「生きる」ということ

8日間のフィリピン滞在の前半3日間はボホール島でリゾートを満喫。
残りの滞在期間はセブ在住の7人の方のお話を聞く機会をいただいた。

周りはカップルや家族連れで寂しく自撮り
英会話スクールCross RoadのTakuさんとツアーコーディネーターのマーバラさん

お会いした方々は、英会話学校の経営者、ツアーコーディネーター、カフェ運営、シェアハウス運営、コンサル系人事など、皆3年ものパンデミックの荒波を乗り越えてきた強者たち。

「東京で毎日満員電車にぎゅうぎゅうに押し込まれて通勤している日本人に、我慢せずにセブに来い!と言いたい」と仰る方もいた。

確かにそうゆう思いすることは皆無だし、時間がのんびりと流れていることは確かだ(もっぱら朝夕の交通渋滞はひどいが・・)

ただ、住むとなるとやはり厳しいのが現実

カフェのオーナー曰く、「ここは日本でいう田舎と似ていて、よそ者は受け入れないという排他的な地域社会。パンデミックの3年間を我慢してカフェをオープンし続けてきたことで、ようやくご近所の方々がお店に来てくれるようになった」とのこと。日本に帰国する際は、近所の家庭毎に1000円程のお土産を持参するらしい。まさに地域社会で暮らしていくための日本でもある光景。

また、日本を除く多くの地域で見られる貧富の差を体感する場所でもある。
超高層ビルが立ち並ぶ地域とバラック小屋が並ぶスラム街が隣合わせにある。

犯罪の匂いがプンプンする場所は決して足を踏み入れるべきではないのだが(特に夜)今週はHolly weekというキリスト教のお祝いの週ということで、ヤバイことにはならないだろうと夜の街を少し歩いてみた。大通りには物乞いするホームレスもあちこちにいる。

路地裏に入ったところ。Holly weekだからか子供達もたくさん

そんな光と影を体感して、また、ここセブ島でたくましく生きている日本の方々に接して、自分自身がどう「生きたいのか」を深く考えさせられた。

とは言え、これといった結論には至らず(至るべくもなく)ただただ「今ここを生きている」を意識していくことが唯一の道だと感じた。

以前、「生きる」という字は「い氣る」と言い換えることができるとを教わった。

「氣」つまりエネルギーがなくなると、ただ「いる」だけになってしまうのだ。日本での不自由のないマンネリ生活を続けていたならば、茹でガエルにもなりかねない。

しっかりと「氣」をもって生きるためには、「世界を巡る」というカンフル剤が必要だと改めて感じた。

8月にはセブの旅育ホームステイ
9月にはロンドン&モロッコツアー
を開催します。
興味のある方は、まずはご相談ください!

パートナーのGlenn(英会話講師)とツーリング


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