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tabi-ki47的『(2/2)心に残った旅の酒場5選(激セマ酒場編)』

⚪️特選激セマ酒場「想い出」の思い出

さて、『(1/2)心に残った旅の酒場5選(くつろぎ酒場編)』の続きです。今はもうなくなってしまった酒場なのですが、わたしの原点となっている酒場をご紹介します。

その酒場はというと、わたしの記憶が確かなら今から25年くらい前に火事で焼失してしまった、高松の池のすぐそばの一軒家酒場で(当時でも相当古かったです)、「やきとり」といういわゆる“やきとん”を炭火で焼いてくれる、5〜6人で一杯の激セマ感が最高の昭和そのもののやきとり店です(google mapのリンクは、かつて店があった位置のURLを貼ってあります)。

店の名前は「想い出」といい、今でも本当にごくごくたまにですが、酒場で出会ったオールドファンの方と「想い出」の思い出話に花を咲かすことがあります。

ご高齢のご夫婦が店に立っていまして、学生だったわたしなんかも、バイト代が出るとしょっちゅう顔を出してたので、そのうち覚えてもらい、いろいろ可愛がってもらった記憶があります。

春は入り口前の桜の木が花を咲かせると、花見用の席が設けられてそこで呑み、夏は引き戸が開け放たれ蚊取り線香の煙に巻かれながら呑み、秋はお母さんに頼んで隣にあったスーパー(マルイチ)で秋刀魚を買ってきてもらって、それを炭火で焼いてもらって呑み、冬は常連客たちと片寄せあって呑みと、春夏秋冬の思い出が「想い出」に詰まっています。

やきとりはテイクアウトもできましたので、ときどき利用して、家で友人たちとそれをつまみに宴会をした記憶もあります。

そうそう、「たか」と同様に店の奥には座敷がありました。電話で座敷を予約しておいて、そこを何度か利用したことがあります。

たぶん、ご夫婦の休憩スペースにもなっていたのでしょう、食器棚があり、そこに皿やコップやふりかけやらが入っていて、その日常感にあふれた感じもたまらなかったと記憶しています。

学生でしたから瓶ビールなどは呑まず(瓶ビールは500円とかで高級品でした)、安い甲類焼酎を梅エキスで割った200円の「梅割り」が定番で、これを3杯呑んで、1本70円とか80円のやきとりを10本ぐらい食べ1,500円ぐらいで毎回仕上げていたように覚えています。

そして、大学を卒業して社会人になり(相変わらずぽつぽつと店には通っていました)、その後、仕事の都合で東京勤務しているときに「想い出」が火災にあったことを知りました。

さらに後日、盛岡にいったん戻った際に地元の新聞を読んで、石油ストーブに灯油を給油しようとしたところ、灯油がこぼれてストーブに引火したものだ、と火事の原因についても知ることができたのでした(幸い店のご夫婦に怪我などはなかったようでした)。

その当時の火災の第一報は、「想い出」へ一緒に通っていた知人からのメールで知りました。朝の通勤時の満員列車の中でその知人からメールが届き、内容を読み、「想い出」が火災にあったという事実を知り、「ああ、オレの『想い出』は盛岡に戻ってももうないんだ」と、強い喪失感に包まれたときのことを、今でも本当にはっきりと思い出せます。

余談ではありますが、さらにさらにその後、風の噂で別のところに店を出したと聞きましたが、ご夫婦もご高齢だったため、そちらの店もほどなくして畳まれることになった、とも聞くに至りました。

わたしはというと、たしかにご夫婦の元気な姿は見たかったですが、やはりあの、高松の池の近くにあった古くて激セマな酒場だった「想い出」が一番でしたので、新しく始めたという店舗へは足が向かなかった記憶があります。

さて、この、「想い出」での体験が、激セマ酒場だけでなく、酒場そのものを求め続ける、わたしにとっての原風景となっていることは間違いありません。

「想い出」をはじめ、多くの酒場のカウンターで、年齢性別にかかわらず、どこの誰ともわからないとかも関係なく、たくさんの人と出会い、話し、酒を酌み交わしてきた体験が、いまだに体の深いところに染み付いて今の自分を形作っているのだと、しっかりと実感できるのです。

なので、また旅に出て、まだ知らぬ酒場に出会うことが、わたしにとって、今後も楽しみであり続けると思います。


ということで、最後の方、少し暑苦しく語ってしまいましたが、『心に残った旅の酒場5選(激セマ酒場編)』でした。

本当は、はじめ「銘酒酒場編」とか、「老舗酒場編」とかをしたかったので、「激セマ」も面白い切り口だなと思ったので、このテーマで記事を書いてみました。

次もテーマも替えて心に残った酒場について記事にまとめてみたいと思いますので、次回もよろしくお願いします。

(おわり。)

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