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6.三重県・日帰り旅(2024年9月)【前編】日本の残暑を感じに


再出発の朝

木々の緑が朝日を反射しながら車窓を流れてゆく。
数ヶ月ぶりの旅。今回も小田原が出発点だ。今回は名古屋まで休憩無しの「ひかり」に乗り込む。

新しい仕事に就いて早2ヶ月。初日から予期せぬトラブルに見舞われはしたが、心落ち着いて働ける環境のようだ。とんでも職場告発記でも書いてやろうか…と不眠症に悩んでいた日々とは、取り敢えずおさらばできた。

そんなわけで、ひとり旅再開である。

準備は朝起きてからでよいかと油断した結果、諸々手間取り、旅のお供の本を忘れた。でも、ペットボトルの麦茶を飲みながら窓の外をのんびりと眺めているうちに、ストンと名古屋に着いていた。

ひかり…はや…!

今回の目的地は三重県だ。12番線から発車するJR快速みえに乗り換える。伊勢へと続く列車ということもあり結構混んでいたが、空いている席を目ざとく見つけてスルッと座る。
スーツケースをガチャガチャと言わせて乗り込んで来る観光客たち。海外の言葉もちらほら聞こえるか、日本人が割と多そうだ。

10年前に伊勢神宮に詣でた時も、周りはほぼほぼ日本人だったよなぁ…この電車、乗ったっけかなぁ…思い出せないなぁ…

都心に比べると少し大きい音を立てて走る電車の中で、うつらうつらと揺られているうちに、目的地の桑名に着いた。

今回の旅の目的地「桑名」に到着

伊勢神宮へゆくのだろうな、という人々の脇をスルッと抜けて電車をおりる。
そこそこの人が電車を降りたのだが、駅前の広場の人影はまばら。観光案内所を示す看板の矢印は、主要道路とは明らかに異なる方向を指している。ホントにこっちかいな…と思いつつも信じて進むと、直ぐに観光案内所が現れた。(そりゃそうだ。)

中に入る。

お、観光スタンプ発見! スタンプ台紙にいそいそと押し、「見どころくわな」と書かれたイラストマップなどをゲットしてから外に出た。

今回、旅の目的地と決めてきたのは2ヶ所。まずは1ヶ所目を目指し、走りやすそうな車道横の広い歩道をトコトコと歩くてゆく。朝早いからかな? 車は走ってないし、人も居ないなぁ…

少し不安を感じつつもスマホの地図を信じて進むと、20分ほどで1ヶ所目の目的地「六華苑」へ到着した。桑名へ行こうと決めた時、スマホ地図散策をしていて見つけた場所だ。空色の外観をした洋館。なんてメルヘン…! 乾いた心にはメルヘンが必要だ!! ということで、目的地に決めた場所だ。

「六華苑」に到着

メルヘンと日本家屋

長屋門をくぐり、受付を済ませてから中へと入る。夏が居座る空の下、緑の風がスーッと通り過ぎてゆく。目の前の小道をトコトコと進んでゆくと、木々の隙間から空色の洋館が現れた。

か…可愛い…!

建物に可愛いってどうなんだというもうひとりの自分のツッコミを無視し、パシャパシャと遠くから、近くから写真を撮る。

木々の隙間から現れた空色の洋館

さらに近づいてよく見ると、可愛い洋館とどしっとした雰囲気の日本家屋とがくっついた、不思議な作りをしている。

洋館にくっつくどっしりとした日本家屋

日本家屋の玄関には、入口と書かれた立て看板が出ている。カラカラと戸を引いて中へと入る。靴を脱いで上がり、洋館がある左の廊下を進む。突き当りを左へ進めば先程パシャパシャと写真を撮った洋館へとゆけるのだが、右側にスーッと延びる縁側が目に入り、立ち止まる。

静謐にスーッと延びる縁側

縁側の右手には広々とした中庭が広がっている。少し進み、戸が開いたところに腰掛ける。背後にある障子戸がきっちりと閉じられた一室からは、男性の伸びやかな声が聞こえてくる。

どうやら、長唄のお稽古をしているようだ。

脚をぷらんと下ろす。中庭を通ってきた風が、流れる汗をスーっと冷やしてくれる。響くように聞こえてくる伸びやかな唄声。本を持ってこなかったことをかなり後悔しつつ、貸切状態の雅な空間をしばし堪能した。

中庭の見える縁側にて、ひと時の雅な時間を堪能

このまま夕方まで居たいかも…後ろ髪をギギ―っと引っ張られつつ、立ち上がる。

さて、洋館である。一歩足を踏む入れると、途端に別の空間へと入れ替わった。すぐ左手には木製の階段。人が踏みしめるたび、キシキシとかすかな音がする。

さてどこから見ようか…と、長屋門の受付でもらった三つ折りのパンフレットを広げる。

六華苑(旧諸戸清六邸)は、山林王と呼ばれた桑名の実業家 二代諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工しました。特にその洋館部分は、鹿鳴館などを設計し「日本近代建設の父」と呼ばれた、ジョサイア・コンドルが手がけ、地方に唯一残る作品として注目されています。揖斐・長良川を望む約18000㎡余の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」日本庭園で構成されたこの邸宅は、創建時の姿をほぼそのままにとどめている貴重な遺構です。・・・(略)・・・

六華苑パンフレット(2024.9)

へぇ…この洋館は鹿鳴館と同じ建築家が設計したんだ。どんな経緯でそうなったんだろう? そんな疑問には、館内に立てられた説明パネルが答えてくれた。

建設にあたって、洋館の設計をジョサイア・コンドルに依頼した経緯は定かではありませんが、三菱の創始者岩崎家の紹介があったようです。その仲介をしたのは諸戸家とも岩崎家とも懇意であった大隈重信ではないかと推察されています。三菱地所に、六華苑の設計図面「桑名町諸戸家西洋館新築の図」16葉が保存されていたことも、岩崎家の仲介を裏付けています。

六華苑説明パネル(2024.9)

建物の中にはたくさんの説明パネルが立てられており、六華苑ってこんなところです、こんな歴史があるんです、と分かりやすく教えてくれている。どの部屋も家具は整然と並び、埃ひとつ落ちていない。この建物にかかわる人たちの愛情と誇りとがひっそりと感じられる。

洋館内の家具はどれも整然と並び、室内には埃ひとつ落ちていない

個人的に一番気に入ったのは壁紙である。どの部屋の壁紙もとにかく可愛いのである。この壁紙は誰が選んだのだろう? 設計者本人か、職人さんか…家人の誰かなのだろうか…?

可愛いだけでなく、物語すら感じるセンスの良さにため息をつきつつじっくりと各部屋の中を、その調度品を、見て回った。

お手洗いにさえも、物語を感じる

数人で来ている人たちが多く、お話しながら見学をしている。関西圏のイントネーションだなぁ、近隣の人たちかな? 良いなぁ、こんな場所が近くにあって。

さて、改めて日本家屋の方も見学しよう。

長唄の練習はまだ続いている。その唄声と、たまに入るお唄の先生のご指導の声を左手に聞きつつ、先程の縁側を進むと、広い畳の間が現れた。お唄のお稽古をしているのが「二の間(・次の間)」、こちらが「一の間(・次の間)」のようだ。一の間を挟んで反対側の縁側からは広大な庭園が望める。これが個人のお家とか、昔のお金持ちは規模が違う…

日本家屋の方も掃除がゆき届いていてとても清潔だ。六華苑は日本人の見学者が多いのか、こちらには人が全然居ない。子どもの頃、よく実家の畳の部屋でお昼寝したなぁ…そんなことを思い出す。(もちろん、部屋の広さは比べものにもならないのだが。)
何となく正座になって、鴨居や床の間の様子までじっくりと拝見し、写真におさめた。

静謐で居心地の良い日本家屋

建物の入口へと戻り、そのまま通過して進む。ここからは、外履きのスリッパに履き替えての見学だ。蔵や離れ屋などがあるらしい。

番蔵棟という建物に入る。昔の日本映画に出てくる小学校のような廊下が続いている。壁に開く格子のはまった窓から中をのぞくと、人がふたり、何かを広げている。そのうちのひとりが、数日後に始まる企画展の準備だと教えてくれた。

更に奥にある離れ屋からは華やかな話し声が聞こえてくる。どうやらお茶会をしているらしい。中を見たいけれど、見られなさそうだなぁ…あきらめてもと来た道を戻り、入口にあるロビーまで戻る。

ロビーにあるお土産コーナーを何となくひやかしていると…うん? 喫茶サービスがあるみたい。
迷わず注文し中庭の奥に先ほどの離れ屋がよく見える席に腰掛ける。程なく、お茶菓子とお抹茶が載ったお盆が運ばれてきた。

六華苑のお抹茶セット

「こちらのお菓子はハナノヤさんのなんですよ」と、お抹茶を運んでくれた女性が教えてくれた。
もしや、地元の有名店なのかな? 食いしん坊センサーが即座に反応。歩いて行ける距離とのことなので場所を調べると、もう1ヶ所の目的地に近いようだ。後で寄ることに決めた。

縁側も十分涼しかったけれど、冷房の効く更に涼しい中でしばし一服。ああ、幸せ。近所にあったら毎日きたい。

見られない部屋があったのは残念だけれど、こんな風に地元の人が利用しているのって、建物が活きている証拠だよね。それにしても、こんなに心地よく日本の四季が感じられる場所があるのに、海外の旅行者があまり居ないのがもったいない。
日本好きの皆さーん! まだ皆さんが見つけていない日本がここにありますよー!! と世界に向かって叫びたいぐらいだ。

すっかり満足し、「近所にあったら毎日きます」という謎の宣言をチケット売り場の女性に伝え、六華苑を後にしたのだった。

【後編】偶然出会った美味たち
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