人を「嫌い」ってどういうこと?「好き」ってどういうこと?
先日、10年来のお付き合いがある方から「絶交」を宣告されました。もう「嫌い」なんだ、ということ。
尊敬していた方だから、絶交されたことはとてもショックだった。そして、自分の理由がどうであれ、絶交したいと思うほど「嫌い」になる理由があったのも事実だし、自分の中で消化していこうと思っています。
この事案を通じて、感じたこと。
問いの始まり
どうやら、私には人を「嫌い」になるというのがどういうことか理解できていないようだ。
話が長くって、終わらないな・・・
おせっかいだな・・・
頼られすぎて、面倒だな・・・
なんで意地悪するんだろう・・・
誰かの行動に対しする感情はもちろんあります。人と接すれば正の感情も負の感情もあります。でも、「嫌い」って何だろう。無条件に嫌、その人の存在を否定する「嫌い」はどうやって生まれるのだろう。
そういえば、子供のころから「嫌いな子」がいなかった。少なくとも、今思い出せません。
いじめっ子でもいじめられっ子でもなく、友達が少なく、今でいうとクラス内カーストの「外側」だった子ども時代。楽しい毎日ではなかったように思うけど、自分が感情移入して「嫌い」と思えるほどの人がいなかった。「面倒だな」と思って離れる人はいたけど、ただそれだけ。だから必要あれば会話するし行動も一緒にしていました。
「嫌い」と思うほど、人に関わっていないのかも・・・と思い至りました。拒絶するほど、相手のことを考えていない、のではないか、ということ。
一方で、無条件に人が「好き」という感情はあります。「好き」と思える人はたくさんいます。
でも、人に感情移入しない、という考えなのであれば、実は「嫌い」と同じように「好き」が理解できていないかもしれない。「好き」って思っているけど、本当はそこまで思っていないのかもしれない。
「嫌い」ってなんで、「好き」ってなんだ?
ふと、思った自分への問いです。
このnoteは考えを追記する予定です。
ものに対する「嫌い」と「好き」
人ではなくてものだったら、どうなんだろうか。と考えてみました。
食べ物だと xxxが嫌い、xxxが好き
動物だと oooは好き、 ooo は嫌い
この文章の xxxやooo、例えば私だったら、
食べ物だと 「臭豆腐」が嫌い、「桃」が好き
動物だと 「猫」が好き、「虫」が嫌い
です。この場合の「嫌い」は見ると自分の感情が「ぞわぞわっ」っとする、鳥肌が立ったり、身震いする。と自分の身体に変化があります。「好き」も食べ物だと体が反応したり、猫がいると近づいたり、「わぁ💛」と声が上がります。
ものに対する「嫌い」と「好き」は体が反応するんだな、とわかります。
人に対する「嫌い」と「好き」再考
ものと同じと考えると、人に対しても「嫌い」「好き」に対して、体が反応するのかな。
そういわれると、いつも怒っている人に何かを話すときに、体が硬くなることがあります。「嫌い」にも同じように反応するのかもしれない。
もしかすると、私以外の「誰か(人)を嫌いになる」ことができる人は、対面した時に自分の体が硬くなったりする相手のことを「嫌い」っていうのかな。嫌なことを言われて鳥肌が立つような相手が「嫌い」なのかな。
そう考えると、私にも「嫌い」だと思う瞬間が存在します。嫌なことを言われたり、SNSで悪く書かれたりしたら体が反応します。
だけど、それは相手の1つの行動でしかない。それが相手の全部じゃないし、相手に攻撃されたことが自分の全部でもない。だからその1つをもって相手を「嫌い」と拒絶しきらない。
(いやなことをされていても忘れっぽいのかもと思えてきた。)
(つづく)
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