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128.釣竿片手に隠岐を思う

2004.7.27
【連載小説128/260】

3日前に隠岐からトランスアイランドへ戻った。

今回の帰路は寄り道なし。

日に1便の11時45分隠岐発日本エアコミューターで大阪伊丹空港へ飛び、関西国際空港へバスで移動。

18時30分発のユナイテッド航空ホノルル便がオアフ島に着くのが翌7時20分。

コペル社のホノルルオフィスに連絡すると、運よく小型飛行艇がトランスアイランドへ向かうということで同乗させてもらい、11時30分に帰島した。

所要時間は、時差をひいて約20時間。
隠岐諸島は意外に近い。

で、再び静かな南の島の時間。

今日の僕はNEヴィレッジの海岸に座って、隠岐に関する思索をあれこれと重ねている。
それはちょうど、投げ釣りをしているようなイメージだ。

竿を大きくしならせて、おもりと餌のついた先端を遠くへ飛ばす。
おもりはただ遠くを目指そうとする感性、餌は何事かを掴まんとする知性だろうか?

イメージの中の着水点は隠岐諸島の中ノ島。

遥か太平洋の北西、日本の本州のさらに向こう側にある日本海にポトンと音をたてて着水したら、数カウント数えてリールを巻き始める。

先端部をひきよせる回転リズムに同調して、頭と心が回りだす。

自然とか歴史とか人物とか…
一投ごとに設けるテーマを巡ってあれこれ考えていると、やがておもりと餌が手繰り寄せられてくる。

針先に何もかかっていないことを確認すると、再び同方向へと竿をしならせる。

仕掛けた餌に小説のヒントとか、コラムのネタがかかることを期待していないといえば嘘になる。
が、釣果が目的の釣りではない。
静かなビーチで思索を巡らすこと自体が楽しいのだ。

きっと、この島を基点に方々へ旅することも同様なのだろう。
行って楽しく、戻ってまた楽しい。

そう、旅に成果を求めてはいけない。
旅に出ること自体が、すでに充分楽しいことなのだから…

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前回約束した隠岐の報告をしておこう。

まずは、自らの浅学を反省しておかなければならない。
今回の取材テーマとした「独立国家の可能性」についてである。

古代、隠岐は一国として独立していた歴史を持つ。

もちろん、中央集権国家としての日本が誕生する遙か以前のことで、国家という概念の持つ意味も大きく違っていたから、現代の独立国家と同列比較することはできない。

が、幕末に起こった「隠岐騒動」などの事実を見ると、「独立」の精神が他所より深く根付いていることに間違いはなさそうだ。
※隠岐騒動とは、1868年に島の住民が幕府関係者を追放し自治政府を樹立した事件で、暫定的ではあるが19世紀にも独立時代があったことになる。

つまり、隠岐諸島とは、悠久の時の中では充分に独立国家なのであり、このエリアに対する「独立国家の可能性」とは、未来に向かっての「if」ではなく、繰り返される歴史的循環の次なる機会となることを、この場を借りて訂正しておきたい。

では、僕が隠岐で感じた魅力の2大要素についてまとめておこう。

それらは、「南の島」暮らしに慣れた身にとって、ある種の違和感ともいえるものだった。

ひとつ目の要素は自然との関係性。

隠岐諸島は全体が火山島であり、複雑な海岸線や断崖が特徴的な島々だ。
珊瑚礁の中にできる島が女性的であるのに対して、極めて男性的なイメージがある。

そして、陸海には濃密な生態系が存在し、移り変わる四季の中で季節ごとの色を見せる。

常夏の島においては、人がその身を自然の側に委ねきってしまう関係性があるのに対して、こういった場所では、自然とまっすぐ向き合う姿勢が住む者に求められるような気がした。
機会があれば、秋や冬にも訪れてみたいものだ。

ふたつ目の要素は歴史の色濃さとでもいおうか?
ここには歴史的文化遺産が数多く残っている。

「中央」と「地方」という関係からすれば、相対的に少ないと予想される人的軌跡が豊富なのだ。
これは隠岐が流刑の地だったことの影響が大きいと思われる。

最も有名なのが、今回の取材地であった中ノ島における後鳥羽上皇の存在だろう。

承久の変で鎌倉幕府に敗れ、隠岐に流された上皇は19年の歳月をこの地で送り、悲運の生涯を閉じている。

他にも建武の新政の後醍醐天皇や歌人の小野篁が隠岐に流された史実があるが、この流刑の地という条件の中に島の独立性が垣間見えてくる。

島へ送られてくるのは皆、高貴な政治犯であり、現代におきかえると国際司法取引に絡む政治犯の亡命先が流刑の島だったと考えられる。

時の権力者に対する抵抗勢力としての罪人の扱いは難しい。

その社会的地位や、背後の民衆支持層の存在から、簡単に極刑に処すことはできない。
そこで、「中央」から遠く離れた「地方」への「島流し」という情状酌量的処置がなされる。

では、それを受け入れる「地方」の島はどうであったか。

彼らを預かる見返りに「中央」から何がしかの利を得るという交渉が成り立っていたのかもしれない。つまり、短期的メリットだ。

一方で、長期的というか歴史的メリットも考えられる。
仮に独立するようなことがあったとして、旗頭として充分すぎる「権威」を労せず囲い込むことができるからだ。

天皇家にしても将軍家にしても、権力闘争の度に本流から外れた者に起死回生のチャンスが巡ってくるのは歴史の常である。

まとめに入ろう。

ここで僕が強調したいのは、そういった歴史さえも、長期的にはその地の知的資産として蓄積され、現在の観光地としてのインフラとなっているということだ。

高貴な流人たちの軌跡がなければ、隠岐の観光産業は違ったものとなっていたであろう。

つまり、遠い過去に引き受けたある種厄介な先行投資を何百年の時をかけて回収していく収益構造が隠岐諸島の観光にはあり、それを成り立たせる自然条件が同時にあったということ。

そして、それを観光人類学的に見れば、南洋のリゾートとは全く異質な魅力なのである。

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時々、この『儚き島』という連載手記に対して、一種の文明批判書だとの評価を受けることがある。

僕にしてみれば、文明を批判しているつもりも全くない。

島という、いわば文明の対岸に立って観察を続け、いいと思うものには賛辞を送り、おかしいと思う所にははっきりとNOと言う。

長所を伸ばし、短所を改めることで人間社会はよりよくなるという、シンプルにして楽観的な思想表現だ。

が、どうだろう?

こういった活動は、21世紀の今だからこそ可能なのではないだろうか?

時代が時代なら、時の権力者にとっては目障りな存在となり、「中央」から遠く離れた島へ流される立場だったかもしれないのだ。

だとしても、その先が隠岐のような場所であれば、僕は喜んでその地に馴染んでいくだろう。

海と空に囲まれた心地よい島においては、過去への悲観を大きく上回る未来への楽観の中に新たな生活を模索することが可能に思えるからだ。

もちろん、このロジックは無念と屈辱の余生を辺境の島で送った先人には通用しない。
21世紀ネットワーク社会に暮らし、定住にではなく放浪に価値をおく旅人因子ゆえのものだ。

が、共通点がないわけではない。

どこにいても歌や物語の創作は可能であり、隠岐の流人は優れた詩歌を残している。
釣竿片手に思索を巡らせる人の姿は、古今東西浜辺で絶えることがないということだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

『儚き島』という作品のポイントをふたつ。

一つ目は「島』という舞台性。
トランスアイランドという架空の島を舞台にしながら、大小様々な島を登場させて
対比的に世界を観察する空間的アプローチを行いました。

「大きくなり過ぎた島国」なる連載企画を入れ子構造で設定したのはそこが狙いで、日本国内の取材を効果的に組み合わせて創作を重ねました。

もうひとつは日本史と世界史の融合。
物語は主に世界史の中に21世紀文明を考察する時間アプローチでしたが、日本史との対比を自らの体験から多様に入れ込むことにしました。

隠岐諸島は地質学的には他国のようでありながら、ミステリアスな皇室史から見ると極めて濃密な「日本国」です。

まさに「時空の旅」というべきアプローチで創作を重ねていたことがわかります。
/江藤誠晃

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