見出し画像

035.温故知新の考古学

2002.10.15
【連載小説35/260】


温故知新。
古きをたずねて新しきを知る…

今週、海野航氏と有意義な議論の時間を重ねた僕とナタリーが再認識したことは、「今」に至る「歴史」の重みであり、それなくして、如何なる未来もありえないということだ。

トランスアイランドにおけるエージェントの使命は、ある意味で島の未来創造。
故に、ともすれば今我々が立脚する地点に対して、前ばかりに目が行ってしまう。
が、文化人類学者である海野氏は違うのだ。
彼は徹底して「過去」を見つめ、そこから未来を模索する。

考えてみれば、積み重ねられてきた「歴史」とは、紛れもなくリアルな事実であり、これから重ねられる「未来」は全てがヴァーチャルな空想だ。
全ての過去があって今があり、現時点の未来でさえ、刻まれる時の中で過去へと変貌することでリアルな実体を獲得していくのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このふた月、カヌー事件と前後してトランスアイランド島民を熱くしたのが、8月22日の海野氏による一本の釣針発見だった。

人類未踏の島としてその歴史をスタートさせたはずのこの島に、かつて人が暮らしていたかもしれないとする考古学的発見は、その後のボランティア発掘ブームへとつながり、島民にある種の夢と探究心を提供することになった。

経緯を振り返っておこう…

遺跡発掘でポピュラーなのは土器の存在だが、太平洋上においてはその文化が少なく、代わりに様々な素材と形態のバリエーションを持つ釣針が考古学的材料として用いられてきた。

釣針は海上を漂流するものではないから、トランスアイランドのように、周囲1000キロ以上に渡って、人が暮らす島のない孤島においては、人為的でなければ釣針が存在することはほぼあり得ない。
そこで、一本の釣針発見が、島に人が暮らし、漁によって日々の糧を得ていたのではないかという推論につながる。
また、釣針の仕組みや素材は何漁に適したものかを判別できるから、広範に及ぶ海域のどのエリアの漁業文化に属するかの判断材料にもなるのだ。

南洋考古学では、この釣針をヒントに周辺の発掘を重ね、石斧や人骨、象形文字が描かれた石碑などの生活痕跡を見つけることで、過去を探っていく。

海野氏は発見した釣針が真珠貝製であったことから、そのルーツを北東のハワイ諸島と見当付けた。
オアフ島にパールハーバーなる地名があるように、ハワイでは真珠貝がよく育つため、人骨に続いて真珠貝が釣針の素材に用いられていたのである。

ハワイは千年以上も前に、遥か南方のマルケサス諸島あたりから、長い航海を経て移住してきた民族によってつくられた社会だから、彼らがその延長線上にトランスアイランド海域まで進出してきたと考えてもおかしくはない。
高度な航海術に加えて、貿易風の風下に位置するこの海域のポジションも推論を後押しする。

が、しかし…
その後の発掘調査を経ての海野氏の現状における結論は、この島に定住民やその生活痕跡はなく、発見した釣針は、漂流者の持ち物や、渡り鳥の足に絡んでいたものなどの偶然の漂着物であろうというものだ。
氏の豊富な経験から行われた調査においても、最初の釣針以降、新しい発見は何も得られなかったのである。

仮にこの島に先史文明を発見していたとしたら、海野氏の考古学界における評価は大きなものだったろうから、残念?と僕は尋ねたのだが、氏はいつもの日に焼けた笑顔で語った。

「何百年か前に、ひとりの男が訳あってこの島に漂着し、一本の釣針に自らの生命を賭けて生きたかもしれない…、そんな発見も充分に考古学的な魅力なんだよ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

発掘に学術的成果のみを求めるうちは考古学のロマンを全て知ることはできない。
そして、過去を学ぶということは、それがどのような中身であれ、全てが未来への肥しとなる…
海野氏が教えてくれることは、そういうことなのだろう。

「言葉」を用いてストーリーを生み出す僕にしても同じだ。
成果を評価に求めるのではなく、ただ書くことに求めるべきなのだ。
空想の物語も、それをどこかに記した時点で事実となり歴史の中に取り込まれる。
その営みを淡々と重ねることにロマンを感じることができるなら、それで充分幸福ということなのだ。

海野氏に見せてもらった真珠貝の釣針は、その手の中で優れた芸術品のごとくキラキラと輝いていた。

遠い未来、今の文明が一旦滅びてしまったとして、この地球上に再び現れる者たちの過去にトランスアイランドは真珠貝のごとく輝くだろうか?
そして、この手記はその周辺で発掘されるささやかな痕跡となるのだろうか?


------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

INDEXに戻る>>

【回顧録】

この回のモチーフとなったのはハワイ大学で人類学科を卒業し、60年以上もホノルルのビショップ博物館に勤務された篠遠喜彦博士。
人類学者、考古学者としてポリネシア諸島の歴史解明に一生を捧げた博士の書籍はバイブルのように僕の書斎のハワイコーナー?に並んでいます。

特に釣針というシンプルな道具から過去を探究するアプローチは僕に考古学の魅力を教えてくれた最強のテキストでした。
興味のある方は是非、荒俣宏さんと共著の『楽園考古学』をご一読ください。
https://www.amazon.co.jp/楽園考古学-篠遠-喜彦/dp/4582512275

また、30数回のハワイ渡航歴を誇る僕が、初めて同地を訪問する人におすすめするのがビショップ博物館。このミュージアムは僕にとって人類史という縦軸と世界という横軸が交差する場所です。
/江藤誠晃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?