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タビィ・ミッドフィールドは、何してる人?

こんにちは!

淋しさを祝福する知恵を広めている、タビィ・ミッドフィールドです。

幼少期に壮絶に淋しかった私は、
10代で妄想に陶酔し、20代は繁華街に逃げ込み、
30代の虚勢と空回りの努力は、40代前半で間違った目標となり、
40代後半で、迷走の先が全て行き止まりであることにやっと気付き、
ちゃんと絶望することができました。
50代に入って、あることがきっかけで、
ようやくちょっと自分らしさに気がつき、認め、楽になり、幸福を味わい始めたところです。

思春期に心理的に成長し損なったわたしですが、人と比べず、自分らしい幸福を発見し続ける毎日の先に、「成熟」というものの入り口らしき何ががあるような気がする、というのが、現在地です。

誇らしかった自分も、目も当てらんないくらい惨めだった自分も、全部ひっくるめた「自分らしさ」に気づいて認めたとき、これまでの人生で一貫して付きまとってきた最大の課題は、「淋しさの解消」だったんだということに気づきました。

何をして、誰といて、何を目指していても、それは、とどのつまりが「そうすれば淋しさから逃れられると思ったから」ということにつきます。

それくらい、無意識では壮絶に淋しかった・・・

それに気づかず、というか、抑圧しながら長い時間過ごしてきました。

すべての決断が、「もっと愛されるに値する価値を手に入れれば、淋しくなくなる」という無意識に支配されていました。

どうすれば、「それ」を手に入れられるか皆目見当がつかないときは、何らかの手段で逃避に走り、「それ」への道筋が見えたと錯覚した時は、間違った努力で猛進しました。

幼少期、思春期、青年期、そして成人して働き盛りの間もずーーーーーっと、淋しさに支配された人生でした。淋しさの呪縛を振り解こうと、無意識でずっともがいてきました。

そして、ある時、気づきました。

あの呪いのような孤独感は、むしろ、すべて守護であり祝福であったんだと。

わたしが自分らしさを取り戻すまで、ちゃんと孤独という繭のようなものに匿って、ちゃんと待っていてくれたんだと。

そして、淋しさは、今いる地点が、自分本来の「らしさ」とか雰囲気みたいなものとズレているお知らせであったり、猶予状態をもたらしてくれている孤独が効いていること、さらに、その温存された状態は一時的であり、いつかは破り出る時がくることの印であると、一気に腑におちました。

今思えば、あの瞬間もこの体験も、一つ残らず財産であり、強みであり、周囲に提供できる価値であり、頑張らなくてもいくらでも語れる「何か」として、自分の中に蓄積されています。淋しさへの恐怖で心身がこわばっていた頃に理解し損ねていたヒントも、きっちり辻褄が合い始めました。

そして・・・・

驚いたのは、わたしの周りにいる多くの人が、淋しいという感情や孤独の状態をとても恐れている、または、その自覚がないゆえに、それに支配され振り回されているということでした。

わたしは、思春期に空想妄想に逃げ込んでしまったので、10代20代に、「個」として自分を認識するまでに心理的に成長できず、人より出遅れてこういう実感に至って、大多数の「普通に心理的に健全に成長してきた人」よりも、何十年も遅れをとっていると、どっかで思い込んでいたのですが、実際は真逆でした。

多くの人は、「淋しさ」を、わたしのように、許容範囲を遥かに超えた劇薬としてくらってきてないので、ある程度、耐性が備わってしまっている。アレルギー反応がない。だから、自分の淋しさ・孤独感を意識に上げることもなく、そのかわり、淋しさを無視する、抑圧することに、エネルギーをデフォルトで費やしているように見えました。

かといって、淋しさというのは、わたしたちの原始的な感情の一辺なので、頼まれてもいないのに、それに支配されているとこちらが見受ける人に対して、一方的に自分の知識と経験をベースにアドバイスしても、反感を買うだけのような気がしました。(実際、一度すごい反論されたので、あ、これは、相談されるまでは黙っていようと決めました。)

同時に、「淋しさ」とうまく付き合っていく術を身につけたら、それに意識下で支配されたものの味方・決断・行動が(自覚した分だけ)減るので、それまで、淋しさを紛らわせたり、淋しさに対する恐れを鎮めるためにデフォルトで費やされていたエネルギーを、もっと自分らしい幸福追求に分配することができるはずです。

そしてそれは、今よりもっと平和な世界、一人一人が自分らしくノビノビとコミュニティーの一員として貢献している状態に通じる大事なパーツであるはず・・・という思いが募り、何かしなくては・・・となったわけです。

で、まずは、同じような心理的負荷の最中にある人たちにリーチするために、ブログと動画で発信していくことにして、今に至ります。

わたしは、アメリカの大学で早期幼児教育、発達心理学、社会学を学び、今は教育機関に勤務しています。今も、関連書籍や論文などで勉強を続けています。その知識と実体験を生かして、幼少期の心理的な傷(Childhood PTSD)の中でも、「淋しさ—Loneliness」に特化したヒントを広めるのが、目下の使命です。

もし、取り上げて欲しい!というトピックや、(個人を特定できない範囲で)公開してもかまわない具体的な相談があれば、メール(*)にてお送りください。

では!
タビィでした。

(*)このブログの1番下にある「クリエーターに問い合わせる」のフォームをご利用いただくか、または、直接 tabimidfield@outlook.com までお寄せください。

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