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おやじの裏側 vii (7. 信徒への宣言)

 「1.SG荘紹介」で説明したように、
オレたちの家族が住む狭い部屋は、全ての声が隣に筒抜けだった。
隣の木魚の音やチーンという鉦(カネ)の音が筒抜けなのと同じだ。
お互い様と言ってしまえば言えなくもない。
 
そんな環境の中で「キリスト教の礼拝」をするのだ。
例の道路から弧を描いて上る階段のところには、「なんたらキリスト教会」と看板まで設置していた。勿論、市の許可を受けていたはずだ。

だから、お隣さんに我慢しろというのは理不尽な気がする。
何故か、お隣さんから文句を言われたという話を聞いたことがない。
 
礼拝の中では、信徒全員による讃美歌が歌われる。信徒全員と言っても、さほどの数がいたわけではない。
家族だけで、8人だ。6人の子供とおやじと母親だ。信徒はそれくらいはいたのかもしれない。
 
中には、オレが就職したり結婚したりする度に、「坊ちゃんにスーツを作りたい」と言って、とてもじゃないが値の張る背広を仕立ててくれた信徒もいた。この仕立て屋さんは、近くはもちろん、はるか遠くの方にまでその技術が知れ渡って、わざわざ注文にやってきたとのことだった。
 
「下請けさんへの料金だけいただくけど、いいですか?」
 
嫌なわけがない。
高級紳士服が1万円で仕立ててもらえるのだ。よく覚えていないが、オレの初任給が2万円に届いていなかったと思う。
勿論、オレはどちらの場合もまだ大学生だった。当然とてつもない値段だ。幸い、オレは家庭教師のアルバイトでそこそこお金が貯まっていた。
 
そんな人たちが集まった礼拝は、いつもおやじの熱のこもった説教がメインだ。
 
オレはその説教を聞くたびに、胸がワクワクした。ドキドキした。本気にした。
 
来年こそは、新しい場所に会堂を建設して、思いっきり讃美歌を歌えるようにしましょう。皆さんっ、神様に祈りましょう。期待して祈りましょう
 
きっと集まっていた信徒の方々は、心の中で燃えていたと思う。子供のオレでさえ、「お祈りしよう」と思ったものだ。
 
特に新年を迎えると、このシュプレヒコールとも言える燃えるような説教
 
それも5月頃になると、いつの間にかこの種の説教は滅多に姿を現さなくなる。
 
子供のオレは、また今年もおやじが言わなくなったことに不思議な気持ちになっていた。
 
しかし、10月を過ぎることになると、「来年こそは・・・」という景気のいい説教が息を吹き返すのだ。年を越すと、「今年こそは・・・」となる。
 
するとオレの心の中にまたもや新たなワクワク感が蘇ってくる。きっと来年こそは新しい教会堂ができるに違いない、と思えてくるのである。
 
ところが、ある年に入ると、おやじの新しい教会堂建設の説教が今までよりも具体的なものに聞こえるようになった。
 
それは子供のオレにも感じ取れるほどの勢いで迫ってくる。
 
オレが初めてその場所を訪れたのは、いつだったかよく覚えていない。
家族全員で行ったのか、子供たちだけを引き連れて行ってきたのか、覚えていない。
 
その場所には、建築物は何もなかった。
それどころか、田んぼだったのである。
おやじは靴を脱いで、田んぼの中に入った。
その格好で、お祈りを始めたのだ。
 
おやじが意気揚々と、その田んぼの跡にできるはずと主張する場所を、兄弟たちとウキウキしてみたことが記憶に焼き付いている。
 
寡黙な母は、にこにこして真面目な顔をして、田んぼを見下ろしていた。
 
稲が植わっていたから夏から秋のどこかの時期だ。
そこにはそんなに長く滞在してはいない。座る場所もなければ、近所に家もない場所だった記憶が残っている。
 
SG荘での礼拝では、おやじの説教の熱を帯びた話しっぷりが活発になっていた。
 
「今度、皆さんで会堂建設の予定地で礼拝をしましょう」
 
信徒はきっとオレ以上にワクワクしていたに違いない。
 
みんなで予定地に行ってきた。
 
稲は既に姿を消していた。
 
そこには、がれきやコンクリートのくずなどで埋め尽くされた元田んぼが横たわっていた。
 
当たり前だが、その日は日曜日だ。
 
その新しい場所での初めての礼拝が行われたことで、それが分かる。
 
その時の記念写真を何度も見たことがある。
 
ある信徒の親が営む会社から出たコンクリートの使用済みの処分土を、その会社が無料で埋め込んでくれたのだそうだ。
 
田んぼの跡地だから、土を埋めたのでは柔らかすぎて土台造りが大変だということらしい。
 
写真には全体が埋められて、奥の方に大きな塊がまだ残っている場所に、信徒たちが写っていた。
オレも粗末な服を着て、大人たちに紛れるようにして写り込んでいる。
 
思っていたよりも大勢が写真の中で笑顔だ。
30数人いたような印象だ。
 
実は、おやじはSG荘だけでなく、当時の国鉄の駅1つ分の場所で時々家庭集会をしていた。(今はJRで2つの駅)
 
オレもついて行ったことが何度もある。
その集会の帰り道が楽しかった。思い出がたくさんあった。
その家庭集会の人たちも、一緒に写っていたのだ。
みんな笑顔だ。みんなはじけるような喜びの笑顔だ。
 
礼拝の後は現地解散だ。
 
その元田んぼの教会は、今もそこに存在している。改築をしているので、元の姿は残っていない。最初からいる者でないと、どこが元々の場所なのか判別できない。
 
オレたちは、その最初の礼拝の後、信徒を見送って電車でSG荘に帰った。
 
家庭集会に行った帰る道の話が、そのうち記事になるかもしれない。
本当は今から書こうと思っていたのだ。しかし、おやじの祈り、信徒の祈りの結実だけを記事にすべきと反省して、書くのをやめることにした。
 


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