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POOLO1期マガジン

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こちらは、次世代のグローバル人材が育つ、あたらしい大人の学校「POOLO(ポーロ)」の1期生のマガジンです。TABIPPOからの案内やPOOLOメンバーの記事をためていきます。
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#これからのこの世界で私がやりたいこと

POOLO始動!TABIPPO代表・清水直哉が語る、組織の在り方と期待

2019年6月、株式会社TABIPPOの主催する「21世紀型グローバル人材育成プログラム・POOLO」が満を持して始動した。参加者200人には、次世代を担うグローバル人材になることが求められている。そこで、POOLOの事業責任者である清水直哉氏に、これからのグローバル人材を考える上での視点や、POOLOの参加者に期待することを伺った。 清水直哉 プロフィール 2010年、世界一周で出会った仲間とともにTABIPPOを立ち上げ、2014年に株式会社TABIPPOを設立。現在、

#0 生い立ち|鮎澤直希

こんにちは!鮎澤直希(あゆさわ・なおき)です。 今回はPOOLOの卒業制作の第0章ということで、初note投稿です。 ▼POOLO詳細はこちら テーマは#これからのこの世界で私がやりたいことなのですが、本題に入る前に、私のビジョンを築いた原体験や人生について書いておこうかなと思っています。 自分史とか生い立ちとかってよく言われますが、僕が今の会社の面接受けるとき、この話をしたことでなんか受け入れられた気がしたんです。 人のバックグラウンドを知ること、開示することって

これからのこの世界で私がやりたいこと──「すべての人の存在意義が最大化された社会」を目指して #1|鮎澤直希

こんにちは!鮎澤直希(あゆさわ・なおき)です。 今回はPOOLOの卒業制作、#0に続く2回目の投稿です。テーマは、#これからのこの世界で私がやりたいこと。 あまりにも長くなってしまうので、4回に分けてリリースしたいと思います。また0章として、生い立ちも書いたので、興味ある方がいたら読んでみてください。(重要な部分は本編に組み込んでいるので、ちょっと被る部分もありますが) 最初のテーマは、「理想とする社会(ビジョン)」と「問題意識」です。 #これからのこの世界で私がやり

これからのこの世界で私がやりたいこと──「すべての人の存在意義が最大化された社会」を目指して #2|鮎澤直希

POOLOの卒業制作ということで、4部作に渡ってお届けしています。テーマは、#これからのこの世界で私がやりたいこと。 前回の#1は「理想の社会」と「社会に対する問題意識」を書いてみました。 ちょっと壮大だったと思うので、今回はミッションと題して、この社会で「自分は」何がしたい、何をすべきなのか、というHOW的な話をしていきたいと思います。 #2 ミッションビジョンと社会への問題意識に、自分にできること(性格、得意分野、経験、スキルなど)を踏まえて、自分の「ミッション(果

これからのこの世界で私がやりたいこと──「すべての人の存在意義が最大化された社会」を目指して #3|鮎澤直希

POOLOの卒業制作第3弾です。 テーマは、#これからのこの世界で私がやりたいこと。これまで3回にわたって記事を公開してきました。今回はついに後半戦です。 ▼卒業制作あらすじ #0【生い立ち】 #1【ビジョン】理想の社会とか問題意識 #2【ミッション】自分の実体験・果たしたい役割 #3【課題特定と仮説】自分が変えたいものは何か? #4【ソリューション】私はこれから何をするのか#5【私のロードマップ】これからのこの世界で自分がやりたいこと #1、#2と、自分の理想とす

これからのこの世界で私がやりたいこと──「すべての人の存在意義が最大化された社会」を目指して #4(最終回)|鮎澤直希

POOLOの卒業制作第4弾、最終回です。テーマは、#これからのこの世界で私がやりたいこと。#1はビジョン、#2はミッション、#3はアプローチすべき課題について書いてきましたが、遂に最終回。 ▼卒業制作あらすじ #0【生い立ち】 #1【ビジョン】理想の社会とか問題意識 #2【ミッション】自分の実体験・果たしたい役割 #3【課題特定と仮説】自分が変えたいものは何か? #4【ソリューション】私はこれから何をするのか #5【私のロードマップ】これからのこの世界で自分がやりたいこと

僕がPOOLOというコミュニティで得たもの~卒業制作~

お久しぶりです。松澤です。 今回はPOOLOの卒業制作ということで、少し趣旨とはずれる部分もあるかとは思いますが、この1年間で僕が得てきたものを羅列していきたいと思います。 ▼仲間 僕はPOOLOで1on1トークという手法を用い、様々なコミュニティメンバーと対話を図っていた。 1on1の目的として、勿論本質は「その人のことを知りたい」であったり「新しい価値観に触れたい」であったりするんだけれども、ただ単純に「正面衝突」が心地よかったから続けていたというところが大きい。