短編小説「回る」(by赤と気体)

 受容するだけのニューロンにはなりたくない。
 誰もがきっと、そう思っている。例外なく、僕自身もそうだ。最早世界の最先端、トレンドだ。
 最近は回転寿司もレーンを廃止して、注文制になってるところが増えているとか。限られた選択肢を選ばされていることに、嫌気が差しているのだろう。
 テレビは今日も、誰かと距離を取って放送を続けている。何を届けたくて、続けているんだろうか。昼下がりのワイドショーは、深刻な顔で流行り病について、あれこれと憶測を投げ掛けている。
 テレビの情報は、スポンサーとか政府や放送局の意向があってねじ曲げられているんだ、とみんな思っている。絶対に裏があって、自分が調べて得た物が本当の真実だと思っている。
 本当にそうか?
 調べるって何だ? 現地に赴いたのか? グーグル検索にかけたり、Twitterでエゴサして簡単にたどり着いたり、バズった物が真実なのか?
 人が支持してる物こそが正解ですか? マックとコーラは世界で一番おいしい食べ物ですか?
 支持してないものは偽物ですか?
 ならば信じたい物こそが正解ですね。自分の心地いい物が、真実に成りうるのでしょうね。

 本当に何もかもそうですか?
 陰謀論だと笑いたければ笑えばいいでしょう。回転寿司は心地いいですか? 自分で頼んだメニューはさぞおいしいでしょう。
 でもそれって、もう制限された中での、自由ですよね?
 四択を、さも四択じゃないように振る舞えば、無限の可能性に人は酔ってしまうのでしょうね。
 こうやって、疑っている僕自身ですら、きっとそうなのでしょうね。
 籠の中の鳥。
 井の中の蛙。
 釈迦の手の孫悟空。
 僕らは、制限された自由の中で、真実を手に狂い笑っているのでしょうね。
 でも、きっと幸せです。
 真実は僕らを傷付けるぐらいどうしようもないもので、それを誰かが守ってくれているのかもしれません。
 優しい誰かの目隠しで、僕らは幸せなのかもしれません。盲目なまま、眠っても構わないじゃないですか。
 ペットボトルのコーラを一気にあおった。新鮮な炭酸は、生温い危機の今日に穴を開けてくれる気がした。刺激は目を覚ましてくれるような感覚になった。真実の味だ、と思えた。
 そんなのまやかしだ。こんな感覚も全て、この炭酸の泡のように消えてしまうのだろう。
 もう一度、煽った。お前なんかより、僕が強いんだぞと誇示するように。味を感じるでも、渇きを潤すでもなく、ただ、消費されたペットボトルがそこにあった。
 まだ五月でもないのに、生温い空気と、穏やかに忍び寄る病魔の手が、僕らを茹だらせ、気だるさを呼んでいた。
 窓の外は、とてつもなく、遠く見えた。

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