羊から、シミが広がるように、黒が、伝染していく。あぁ、まるで太宰の気分だ。ポツンと一人だけ、異質な気分……。
 いや、太宰よりも質が悪い。自分が黒い羊であるかどうかすら分からないのだ。本当は自分は白い羊で道行くあの人こそが黒い羊ではないのか? そう思えば、全員顔色が悪いように見えてきた。
 やめろ、通り過ぎるな。こっちに来るんじゃない。俺は、健常だ。白い羊だ。黒く、染めてくれるな。
 思わずマスク越しに口を抑える。あぁ、やってしまった。マスクの外側こそ、菌が付着しているかもしれないのに。どこか、どこか手を洗える場所はないか?
 きょろきょろと辺りを見渡して、何とかお手洗いを探し出す。慌てて走って入る。日は暖かいものの、まだ冷たい春の空気が、頬を撫でていった。
 自分は潔癖症なわけではない。だが、このお手洗いの蛇口は一体誰が触った? 流行りのウイルスじゃなくても、どんな人物が触ったか分かったもんじゃない。健常者ばかりか? 本当に健常者か? 健常者とは一体どんな人間だ? 俺は、健常者か?
 背に腹は変えられず、蛇口を捻って水を出す。日本の水は清潔です。清潔だから、問題ありません。そうです、清潔です。だから、大丈夫です。
 自分に言い聞かせるように、呪文を脳内で唱える。大丈夫、大丈夫。
 持ち歩いているハンカチで手を拭いて外に出ると、そこには、咳き込んで苦しそうにしている女性がいた。膝をついて、息をするのすら難しそうに咳をしている。
 誰も彼もがカンセンシャだ。
 当事者になろうとはせず、遠巻きに見ている。駆け寄る人はいない。救急車は流石に誰か呼ぼうとしているか? いや、ここには、俺しかいないのか? 俺も、誰かがいたら、カンセンシャになろうとしていたか? そのまま、立ち去っていたか?
 踏み出そうとしたその瞬間、足がすくんだ。
 待て。俺こそがカンセンシャだとしたら? だとしたら、この具合が悪そうで免疫力が落ちてそうなこの人にうつすのは、俺になるのか?
 昔、AEDを男性が女性に使うと、犯罪になって捕まってしまうという話が流れた。そんなリスクを犯してまで人を助けなくてもいいのではないか、という風潮が流れたことがあった。
 それと同じだ。リスクを犯してまで助ける必要があるのか? これは俺の自己満足ではないのか? 偽善ではないのか? だが、今、この瞬間にも彼女は命の危機であって、俺は、駆け寄って彼女の軌道を確保したり、楽になれる場所に連れていってあげなくてはいけないんじゃないか?
 どうして俺なんだ? どうしてこんな俺なんかが決めなくてはいけないんだ? ヒーローは颯爽と現れないのか? 不要不急だからお休みなのか?
 誰も彼もがカンセンシャだ。
 無責任だ。責任を取らないために、足を止めない。この世界には俺と見知らぬ彼女しかいないのかもしれない。そう思われるぐらい、人は、世界は、残酷で、止まらなかった。
 俺は、足を、踏み出した。
 この一歩が、もしかしたら、誰かの迷惑になってしまうかもしれない。だとしても、見殺しにはできなかった。救えたはずの命を見過ごしてしまう方が、後悔すると思ったからだ。
「大丈夫ですか?!」
「すみません、ありがとうございます」
 その言葉だけで十分だった。
 どうして、誰も彼もが生きているのに。手を取り合うことは、こんな時ですら難しいのだろうか。差しのべることすら、躊躇われてしまうのだろう。
 取った彼女の手は、とても暖かかった。

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