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127.トビウオが見る空

2004.7.20
【連載小説127/260】

僕たちが生きる「今」に対しては、常に並存するもうひとつの時間がある。

僕たちが生きる「場」に対しては、常に並存するもうひとつの空間がある。

例えば、今日もいつもと変わらず穏やかであろうトランスアイランドで、この手記を読む島民の「貴方」にとっては、遠く離れた日本の隠岐諸島の島時間が僕の報告によって並立する。

例えば、今日もいつもと変わらず慌ただしい日本で、この手記を読む「貴方」の前で、旅を人生の住処とするふたりの男の不思議な時間が行間に流れている。
(僕と戸田君のことである)

僕たち個々の「世界」に対して、「もうひとつの世界」が表裏一体の存在としてあるような漠然とした感覚は誰にでもあるはずだ。

違いがあるとすれば、その異界を自らのものにしようとするか、しないかのアプローチ部分。
日常に埋もれる人と、日常からの脱出を試みる人の2分類とでも言えばいいだろうか?

思えば、僕も戸田君も、その「もうひとつの世界」にアプローチすることを生業としている人種だ。

日常から離れた異空間にその身を投げ出す旅を重ね、レンズやキーボードを通して異界を観察し再表現する作業を続けている。

隠岐諸島の島前を構成する3島のひとつである中ノ島は、面積33.4平方キロ、人口2500名強の小島だ。

僕と戸田君は、今日も地元ダイビング業者のお世話になって、トビウオたちの「もうひとつの世界」を船で追い求めた。

そう、前回少し触れた戸田君が追いかける被写体の正体はトビウオだったのである。

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轟音と共に、波をたたいて進む高速船。

その左右後方に広がる激しい飛沫の間から、次々と飛び出してくるトビウオ。

発達した胸ビレと腹ビレの透過性の向こうに、陽光を受けてブルーとシルバーに輝く流線型の造形美。

船体から僅か数メートル離れただけの波頭上空間を滑空する小さなグライダーのごとき彼らの姿に僕らはただ見とれていた。

5月の八重山諸島への旅における、波照間島から石垣島へ戻る船上での体験である。

トビウオについて簡単にまとめておこう。

ダツ目トビウオ科に属するトビウオは、亜熱帯域から温帯域に広く分布し、その種類は30近くにおよぶ。

大きな胸ビレは鳥の翼のように見えるが、はばたきによって飛ぶのではなく、勢いをつけて水上に飛び出したところで広げることにより空力を利用して滑空する。
そう、まさにグライダーの原理である。

飛行能力は高さが海面から4~7メートル、水平距離は100~200メートルが平均とされるが、最長で500メートルの飛行も可能だという。

ちなみに、波照間島で僕が見たトビウオは、時速60キロで走る高速船を追いぬく速度で5秒以上の飛躍だったと記憶しているから、ちょうど100メートル程度の飛行距離だったことになる。

そして、この計算からすると、500メートルの飛行は30秒前後の飛行という驚異的なものになるのだ。

では、なぜ彼らは飛ぶのか?

そこには複雑かつ有機的に仕組まれた生命界の神秘が見え隠れする。

実は、トビウオの飛翔は高等な生き残り戦術なのである。

マグロやシイラといった大型魚とトビウオとの間には捕食者と被食者の関係がある。
つまり、食物連鎖の中に餌として追われる側がトビウオであり、彼らは海上へ飛び出すことでその身を隠し、相手を欺くのだ。

単に逃げるだけではない。
海面上に飛び出したトビウオの腹面は白や銀系色で水中からは波飛沫に紛れて見えないし、背面の青系色は海の青さと同化することで空からの鳥の攻撃をかわすことができる。

「生」に対する遺伝子レベルの知恵とでも言えばいいだろうか?
トビウオは海から離れた空中という異界を自らのものとしたことで、厳しい自然界を生き抜いてきたのだ。

ところが、空中に飛び出す術を持ったことで、トビウオにとっては人類という思わぬ捕食者が登場することになる。

鮮魚は白身が上品な味で、すり身は竹輪の原料となり、乾燥させた粉末は上質なだしの素となることから、日本でも各地でトビウオ漁が盛んとなった。

漁獲量のベスト3を調べると、鹿児島、長崎、島根の順。

暖海性の魚であるトビウオが、南の海から対馬暖流にのって産卵のために日本海沿岸域を北上する習性を持つが故の統計数値である。

と、ここまで説明すれば、おわかりいただけるだろう。

5月に波照間島でトビウオと出会ったカメラマン戸田君は、九州西岸から山陰へと追跡の旅を続けてきたのである。

そして、ちょうど6月から7月にかけて島根県に来遊するトビウオが、「大きくなり過ぎた島国」の取材で隠岐を訪れる僕を戸田君と繋いでくれることになったのである。

戸田君は、この後も北上するトビウオを追いかけて京都北部から北陸を経て新潟の佐渡あたりまで旅する予定らしい。

この夏、彼は回遊魚になってしまったようだ。

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自らの生命を守るために海上への飛翔を重ねるトビウオ。

が、船の周辺で次々と飛び出してくるトビウオを見ていると、人間という珍客に対して、その跳躍力と、海中海上を行き来する楽しさを自慢しているように思えてくる。

僅か数メートル先でありながら、そこには僕には手の届かない「もうひとつの世界」がある。

同じ風に吹かれながらも、トビウオが見る空はより高く、より青いのだろう。

トビウオが見る空。

それは、天与の環境から自らを異界へと飛翔させることで見えてくる別世界の美の象徴と言えはしないだろうか?

日常に囚われて、「もうひとつの世界」にその身を移すことが叶わぬことを知りながら、何度も何度も小さな挑戦を試みる…

そう、トビウオたちは、孤高なチャレンジャーにしてロマンチストなのだ。

like a flying fish
-トビウオのように-

僕の中でそんなフレーズが浮かんだ。

淡々と流れる日常の中に、「もうひとつの世界」への跳躍を繰り返すライフスタイルだ。

トランスアイランドのコンセプトにも大いに通じる部分がありと思うので、島のブランド創造を進める香山波瑠子とハルコの「ふたりのharuko」にメールで送ってみた。
(ふたりが進めるブランドづくりのことは第122話)

隠岐諸島で見上げる空はとても青い。

どこへ旅していても見上げる空が青いということは幸福である。

次回は隠岐の魅力を報告することにしよう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

『儚き島』というネットワーク小説の立ち上げにあたって、スポンサーおよび関係者の間で協議させてもらったのは小説(フィクション)というコンテンツをインターネット時代に向けて変容させようというものでした。

「紙」の書籍とは違った読書感とは何か?

そこに対して僕が提示した最大の要素は現実社会の時間と同時並行型で進行する物語というスタイル。

フィクションでありながら現実で起こっている事柄が物語に組み込まれるという仕掛けは、南太平洋に浮かぶ架空の島という舞台と世界各地で日々勃発?するニュースの共存を可能にしました。

おそらく、今、連載をしていたら、今週はトランプ大統領候補の銃撃事件をとりあげていたでしょう。

もうひとつ、ヴァーチャルとリアルの融合ということでは、机上で行う空想の物語創作と並行して現場取材を重ね続けました。

今回登場した「トビウオ」の飛翔シーンは、実際に波照間島で見た光景をリアルに再現したもので、その後、隠岐諸島を訪問した際に知った情報から組み立てました。

20年の時を経て、仮に『儚き島2.0』の創作を行うとすれば、そこに出てくる可能性はメタバースでしょう。
作者と読者の融合という進化した関係性を組み込んだ作品は既に技術的に可能です。

いや、今や生成AIを使えば、さらに複雑な仕掛けでフィクションを生み出すことが可能だと思います。
/江藤誠晃

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