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夫の実家、サウスカロライナ

サウスカロライナ州には、夫の実家がある。だから、何度も行っているけれど、特に思い入れはない。子ども達が小さい時は、夫が子ども達を祖父母に会わせたがって毎年帰っていたのが、子ども達が大きくなるにつれて段々と遠のき、コロナ以降はずっと帰っていない。本当は久しぶりに6月に帰る予定だったけど、夫の仕事の都合で取り止めになった。なので、サウスカロライナの思い出を振り返ってみる。

夫の実家は、とにかく田舎で、目の前に牛がいる牧場があるような場所だった。初めて訪れた時、夫の家族の話す英語の南部訛りがきつ過ぎて、聞き取れず、途方に暮れた。夫の通訳が必要で、それでも何とか一人で話そうと頑張っていたのが、今思うと何とも健気。

夫は実家に帰ると、私や子ども達のことが眼中になくなり、両親や兄弟、親戚や友達のことばかりだったので、何度も喧嘩した。英語もろくに通じず、一人で放っておかれるのは辛かった。夫のホームタウンを一緒に見て回ったりしたかったけれど、出かけるのは、数多くの親戚の家に連れ回される時ばかりで、そこでも放っておかれていた。何度も喧嘩して、どれだけ一人で放っておかれるのが心細いかを訴え続け、10年以上経ってもう諦めた頃、やっと夫も気づいたようだけど、その頃には私は南部訛りの英語にも、放っておかれるのにも慣れていた。

アジア人など一人もいない南部の田舎で、黒人だけの家族の中で、子ども達と日本語で話す私はかなり浮いていただろう。それでも、夫の両親や兄弟は私を優しく受け入れてくれていた。一部の親戚や知り合いは明らかに私を馬鹿にしたり無視したりしていたけれど。

でも、表面上は優しくしてくれていた家族とも、お金のことで嫌な思いをしたり、人の噂話やごたごたが多くてうんざりすることもあった。田舎の狭い社会ならではかもしれない。

こうして振り返ると、サウスカロライナではあまりいいことはなかったみたい。マートルビーチという有名な海沿いのリゾート地があって、何度か行ったけど、そこもたいして好きではなかった。人が多くて、ただごった返しているイメージで、大好きな海が見れるとしても、また行きたいとは思わない。

最後に帰った時、実家の近所の小さなシーフードレストランに夫と二人で行った。ずっと少し気になっていたレストランだったけど、夫が通り過ぎる時に「ここは小さい時からずっとあって、おいしいよ」と初めて説明してくれたのを聞いて、行きたい!と連れて行ってもらった。衣をつけて油で揚げた普通のシーフードだったけど、嬉しかった。私は、夫のホームタウンでこういうことがしたかったんだ。夫が育った町の思い出の場所やお気に入りの場所を一緒に訪れること。

ようやくそういうことができるようになった頃には、夫はもう実家に帰りたがらなくなっているという皮肉な話。夫は両親や親戚のご機嫌を取ること、良い印象を与えることにずっと躍起だったらしく、そのために毎年帰って、私は放っておかれていたわけだけれど、どんなに頑張っても認めてもらえないので、もう疲れてしまったらしい。別に認めてもらわなくてもいいし、好きな時だけ帰ればいいのでは?と思うけど、色々な家族の形、問題があるもんだ。特に南部の田舎の黒人家族とそのコミュニティは独特で、理解不能。もしかしたら、夫の家族が特殊なのかもしれないけど。

サンクスギビングに、チャールストンのそばのリゾート地のビーチハウスを借りて、親戚一同が集まったこともあるけれど、海を見に行けたこと、近くのクレーコートで娘とテニスしたこと以外は、特に楽しくなかった。でも、みんなが持ち寄った食べ物はおいしかった。本場のアメリカ南部料理を味わえていたのは贅沢な経験だったと思う。

特に、夫の叔父さんの作るバーベキューポークは絶品!叔父さんは豚の飼育からしていて、解体中や一昼夜かけて丸ごと焼いている豚を間近に見れたのは感動だった。あのバーベキューを食べてから、どこのレストランのバーベキューもいまいちに思えてしまう。

夫の祖母が亡くなった時は、初めてゴスペルを歌う教会でのお葬式に参列して、夫の父方の家族はみんな歌が上手で感動したし、全く異なる別世界の文化を経験できたのは、夫と結婚したからこそできたこと。サウスカロライナでの良いことも悪いことも、思い入れはないと言いながらも、思い出はたくさんあるし、今となってはすべて貴重な良い経験。

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