短編小説「旅」(by赤と気体)

 人生が旅だとするなら、ゴールはどこで、僕らは今どこまで進んだのだろうか。
 人生が百年とするなら、今二割とか? いや、これから加速していくから、まだまだ? それとも死に際に色んなことを悟って初めて、スタートになるのか?
 何にせよ、僕らはどこに立っているのだろうか?
 大学二年の冬、冷たい空気が肌を刺す九州の片隅。僕は、そんなことを考えていた。
 どこか燃え尽きた感覚で、僕はゆらゆらと考えを巡らせていた。燃えられる何かを求めて、僕は、さ迷っていた。
 この一年、全力で大学生活してみた。授業にサークルに、全力投球だった。後輩の話も聞き、先輩からの助言も聞き、評判も上々。幹部候補に挙げられるほどだった。だが、もう何もかも終えた気でいた。来年は今年の焼き増しや、再放送のように思われた。今さら情熱を燃やすほどの価値を感じられなかったのである。
「青春小説は、何で好きなんだ?」
「十代の少年少女が本気で頑張る姿が好きなんです」
 先輩がそう問い掛けた。今年の夏前から僕がお世話になっている先輩だ。ミステリー小説をこよなく愛している文芸部の先輩。見た目はお世辞にも小説を愛しているようには見えない。どちらかと言うとアメフトをこよなく愛しているように見える。
「ミステリーはジャンルとして確立されている。アクションも恋愛も。だけど、青春小説はそうではない。人気ないんじゃないのか?」
「かもしれないですけど、僕は、大好きなんですよ」
「金にならないんじゃないのか?」
「だとしても、書きますよ」
「……これは、現実的な問題なんだが」
「なんですか?」
「作家として生きてくためには、書きたいものを書くことを許されないことがある」
「……はい」
「担当編集が、青春物はやめてください。明日から、いや今日からミステリーを書いてくださいと言ったら?」
 喉が乾いた。冬の夜。珍しく誰も遊びに来なかった僕と先輩だけの静かな夜。静かながらも熱い論議が交わされていた。熱は身体から水分を奪い、蒸気へと変えていった。
 乱暴に、水をあおる。
 あの時、小説の中の少年少女たちは、苦境にどう応えただろうか? 屈して、諦めただろうか? いや、違う。あの時、少年少女たちは、苦しみながらも、答えを出したはずだ。
 だから、僕も、出すんだ。
「書きます。生きるためなら。その後、青春物を書きます」
「一生かもしれないぞ?」
「だとしたら、発表できなくても書きます」
「……どうして、そんなに書きたいんだ?」
「僕は、青春は哲学だと思ってるんです」
「哲学?」
「十代の少年少女が抱える、何のために生きるだとか、どうやって生きていけば、とか、自分は何者なのか、とか。全部突き詰めれば、哲学的で、本当は、今生きてる僕たちが欲しい答えの、問題文なんだと思います。それに、必死に抗って、答えを出している姿が、僕は好きなんです」
 ちょっとだけ、嘘をついた。本当は、僕もそうありたいからだ。問題や思いについて、真剣に本気で声を荒げ、傷付きながらもぶつかりたいのだ。変に大人になってしまって「青春小説」たりえなくなってしまった。
 いつから、小さな、大人になって、心を飼い慣らすようになってしまったのだろうか。
「そっか」
 先輩は、煙草を取り出しながら、相槌を打った。それは、終わりの合図で僕は少し寂しくなった。
 いつからか、先輩は煙草を吸い始めた。それは明らかにストレスによるもので、先輩がストレスを煙に溶かして吐き出すのを、悲しく思いながら見ていた。
 子供には戻れない、象徴のように、思われて。
「先輩」
「ん?」
「なんで、そんな喧嘩売ってくるんですか?」
「その方が、お前が話してくれると思ってな」
 やっぱり、この人には勝てない気がした。
 先輩が窓を開けると、冷たい冬の風が肌にまとわりついて、思わず布団を被った。
「寒いな」
 ベランダに出ないまま、先輩は続けてこう言った。
「お前の好きなようにしろよ」
 ベランダに続く窓は閉められた。
 この夜、僕は、決めた。いや、この夜がなくても、僕は決めていたのかもしれないし、そんな予感はしている。だが、この夜のおかげで、僕は、強く決断したのだ。
 あの小説の中の少年少女のように、強く決断したのだ。
 この旅路の果てに、何が待ち受けようと、後悔しないと。何があろうとも、この夜を糧にして進み続けていくと。
 この冬、僕は大学をやめた。
 何もかもを捨てて、夢を追いかけることにしたのだ。
 あの時言ったように、少年少女の物語を書き続けるために。僕がいつだって、誰かの物語で救われたように、僕の物語が誰かの救いになれるように。
 創作の旅を始めることにしたのだった。
 誰かが僕を子供だと笑うだろう。それでかまわない。いや、それでいいのだ。
 小さくまとまった大人なんかじゃない、少年少女の青春小説なのだから。

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