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Africaを一年間旅する

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2002年から2004年まで、約一年かかけて旅したアフリカ旅行のアーカイブ
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#アフリカ

エチオピアの山を登る

1月3日スーダンからエチオピアに入国した。予想していた悪路ではなく、比較的楽な入国であった。それでもスーダンのハルツームからここゴンダールまでは3日間。予想より一日早かっただけ。 エチオピアに入ると何もかもが変わった・・・ 見慣れた砂漠はなくなり、乾燥しているが山々が連なる美しい景色となった。なぜか日よけの黒いコウモリ傘をさしている人が多く、老人も子どももやせ細っていた。十字架を持った人、黄色い布を纏った司祭をよく見かけるようになる。ムスリムが劇的に減る、などなど変化をあげた

古代人の霊とピラミッドで年越しする

誕生日はテントの中で迎え、当日はチャドのバス停で終日バスを待って終わった。クリスマスイブも本番も、バスやピックアップトラックの荷台で過ごし、砂漠に野宿して終わった。すると、年末年始、年越しの瞬間は特別な場所で過ごしてみたいと思ってみたわけで。 向かった先はスーダンの首都、ハルツームから北上したピラミッドだった。そう「ナイルの賜物」はエジプトだけでなく、ここスーダンにもナイル川に沿ってピラミッドを残したのだ。 観光客もいなく、入場料を徴収されることもなく、それは砂漠の中にひ

大移動 -カメルーンからスーダンまでの11日間 -

カメルーンの首都ヤウンデより、スーダンの首都ハルツームまで一気に移動してしまうことにした。間にはチャドが入っている。 ↑試しにgoogle mapで検索してみる。4,000kmと出た。おそらくこんなルートだった。 人生で3本の指に入るひどい移動だった。かつて自転車旅行をしていたときに、「ヘン!バスや電車での移動なんて楽勝だよ。座っているだけだろ」と思っていたけれど、その考えを覆す日々となった。 チャドには大した見どころがなく、スーダンの首都に行ってケニアのビザを取る必

西アフリカ最高峰、カメルーン山に登る

サヘルの国、チャドからカメルーンに入り南下を開始すると熱帯雨林が襲ってきて、再び心地よい湿度に体が包まれた。12時間かかると言われていた電車は16時間とアフリカでは普通の遅れだった。 途中ラマダン明けのお祭りに遭遇して、不思議な光景を目の当たりにする。これがアラブの国ではなく、アフリカの中央で行われているということが、かつてアラブの国々を旅した自分から見て特殊なわけで。子どもたちの衣装可愛かったなあ。 カメルーンの首都ヤウンデはアフリカレベルの大都会。熱帯とあってサヘルと

恐ろしいナイジェリアと賄賂地獄チャド

ニジェールのザンダールからはナイジェリアのカノへ。 このナイジェリア、アフリカで最も評判が悪いといっても過言ではない。隣国のアフリカ人ですら恐れる国なのだ。みんな危ない危ないと言うのだ。 ベニン人は言った「嗚呼、ナイジェリア、ひどい国だ。アフリカで一番危険な国だ。あんな国大嫌いだ。隣の国だけど、あそこには二度と行きたくない。」 ナイジェリアに行くというガーナ人はこう言った「俺はビジネスであの国に行くんだ、でもあんな危ない国は一時間といないね。仕入れをしたら真っ先にベニンに帰

北アフリカ最高峰に登る

モロッコの最高峰トゥブカル山に登ることにした。 マラケシュから登山のベースとなる街、イムリル(Imlil)へと向かう。ここにもボリ男たちがいて現地人の1.5倍くらいのお金を請求された。モロッコはどこへ行ってもそうだ。5円10円でもボッテくる。毎日ダンコとしてボリ男と戦っているが、それでも毎日ぼられている(笑)。 今回の登山は地図もなし、ガイドもなし。日本の常識ではそんな状態で4,000m峰に登るなんて無謀だが、まあ簡単だってガイドブックに書いてあったし大丈夫だろう。 イムリ

シベリア鉄道に乗ってアフリカへと向かう

2002年8月27日早朝、列車でピレネー山脈を越えた。すると急に車窓から光が差した。目をやると、そこには朝日に輝く地中海が見えた。 今日地中海と再開した。あの向こうにはアフリカ大陸が横たわっているのだ。またスペインに戻ってきてしまった・・ モンゴルから僕はモスクワへと向かった。シベリア鉄道である。モスクワまでモンゴルから101時間、4泊5日。ステップの大地を走り、世界一大きい海のようなバイカル湖を過ぎ、タイガの森を突き抜けた。 なんて贅沢な時間なのだ!と最初は思った。5日間

日本から中国、そしてモンゴルへ

2002年7月18日、自宅を出発した僕は大阪行きの夜行バスに乗っていた。大阪から中国行きの船に乗船するためだった。行き先は上海。本来なら天津行きの船に乗るはずであったが、予定の船が台風に計器をやられてしまい、急遽行き先を上海に変更せざるをえなくなったのだ。上海まで船で50時間。そこから1200キロ離れた北京へ。 北京からはシベリア鉄道でモンゴルのウランバートルへと向かう。 あまり知られていないかもしれないがシベリア鉄道には3つのルートがある。 どれもモスクワを目指すことは変

きっかけ

「フロンティア」「未開」「秘境」 ワクワクするそんな言葉が大好きだった。 フィリピンに行ったときも、ガイドブックに「最も未開の地はパラワン島」と書いてあっただけで、そこに行くことを決めた。アメリカではアラスカ、日本では知床、シリアでも、ヨルダンでもエジブトでも、僕は秘境を欲していた。 そんな僕にとって、最も未知でもっともエキサイティングな地であり続けたのが、心の中のアフリカだった。 アフリカ大陸を旅するのが夢だった。イスラム教徒がメッカに特別な感情を持っているように、いつか