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[ウズベキスタン/ヒヴァ]塩湖に浮かび、言葉が通じなくとも心が通じることを実感した話

言葉が通じなくとも心が通じる、なんともありふれたタイトルをつけてしまった。
でも、それを心から実感できる出来事があったのだから、これ以外のタイトルは思い浮かばない。

これは2018年8月、ウズベキスタンのヒヴァでのお話。

この日、僕は滞在していた街から車で1時間ほどの距離にある「カラジク・カラ」という場所を目指していた。
塩湖に浮かびながら遺跡を眺めることができるという、そのロケーションに心惹かれたのだ。

カラジク・カラ

始めはローカルバスを乗り継ぎながらこのカラジク・カラに辿り着いてやろうと目論んでいた。
しかし、バス乗り場が一向に見つからず、僕の計画はあっという間に頓挫した。

途方に暮れていると、一人の青年タクシードライバーがウズベク語で声を掛けてくれた。
当然、僕はウズベク語を理解もできないし喋ることもできなかったのだが、おそらく彼がカラジク・カラまで送り迎えをしてくれようとしていることは何となく伝わった。

そこで、お言葉に甘え、さっそく二人での1時間のドライブが始まった。

道中、色々と話をしたが、正直何を話したかは全く覚えていない。
そもそも「話をした」のかどうかも怪しいものだ。
なんせウズベク語と日本語でのやり取りだ、お互いに内容を理解できていたとは思えない(年齢が近そうだということは何となく分かった。)。

それでも、会話が途切れることなく楽しくカラジク・カラに到着できたことは覚えている。

到着!

到着すると、中央にそびえる巨大な遺跡とその周りを囲む真っ青な塩湖と白い砂浜が目に飛び込んできた。
海のないウズベキスタンの人たちにとって、ここカラジク・カラはビーチのようなスポットなのかもしれない。

まるで海岸

その証拠に、周囲には藁の屋根の下に簡易的なお座敷が用意された日本でいう海の家のようなものが立ち並んでいた。

到着した時には既にお昼近くになっていたので、僕たちもまずはこの海の家でお昼ご飯を食べることにした。

席につくと、ドライバーが何やらそわそわしていた。
どうやら、お座敷席の奥にあるテントのような場所で昼食をとりたいらしい。

僕も興味があったのでそちらの席に移らせてもらうと、ドライバーのテンションは爆上がりした。
帰りの時間まで待機していてもらうのが申し訳ないなと思っていたが、こうして一緒に楽しんでくれるとこちらも気を遣わずカラジク・カラを満喫できるので有難い限りだ。

この日のランチは、ナンとシャシリク(串焼肉)とトマトサラダというまず間違いないウズベク料理の定番トリオとした。
シャシリクの脂をナンが包み、サッパリとしたトマトで口直しをする。ロケーションも相まって非常に美味しかった。

昼食後は、いよいよ人生初の塩湖に向かった。

とりあえず腰あたりの深さがあるところまで塩湖を進み、両足を水面にあげ浮かんでみようと試みたが、思ったよりも浮力は弱く、気を抜けばあっという間に沈んでしまいそうであった。

せっかく塩湖に来たのだから、ぷかぷかと浮かびながら本の一冊でも読んでみようかと思っていたが、ここでそんなことをしようものなら水没して字が読めなくなるのがオチだろう。

結局、塩湖での遊びは早々に切り上げ、横にそびえる遺跡に登りカラジク・カラを見下ろす絶景を楽しんだ。

遺跡の上からの景色

さて、そんなこんなでカラジク・カラを満喫した僕たちは、またヒヴァの街に戻るために車を走らせた。
帰りの車内には、同じくヒヴァの街に用事のある現地の人たちも数名乗り込んだ。
皆、図々しくも助手席に座り込む見知らぬ外国人に興味津々のようで次々に僕に話しかけてきてくれたが、例のごとくウズベク語が理解できない僕には何と言われているのかさっぱりだった。

すると横にいたドライバーが
「どこから来たの、だってさ」
と通訳してくれた。
「日本からだよ、ウズベキスタンいいところだねって伝えて」
と僕も返して、ドライバーを通じて後部座席の方たちとの会話を楽しむことができた。

…いや、おかしい。

そう、そもそも僕とドライバーの間の会話も日本語とウズベク語でのやり取りであって、そんな状態で通訳など成立するはずがないのだ。
しかしなぜだろう、一日一緒にいたからか、後部座席の人たちが喋るウズベク語は理解できなくとも、隣のドライバーの喋るウズベク語は何となく理解できてしまう。

よくよく考えてみると、後部座席の人たちと違って僕とドライバーとの間では簡単な英会話程度であれば意思疎通を図ることができたから、それで通訳が成立していたのかもしれない。
でも、そんなこと言うのは野暮である。
心が通じれば言葉が通じなくとも言いたいことが分かる、そういう思い出にしておいた方がはるかに美しい。

今はドライバーの名前も思い出せないしどういう会話をしたのかも全く覚えてないが、あの日確かに僕は「言葉」の無い会話を楽しんだ。

2023.11.15

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