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遠回りして、最後に幸せに辿り着く

「子ども達は、色々な道を遠回りして、最後に幸せに辿り着く」と私の父が生前に言っていた、と夫から聞いた。何を思って父がそう言ったのか、なぜそれを二回しか会ったことのない夫に伝えたのか、まったくもって謎。

私は特に父と仲が良かったわけでも、でも特に父を嫌っていたわけでもないので、希薄な関係だったと思う。それは父だけでなく、家族全員に対してそうだったので、きっと私の問題なのだろう。

父は、亡くなる前に認知症になっていた。ある日、久しぶりに父に電話したら敬語で挨拶されて、面食らっているうちに一方的に電話を切られた。翌日、父と同居していた家族に電話して聞いてみると、たぶん私を誰だか分かっていなかったと思う、と言われて驚いた。父の人生から私が消えた気がした。

その少し後に日本に行ったのが、父に会った最後になった。父は、とてももの静かな老人になっていた。いつも大きな声で、堂々と話していたのが嘘のように。自分からは何も話しかけてこない。知らない人にそうするように、私に対しては常に丁寧に対応していた。プライドのせいか、私が誰か聞いたり、私のことを知らないとは一度も言わなかった。少し悲しかったけれど、最後にお互い優しくし合えたのはよかったと思う。父にとって、私は他人だったとしても。

父の人生を思うと、虚しくなる。社会的には成功して、立派な人だったのかもしれない。でも、家族関係は良好とは言えなかった。それは少なからず、自分のせいでもあったはずだけど。

でも、そういう色々なことを忘れて、静かに穏やかに晩年を過ごせた父は、案外幸せだったのかもしれない。色々と遠回りして、幸せに辿り着いたということだろうか。私の子ども達も、色々な道を遠回りしている気がするけれど、最後には幸せに辿り着くことを願う。そして、夫と私も。あれは、子ども達に対する父の願いだったのかもしれない。

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