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006.開拓民

2002.3.26
【連載小説6/260】

「nesia」のランプが点滅するのと同時に、鳥のさえずり音が響く。
eメールの到着合図だ。

ビジネスメール。
友人たちからのメール。
クリッピングニュース。
コミッティからのレター…

自動受信の設定を済ませた掌上のPDAは、まるで優秀な郵便配達員であるかのように、指定したキャビネットに多数のメールを正確に振り分けてダウンロードしてくれる。

全てに目を通して、急ぎの案件にだけリターンを送ると、メールソフトを閉じてブラウザ画面を立ち上げる。
トランスアイランドの全景がデザインされたインターネットエクスプローラーのホームページからIDとパスワードを打ち込んでサーバーにアクセス。
DATAページで現在の島民数をチェックすると155人。

さらに、詳細を知るために、コミッティメンバーとエージェントだけが入ることのできる島民登録局のアドレスをタップしてパスワードを入力。
そこに並んだ、ひとりひとりのプロフィールを閲覧しながら、僕は分析した。
「開拓民」とはいかなる人たちなのか?

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南海の島を目指す…
以前なら、そこにつきまとったのは「文明に背を向ける」というイメージだろう。

ほぼ一世紀前の1903年5月。
ひとりの偉大な画家がタヒチでその生涯を終えている。
孤独なる放浪画家、ポール・ゴーギャン。

数々の名作と共にその名を芸術史に残した彼は、優秀な証券会社員という故国フランスでの安定した地位を捨ててタヒチに渡り、求道的な創作の末に死を迎えた。

19世紀から20世紀にかけて、芸術家や作家など「自己探求」にこだわるインテリ層が、文明に対する挫折感から未開の地へ旅立ったケースは多かった。
文字通り「流れ着く」というかたちで文明側から島へと人が移動したのである。

では、21世紀の今、トランスアイランドを目指す人たちはどうだろう?

不思議なもので、島で出会う人々の表情や、目を通した彼らのプロフィールの中に「冒険」につきまとう一種の気負いや、ネガティブな「逃避」感を感じることはない。
むしろそこに感じるのは「ゆとり」や「合理性」。

「自己探求」と「他者ネットワーク」のバランスを上手く保てば、小さな島でも豊かに暮らせるだろうという一種の楽観主義とでもいえばいいか…。

きっと僕らは「文明に背を向ける」のではなく、「文明を遠くから眺める」というポジションを獲得しているのだ。
今や地球上に未開の地はなく、全てがネットワークされているという21世紀的地球感がそうさせるのだろう。

この島にとっての「開拓」。
それは「自ら何か拓く」のではなく、「何かに対して自らを開く」ことから始まるのかもしれない。

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島開きまで、あと6日。
正式な国家ではないものの、太平洋の真ん中に誕生する独立した島社会としてのトランスアイランドは、その歴史をわずか150人強の人口でスタートすることになる。

遠い将来、内外の人々によって、この島の創成期が語られることになるとしたら、今、ここにいる僕らは、紛れも無く島の未来を方向付けた「開拓民」として、ささやかな太平洋史にその名を残すことになるだろう。
そして、この手記が、ゆったりと続くその長い物語のプロローグになるなら、これほど楽しいことはない。

僕は、まるで夜明け前の心地良いまどろみの中にいる気分だ。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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写真:ゴーギャンのタヒチ・プナッアウイアでの家【パブリックドメイン】

【回顧録】
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこに行くのか

ポール・ゴーギャンが画家としての辞世の作として描いた作品のタイトルは、僕の脳内に棲み着いたスローガンのようなものですが、このゴーギャンとの出会いを誘ってくれたのは英国人小説家、サマセット・モームでした。

モームの作品は若い頃にかなり読破しましたが、1919年に出版した『月と6ペンス』は僕にとって特別な作品です。残念ながらタヒチを訪れたことはありませんが、南洋の島々から文明社会を俯瞰するという僕なりのポジションを獲得したきっかけともいえる物語でした。

『儚き島』の冒頭部に仕込んだ「モーム〜ゴーギャン」の文脈は、5年間の連載の半ばで舞台として登場するシンガポールにつながっていきます。
/江藤誠晃

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