日本大正村:一時代をまるごとテーマにした野外博物館 ~Photo~ Nihon Taisho-mura Village 4 旅のカタログ 2021年8月28日 18:00 日本大正村は明智町の町おこしとして構想・立村され、昭和63年に開村。街全体として大正時代の雰囲気を保存・再現しており、店舗、資料館、博物館などが構成要素になっています。 昭和50年代に技術革新が進むなか、従業員を減らし、主産業である林業や製材業も不振で急速な過疎化が進み、国鉄明知線も事実上の廃線通告を受けました。 それまで観光客など訪れたこともなく、国鉄廃止問題もあり、観光協会は反対ムードでしたが、明智町が時代に取り残される危機感と、推進派の説得により意見が逆転し、大正村建設を決断。 村内マップはこちらから見ることができます。http://nihon-taishomura.or.jp/course 「おすすめ散策コース」なら500メートル四方くらいの範囲にまとまっています。 こちらが「おすすめ散策コース」です。http://nihon-taishomura.or.jp/course/course01 1934年の明知駅(現・明智駅)開業当時に建設されたとされる駅舎。中部の駅100選に選ばれています。 明智駅から徒歩数分の大正村浪漫亭。大正村の入口。 この橋を渡ると大正路地が始まります。 大正路地から大正村役場までの道を石畳に、というのも明智町住民のアイデアでした。 大正路地と南北街道との交差点から大正村役場方面を見上げたところ。 大正村役場手前から絵画館方向を見上げたところ。 日本大正村役場。6代目の明智町役場として1906年竣工、1957年まで役場として、その後は商工会議所や集会所として使用されました。 そして1984年に大正村の施設となりました。2001年には「国の登録有形文化財」に指定。 無料休憩所も兼ねています♪ 絵画館(展示施設)。1877年(明治10年)に竣工し、小学校、警察所、商工会議所、集会所などとして使用されてきました。 絵画館から大正路地方向を見下したところ。 1994年に開館した大正ロマン館(有料)。日本大正村の初代村長や村議会議長の記念館。 大正ロマン館の「明智光秀が生きた時代の東美濃戦国史展」。東美濃地域は戦国時代になると、明知城や岩村城を初めとして織田と武田が絡む戦いが何度か行われたところ。 通信資料館(無料)。明治8年に開局し、その後電信/電話業務もしていた郵便局。一度は昭和"現代風"に建て替えられたものを再度大正/明治風に戻されています。かつての通信機器が展示されています。現在の明智郵便局はすぐ右隣りです。 日本大正村資料館(有料)。明治期にこの地域では養蚕業が盛んで、生糸取り扱い会社から発展した濃明銀行の蔵として西棟は1909年、東棟は1918年に竣工。農家から預かったり買い取った繭を収納していました。2棟合わせて銀行蔵と呼ばれています。 明智川に注ぐ、村内を流れる川にかかる橋もどことなく大正感が出ています。 うかれ横丁沿いにある「渡り廊下のある家」。うかれ横丁はかつて飲み屋が立ち並んでいました。 現在の交通網で見ると鉄道終着点で幹線道路が近いわけではありませんが、三河方面から木曽方面へ塩や織物を運んだ南北街道と、飯田方面から瀬戸や尾張へ繭や薪を送った中馬街道が交差する宿場として賑わいました。 ここがその交差点で、左に抜けるのが中馬街道、右に進むのが南北街道です。 右が大正時代館(有料)。左側の建物、喫茶天久さん側から入場します。大正天皇や大正時代の庶民の暮らしを展示。 大正時代は15年と短いですが、西暦なら1912年~1926年とかなり激動の時代。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #旅のフォトアルバム 45,258件 #旅のフォトアルバム #岐阜県 #恵那市 #日本大正村 #明智鉄道 4