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博多の屋台貸切イベントやってみた!

オーナーの是久さん

ラーメン、おでん、餃子、焼き鳥、天ぷら、シュウマイなと。多彩なメニューを提供する福岡・博多の屋台は2022年3月1日現在、福岡市経済観光文化局調べで102軒が営業しているとのこと。

福岡屋台マップ

今回は、わたしが5年前出会った居酒屋の店長だった是久さんが屋台で独立したこと聞いて、貸切イベントをやってみました。

●HEROs屋台 蒸上
福岡市中央区天神4-2-1 日本銀行福岡支店前
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40058867/

●インスタグラム
https://www.instagram.com/yatai.joujou/?utm_medium=copy_link

屋台とは本来、屋根の付いた飲食用や物販用の台を備えた移動可能な簡易店舗のことをいいます。

日本における屋台の始まりは、江戸時代にさかのぼる。享保年間に登場した屋台は、参勤交代の武士や流入した労働者ら単身赴任者の多かった江戸において明暦の大火以降、外食需要の高まりもあってにぎわった。

今日見られるリヤカーを改造した屋台は終戦後、焼け野原の闇市などで戦災者や外地引揚者、戦争未亡人らの手で始まった。

福岡県警は1970年、屋台の路上放置問題を契機に道路使用許可の名義変更を認めないという方針を打ち出した。

このため、福岡市移動飲食業組合は屋台の共同駐車場確保などの対策を取り、結果的に福岡県警は条件付きながら名義変更を認めた。

その後、屋台営業権の高額取引が問題視された1995年、福岡県警本部長が福岡県議会において、道路使用許可を「原則一代限り」とする方針を示した。同年、桑原敬一福岡市長は福岡市議会で「文化面で屋台をとらえ直す必要があり、交通政策だけで屋台問題を片付けてよいのか」と答弁した。

『屋台との共生のあり方研究会』が開催された2011年12月、福岡市内で営業する屋台150軒がもたらす経済波及効果は年間53.2億円であるとの試算を発表した。屋台の年間利用者数を115.6万人と算出し、直接効果である全屋台の売上高17.3億円に加えて、派生する一次間接効果を合算した数値だ。

なお2009年当時、 24 回寄港した外国クルーズ客船による経済波及効果は10.6 億円(うち直接効果6.1億円)だった。
サイズこそ小さいものの、屋台1台あたりの年間経済波及効果は計算上、外国クルーズ客船の0.8隻分に相当する。

博多の文化をうけつぐ方々をこれからも応援していきたい。
旅の輪九州では、屋台の貸切イベントを受付してます。

美味しいシュウマイがたくさん
対馬から来たすし処慎一の築城さん
こちらは、横浜からご参加の三宅さん

『福岡・博多の屋台に関する年表』
     
1946年 福岡市の闇市に移動式の屋台が登場
1949年 GHQによる屋台の衛生問題で厚生省が飲食店営業緊急措置令で屋台全廃の方針
1950年 屋台経営者らが『福岡市移動飲食業組合』を結成
1955年 福岡県議会の河田琢郎議員らが屋台全廃反対運動を展開して、許可制で存続
1956年 博多移動飲食業組合が設立。屋台営業許可に関する福岡県条例が施行
1962年 道路使用許可の取扱要綱が決定
1965年 この頃に屋台が全盛期を迎えて、427軒が営業していたという
1973年 天神地下街建設工事に伴って屋台の一時休業についての基本協定を締結
1975年 地下鉄工事完了後の屋台営業を福岡市・中央署・九電、屋台組合の合同で会議を開催
1979年 屋台での生もの販売禁止を福岡市当局と協議・ 再確認
1995年 福岡県警が「道路使用許可は一代限り」との方針を明示
    桑原敬一福岡市長が私的諮問機関『屋台問題研究会』を発足
1998年 地下鉄七隈線工事で一部の屋台が移動
2000年『福岡市屋台指導要綱』施行で合法的に屋台を認可、「原則一代限り」が確立
2007年 吉田宏福岡市長が屋台一代限り撤廃を要望
2011年 髙島宗一郎福岡市長が屋台存続を表明、『屋台との共生のあり方研究会』を設置
2013年『福岡市屋台基本条例』が施行
2016年 屋台の移転再配置と公募環境を整備して初の『屋台公募』を実施
2017年 第1回公募屋台23軒が営業開始
2019年 第2回公募屋台9軒が営業開始
2021年 第3回公募屋台5軒が営業開始

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